第334話 『響き渡る仏の慈悲 南無阿弥陀仏』(カケルのターン)

 トン! キン! トン! キン! トン! キン!



 芝辻妙西しばつじみょうさいに連れられて、北花田のアブラナの畑から、両手で抱える限りの花を摘んだ、カケルたちは、大和川の支流の環濠と木の柵、平地の面は土塁を積み上げて高台を作る五箇荘村の関を潜った。


 トン! キン トン! キン!


 五箇荘村に近づくと鉄を叩く音が聞こえる。


 カケルは、妙西に現代では聞きなれないこの鉄を叩く音の正体を確かめようと尋ねた。


 妙西は、茶目っ気たっぷりに尋ね返した。


「おぬしら、大和国出身やろ?」


 カケルは、一瞬、素性を暴かれかねない出身の開示に躊躇しつつも正直に答えた。


「俺たち、元は大和国の平群の者です。織田信長が大国を支配するようになって、信貴山の松永久秀様も三好家を裏切ってワシらに重税と労役を押し付けてきたんで。それで、一家揃って一向宗に鞍替えしたんです」


「ほほう、そうかワシは、侍はようせん。から、侍に反旗を翻す一向宗も願い下げや。ワシはただの職人や。自由都市堺も、織田信長の支配下になってから儲けの上前を税として払わされとる。堺会合衆の頭の今井宗久様もようここへ来て、新しい火縄銃を作れとせかしよる。この音は、鍛冶場で職人が鉄を打つ音やわい」


「へー、火縄銃を作っているんですね。一度、どんな物か見たいと思ってたんですよ」


 と、カケルは、好奇心で目を輝かせた。


 妙西は、口元を緩ませ、


「ついてこい」


 と、鍛冶場へカケルたちを案内した。



 鍛冶場は、鉄を叩く槌の音が一層鳴り響いた。


 炉の真っ赤な炎が立ち上がり、鉄板を炉にかける鍛冶職人の顔は、炎の照り返しで真っ赤に燃えている。額からこぼれる汗も、一瞬で蒸発し、髪が燃えないように頭に被った烏帽子と額の境目には白く塩になった乾いた汗がこびりついている。


 トン! キン! トン! キン! トン! キン!


 真っ赤に燃える鉄の板を、大槌を持つ2人の打ち方が交互に心地よい音色で叩いていく、燃える鉄板を握る親方が、まるでモチを捏ねるように、繊細な小槌で整え、時に、濡れた雑巾に染み込ませた水を垂らして、鉄を鍛える。


 妙西は、自慢げにカケルに言った。


「どうだ、大和国の衆、五個荘の鍛冶場は炎と鉄の音で気持ちがいいだろう」


 カケルは、笑顔で頷いた。


「はい、これは打楽器みたいで心地よいです。妙西さん、よければ、ぜひ一度俺たちにも鉄を打たせてください」



 妙西は愉快そうに笑って、


「よし、もう一人のデカいのと一緒に打ってみろ」


 と妙西は自分も腕まくりして鉄を炎に掛けた。


 カケルと、菅沼大膳は、大槌を握って、手にペッと唾をつけて叩き始めた。


 トン! キン! トン! キン! トン! キキン!


 微妙に菅沼大膳の力加減が狂った。


 妙西は、その音を聞き逃さず、手に持った小槌で整えた。


「おい、大膳とやらお主は、もう一人と比べれば繊細さにかけるようだのう」


 菅沼大膳が、顔を真っ赤にしていると、妙西は、カケルに向いて


「お主は、打楽器とは、おもろいことをいいよるのう。そうだ、鍛冶場は打楽器のように音感を一定の調子で打たねばならん。もう一人のぼんやりの大膳とは違って、お主は一見ひとめで物の本質を見抜きおるな」


 すると、カケルに負けじと菅沼大膳が、大槌を持ち上げて気合を入れ直す。


「そんなことは、ござらぬぞ妙西殿。ワシは、この鉄を打つ音を寺の読経のように聞いておった。般若波羅蜜多……チン!」


 菅沼大膳の不用意な一言に、隣に居たお虎の顔が引きつり、肘で菅沼大膳の鳩尾みぞおちをピンポイントで突いた。


 ウッ!


 いくら大男でも、鳩尾は鍛えようがない。菅沼大膳は前かがみにつんのめった。


 菅沼大膳は鳩尾を抑えながらお虎に噛みついた。


「いきなり何をいたすお虎!」


「大膳! お主は、一向宗に宗派替えしたというのに、今だ昔の真言宗の般若心境っを唱えおるか、一向宗は、南無阿弥陀仏だ。馬鹿者!」


 さすがの菅沼大膳も、これには困った顔をして頭を掻いた。


「ワシの生家は真言宗だったゆへ堅苦しいところがあった。一向宗のように南無阿弥陀仏を唱えれば、身分や罪業の隔てなく極楽浄土に救われる阿弥陀様の教えが一番だった」


 と、わざとらしく取り繕う。


 妙西は笑って、


「般若波羅蜜多でも南無阿弥陀仏でも、仏の慈悲はそんな小さなことには拘らない。とにかく経文を唱えさえすれば御救い下さるであろう。大膳とやら、お主が死ぬときに経文を間違えたとしても、城主の下間頼廉様が必ず、お主の亡骸を見つけて南無阿弥陀仏と唱えてくだあるぞ。心配いらん」


 妙西のこの答えに、菅沼大膳は感服して、


「一向宗とは、そこまで、寛容なのでござるのか。うむ、それは人気がでるだろう」


 妙西は、意地悪く、


「ほう、大膳。お主も一向宗のくせにまるで他人事のようなことを申すのう。まあ、一向宗は”執着”すな、細かいことはうるさく言わんのがいいところだ。構わぬぞ、左近」


 ぐ~う!


 カケルの腹の虫が鳴いた。


 妙西は、驚いて、


「おお、大きな腹の虫だ、もう一人正直者がおったか、よし、まずは、簡単に、お主たちの自己紹介を聞いておいて、飯にしよう。一番の大男は大膳と分かったもう一人と、侍と、女子おなごは名を何と申しておったか」


 カケルが代表して答えた。


「オレは、左近。侍が義平さんで、気性が荒い女がお虎さん、そして、優しいのが月代さん」


 お虎の眉が吊り上がった。お虎はまだ若い22歳だが、カケルよりも年長である。カケルと同じ若い18歳の月代には女の意地で負けられない。


「左近、お主は、今、私のことを気性が荒い女で、月代のことを優しい女と申したか、ふん! 気に入らん」


 めずらしく、カケルがお虎に焼きもちを焼かれているのを見て、いつもお虎にやり込められている菅沼大膳は、気色を浮かべて、


「ほれ、左近。お主は、まったく女心と言うものをわかっておらん。特にお虎のように気位の高い女というものはだな……」


 ボスン!


 と、菅沼大膳が女についての講釈を垂れようとしたところを、今日二発目のお虎の肘打ちが大膳の鳩尾に入った。


 妙西は、面白い者でも見たように笑いながら、月代に視線を移した。


「月代さん、お前は素直そうだから料理もできるだろう。ワシが、伴天連の天婦羅を教えるから、皆の摘んだ菜の花をもって台所へついてきなさい。男子おとこしたちは、満足いくまで鉄砲鍛冶を学んでゆくのだ」


 と、妙西言った。


 お虎も男勝りの勝気な性格だと言っても婚期をすでに迎えている女だすかさず


「妙西殿、私も女です。料理くらいできます!」


 と、菅沼大膳とカケルから菜の花を奪い取って着いていった。




 つづく



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