第333話 『満昌寺血の決断(左近のターン)』

 下条智猛説得のため、倉を抜け出した左近と智林は、満昌寺の楼門の出口へ向かって通らねばならない本堂の床下を人目を忍んで潜り込んでいた。


「烈景様、それは同意しかねます!」


 強い口調の宗林の声が聞こえて来た。


 智林は、いつにない師、宗林の強い口調に同様の表情を見せて左近に声をひそめて尋ねた。


「左近様、宗林様のあのような声は私は聞いたことがありません。寺になにかあるのでは」


 左近は、静かに頷いて、床梁に耳をあてた。




 満昌寺の広い本堂の障子はすべて開け開かれ、境内には陽光が降り注ぎ、集められた寺領の100人ほどの百姓たちも、主の烈景と宗林がまるで禅問答でもするように対峙しているのを見守っている。



 本堂では、それを取り囲むように、遠山家の30人ほどの若い僧侶たちが二人の主の対決を息を飲んで取り囲んでいる。


 二人の対立の原因は、明知城の遠山本家からもたらされた、包囲する武田軍を挟撃するための援軍依頼である。


 烈景は、宗林を威圧するように、


「宗林、遠山の家の大事に我が満昌寺が援軍に出るなとは、どういうつもりだ!」


 宗林は、毅然とした姿勢で反論する。


「烈景様、道に迷った民百姓たちはじめ、多くの人々を分け隔てなく救済するのが寺の本来の務め。中でも禅宗は、世俗からはさらに一歩身を置いて、己の心と日々向き合い、心の修養するのが本文。一向宗のように、生活に追い詰められ自分の頭で物事の成否を考えられなくなった百姓たちを騙すような真似をするのは同意できかねます!」


 烈景は、宗林を睨みつけて、


「宗林よ、平時はそれでもよかろう。しかし、平時の寺院でお前たちが平穏無事に何不自由なく修行に明け暮れることができるのは誰のおかげだ。この本堂の屋根、食い物、お前の着ている袈裟を一体誰が与えたと思っているのだ。それらは全て、明知を治める遠山一族の威光とその庇護があったればこそだ。お前は遠山家への忠誠心はないのか!」


 と、烈景は、宗林を怒鳴りつける。


 宗林は、烈景の目をまっすぐ見つめたまま視線を離さない。それは、日々、己を磨く公案でもするように問い返した。


「烈景様、それは一見すると、正鵠を射ておるようにございますが、ですが、詭弁にございます」


「なにを!」


 烈景は、立ち上がらんばかりに、身を乗り出して怒りの形相で宗林を睨んだ。

 ぞ

「宗林、お主は、ワシの言葉を詭弁だともうすのか。では、訳を聞こう。返答次第では、ただでは済まさぬぞ!」


 宗林は、座禅を組むと、心静かに深く腹の底まで息を吸い込んで、ゆっくりと目を閉じた。一瞬ではあるが、心の宇宙を泳ぎ渡り、そして、カッと目を見開き言葉を発した。


「烈景様に申し上げる。遠山家が明知の里を治めて何年になりますでしょうか?」


 烈景は、鼻息荒く答えた。


「そんなことも知らぬのか。明知遠山家は、鎌倉幕府かまくらばくふ開闢かいびゃく以来の地頭よ。年数になおさば、およそ250年だ」


 烈景の言葉に、遠山家の子弟たちである若い僧たちは顔を合わせて首を縦に振りあった。


 宗林は穏やかに答えた。


「それは、長きに渡り、当地を治められたのにございますな。存じませんでした」

 、

 烈景は、宗林が返す言葉っを失ったとでも思たのか鼻で笑って誇らしげに、集まった百姓たちに講釈でもするように力強く言葉をつづけた。


「遠山家は、源氏長者、源頼朝公の信任厚い武門の家柄である。遥か昔、承久の乱でも、鎌倉幕府2代執権、北条泰時公の元へ馳せ参じて、見事、反乱軍を討伐した由緒正しい家柄である」


 と、自分を誇るように胸を張った。


 すると、宗林はクスリと笑った。


 烈景は、宗林に噛みついた。


「宗林、何がおかしい!」


 宗林は、瞑想でもするように、目を半眼に伏せて静かに答えた。


「私が、京の都の建仁寺で学んだ歴史の書物では、承久の乱で烈景様が討ち破ったと申される相手はどなた様の軍ですか?」


 烈景は、唇を噛んだ。


「それは……」


 宗林は、毅然とした態度で、延べ始めた。


「相手は、先の御帝おみかど、後鳥羽上皇様の兵にございます。私の記憶が確かならば、この日の本の主は、古来より、天皇が主にございます!」


 烈景は、眉をひそめて怒りながら、宗林をしかりつけるように声を荒げて言った。


「宗林、それ以上、申すな!」


 宗林は、首を左右に静かに振って言葉をつづけた。


「いいえ、黙りません。清和源氏の征夷大将軍、源頼朝公の血脈の御子息、2代頼家公、3代実朝公は、烈景様の遠山家が従った2代執権、北条義時公に暗殺されたと噂されております。私の学んだ書物にはそう書かれておりました。それに、従った遠山家は、明らかに御帝に背いたと同じこと」


 宗林の言葉に、境内の百姓たちに動揺が走った。


 烈景は、傍らの刀掛けから、刀を引っ掴んで、宗林に向かって立ち上がった。


「なにを、言わせておけば、おのれ、宗林! お前は、遠山家が朝敵だと申すのか!」


 宗林は、静かに目線を上げて、烈景に無言で対峙した。


 烈景は、今にも刀を抜かんばかりに勇立って、


「なにか申せ、宗林!」


 宗林の無言の態度に、百姓はおろか、これまで盲目に烈景を支持していた家臣の子弟たちの表情も曇り、明らかに動揺が走っている。


「この不忠者! 宗林、手討ちにしてくれる! 誰か、この者の首を撥ねよ!」


 烈景が、命じても、誰も互いに顔を見あうばかりで動こうとしない。


「ええい、どいつもこいつも頼りにならん」


 烈景は、刀を高く振り上げ、宗林の首を狙い、殺意に満ちた目で睨みつける。宗林は、覚悟を決めたように目を閉じて、死を待つ。


 バサリッ!


 烈景は、本堂に転がった宗林の首を引っ掴み、本堂に集まった皆を睨み渡した。


「明知で遠山家に逆らうと皆、こうなると心得よ。皆の者、戦の支度じゃ。武田勝頼の首を打ち取るぞ!」


 烈景は、そういって境内に宗林の首を投げ捨てた。



 宗林の首は、床下に潜んだ智林の前に転がった。宗林の顔は、血まみれながらも、師としての威厳を失わず、何一つ迷いがなく、健やかで、いつも、智林を見守るあたたかな顔であった。


 智林は、たまらず、師、宗林の首を抱き寄せようとうごめいた。目の前で師が殺されるという信じられない光景に、恐怖と悲しみに打ちひしがれ、身体が震え、涙が止まらない。


 佐近は、宗林の首に抱き縋ろうとした智林の肩を強く引き留めて、静かに首を振って静かに言った。


「これが遠山家だ。師、宗林の死を無駄にするな」


 智林は、師の死を無駄にしないために、下条智猛を説得し、武田軍を撃退するという師の意志を継承しようと決意するのだった。



 つづく




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