第20話 覚醒
「何やってんだ! 誰か先生たち呼んでこいよ! おい、真琴!」
唯我が怒声を浴びせてもその場でざわつくだけで誰一人動こうとはしない。
「いい加減にしろよお前ら……くそ、すぅぅぅぅぅぅぅぅ……先生ェェェェェェェェェッ!」
近くにいる人間が軒並み耳を塞いで顔を歪めるほどの大声で先生たちを呼ぶ。学校の窓が振動でガタガタと音を立てて軋む。
「待ってろよ真琴今助けてやる…………」
そこで唯我はあることに気がつく。真琴の吊るされた十字架の下、そこにはボロボロになった三人の生徒が倒れていた。
一人は一目でわかる大きな図体で同じクラスの高田哲夫だとわかった。
二人目は、つい何日か前に家で話した山崎太一。
そして、三人目は川島高校で唯我が初めて友達になった人物。
「音也……」
井道音也だった。唯我は突き刺さった木の十字架を力づくで引き抜くと、そっと地面に置いた。急いで真琴を縛っている縄を引きちぎり三人に呼びかける。
最初に、音也が微かに声を発した。
急いで駆け寄り、声をかける。
「音也っ、音也! しっかりしろ! おい!」
音也はボロボロの手で唯我の腕を掴む。あまりに弱々しく、だけど今出せる全ての力を込めているのが唯我には痛いほど伝わった。
音也は震えた声で、やがて涙を流した。
「俺が……俺が悪いんだ。俺が余計なことしなけりゃ……真琴を巻き込まなくてすんだのに……」
苦しそうに咳き込みながら、それでもなお、言葉を止めない。悔しさが滲んだ顔は音也たちが受けてきたことの壮絶さを教えた。
「勘違いしてたんだ……。やっぱり……俺じゃ何も……」
唯我は弱々しく震える音也の手を強く握る。
「――音也、お前、後悔してるか? あいつらに逆らったこと」
その問いに、力強く、はっきりと、なんの迷いも、躊躇もなく、音也は言い切った。
「絶対に――――ない」
音也の答えに唯我は嬉しそうに笑って見せると、手を握っていた力を一層強める。
「今日でやめにしようぜ。こんな窮屈な毎日」
安心したのか、音也は眠るように意識を失った。
「誰でもいい、頼む。こいつらを保健室に連れて行ってくれねぇか」
返事は誰からもこない。思わずため息を吐きそうになったが、中の一人、女子生徒がこちらに向けて一歩を踏み出した。
しかし、その歩はすぐに止まってしまう。
唯我にはその理由がわかっていた。それは唯我自らが音也たちを介抱しない理由でもあった。
「うわっ、ひでーな。停学明けでこんなことやるか? 普通」
聞こえたのは軽薄な、それでいて不快になる声。見えたのは数人を引き連れて校舎から歩いてくる姿。
全ての元凶、帝優だった。
帝はニヤニヤしながら歩いてくると、唯我の前で挑発するように立ち止まった。
「唯我ちゃーん。十字架なんて趣味が悪くない?」
唯我は煮えたぎる怒りを抑えて、鋭く帝を睨み返した。
「ごちゃごちゃうるせぇし、お前はずっとナヨナヨしてんな。俺に勝てねぇからって俺の友達に手出しやがって」
それを聞いた帝は大きく噴き出した。目に涙まで浮かべて、笑っている。
「とうとうイカれちまったのか」
「いやいや……そんな挑発にのるわけねぇだろってさ! てか、お前らっていつもいつも頭おめでたすぎんだろ」
笑いがおさまると帝の眼光が恐ろしく鋭いものに変わる。
「痛い目みねぇとわかんねぇのか、お前らバカは」
「やってみろよ、ちょこまかしかできねぇ小物が」
二人を中心に張り詰めた空気は見ている人間が思わず息を止めてしまうほどだった。気分が悪くなり、倒れ込む生徒まで現れた時、ようやく二人は睨み合いをやめた。正確には帝が目を逸らした。
「唯我ちゃん、ちなみにこれやったやつ俺知ってるよ」
この期に及んでまだしらばっくれている帝に怒りを爆発させそうになったが、帝は気にせずにある方向を指差した。
そこにはビクビクと怯えたように体を縮こまらせた生徒が三人いた。男子二人、女子一人の恐らく新人類ではない三人組は、とてもこんなことをするようには見えなかった。
「誰でもわかるような嘘ついてんじゃ……」
「ホントだよ! こいつらが実行犯! これ見ろよ」
帝はスマホを取り出すとある動画を再生する。そのままの距離で警戒しながら見ると、確かに三人組が真琴を吊るしていた。
動画を撮られていると思っていなかったのか三人の顔がみるみる青くなり、絶望の表情に変わる。
「ひでぇよなぁ、先生たちに突き出して捕まえてもらおうぜ!」
唯我が黙り込むと帝は心底嬉しそうに笑みを浮かべる。
「おい! お前ら! さっさと職員室行けよ! このクズども! ほら! はやく! はや……」
怯える三人を指差して楽しそうにはしゃいでいた帝の体が停止する。三人組は目の前の光景に驚いた。
「何してんだ? てめぇ」
帝の指を唯我が掴んでいたからだ。指から「ギギギ」と嫌な音が聞こえてくる。
「たしかに――誰かに無理強いされたからって、こんなことするやつは善人でもなんでもねぇ。そんなもんは他人を傷つけていい理由にはならねぇ」
唯我の言葉に悔しそうに俯く者もいれば、気まずそうに目を泳がせる者もいた。
しかし、それを聞いてもなお、帝の表情は厳しい。自分の指を握る力が徐々に強くなっているから。
だけどな、と唯我は続ける。
「お前がそれを言ってんじゃねぇよッ!」
握られていた指が本来曲がるはずのない方向に折られるのと同時――グラウンドに砂埃が上がった。その場にいる全員が、吹き飛ばされた唯我に気がつかなかった。
帝は回復を始めている指をつまらなさそうに眺めると「あとはよろしくー」と三階の空き教室の窓に文字通りひとっ飛びで戻っていった。
その場の全員が言葉の意味を理解できないでいると、砂埃の方から唯我が向かってきた。唯我は口から血を吐き捨てると、帝の手下を鋭く睨みつける。
「もう、手加減はしねぇ」
手下たちは唯我に凄まれて怯むが、帝の言葉に逆らうことはできない。そのまま殴りかかってきた手下たちを唯我は一撃でのすと、帝が入った三階の空き教室に向けて矢のような勢いで突っ込んだ。
轟音と共に壁が割れ、窓は粉々になり、教室は教室としての体を失う。
「――おいおい」
手荒く侵入した唯我の前に十人前後の新人類と帝優がいる。
唯我の常軌を逸した力に驚く新人類たちだったが、帝優だけは嬉々とした笑みを浮かべていた。
「ちゃんと入り口から入ってこいよ……マナーがなってねぇなァ!」
帝を見つけると、唯我は一直線に帝へ拳を放つ。しかし、帝は近くにいた生徒を掴み、盾代わりにしてそれを防ぐ。
「お前の狙いは俺だろ⁉︎ だめだろォが! 関係ない人殴っちゃ!」
挑発を無視して、唯我はそのまま盾にされた生徒ごと帝の腹を撃ち抜く。
帝の体はそのまま反対側の壁を貫いてて吹き飛ぶ。
「喧嘩……してやるよ。帝ッ!」
周りの新人類はその光景に狼狽えていた。何せ、帝が川島高校に来て以来、攻撃することはおろか、本人を前に逆らうものさえほぼいなかったのだ。
今まで考えもしなかったある可能性が頭をよぎる。
「まさか……」
帝の“敗北”。そうなれば今まで帝の元で好き勝手暴れていた自分達の立場も危うい。今からでも、唯我に謝り媚を売るべきか。
そんな逡巡の中でしかし、どうしても、あの帝が負けるとは信じられなかった。
「はーい、今一瞬でも俺が負けると思ったやつそのまま死ね〜」
その予想通り、帝は澄まし顔で教室に戻ってくると、新人類たちは安堵した表情で口々に調子のいいことを口にする。
「おら! どうした転校生! 渾身の一撃が通じなくてビビってんのか!」
「調子に乗って逆らったお前が悪いんだ! 裁きを受けろ!」
「なんなら、俺たちがやっちゃいましょうか? 帝さん」
「――――おい」
――瞬間。
教室を――学校全体を重々しい空気が包み込む。重力が何倍にもなったような感覚と凍るような寒気、耐えきれない恐怖が校内の全生徒を襲う。
この空き教室にいる生徒たちはそれが帝優から発せられたものだと理解している。その圧力は至近距離では唯我以外誰も立っていられないほどで、唯我でさえも寒気を感じた。
「――――死ねって言ったよな」
同じ人間が放っているとは思えない圧力。否が応でもわかる生物としての格の違い。
帝の言葉に新人類たちは言い返すことなく、破壊された壁の方に歩いていく。
「お前ら! 全部
立ち止まって、動かない新人類たち。
帝の額に血管が浮き上がる。
「勘違いすんなよ」
一瞬で距離を詰めた帝が唯我に拳を振るう。
「ゴミなんざこれで終わりなんだよ」
放たれた拳が唯我の頬を捉える。普通なら頭ごと吹っ飛んでいてもおかしくない威力。
「……あ?」
しかし、唯我は吹っ飛ぶどころか一歩も退くことなく、帝を睨み続けている。
「おらァッ!」
唯我は帝の頭を掴むとシェイカーのように高速で打ち振るった。
「…………ぁがっ! てっ……」
混乱した帝の顔面を殴り抜く。
帝はそのまま黒板を突き破り、隣の教室へ吹き飛ばされる。
飛ばされた先もまた空き教室だった。
「はぁ……はぁ……ハァァァァアッ! ほんっっっっとにお前らはさァッッ!」
ゆっくりと隣の空き教室に移動した唯我は机や椅子に囲まれて倒れている帝を見下ろした。
「お前らは……本当に、なんで俺に勝てると思っちまうんだろうな。勝ち目なんざねぇのに」
帝は素早く立ち上がると、軽く首を回して教室を見渡した。
次の瞬間。
帝は唯我の頭上にいた。
「死んどけ」
振り上げられた脚が唯我の脳天に落とされる。
「…………ッ‼︎」
その途轍もない威力にガードした腕がミシミシと嫌な音を立てる。
「終わりぃぃ!」
帝が脚を振り下ろすと同時に唯我は教室の床を床を突き破って一気に一階まで落とされる。
「きゃああぁぁぁぁぁぁっ!」
「うわぁぁぁぁぁぁ!」
教室に悲鳴が響く。そこはこれまでとは違い、一年生の教室だった。人が大勢いる。
「何っ⁉︎ なんなの!」
「上から降ってきたぞ!」
騒然とする教室で唯我は朦朧としていた意識をなんとか取り戻す。もし後一秒でも遅ければ三階から落下してくる帝にトドメを刺されていた。
唯我はすんでのところで転がって避けると、帝を睨みつけた。
「俺はまだ半分の力も出してねぇぞ! 大口叩いてその程度……恥ずかしいやつだなァ!」
生徒たちは訳もわからないまま、ただ危険を察知して教室から逃げようとする。
「アレが正解。お前は間違ってんだよ。お前のせいで傷つく必要のないやつが傷ついた。わかるか? お前は疫病神だ」
遠ざかる足音に、静かになった教室をゆっくり見渡す。
「何賢者モード入ってんだよ。ほら、土下座したら許してやるよ」
座り込んでいる唯我に帝は容赦なく蹴りを食らわせる。
「どうでもいいけどよ……」
ことはできず、放った蹴りは片手であっさり受け止められる。受け止められた脚はビクともせずミシミシと音を立てる。
「まず俺の友達に謝れ――」
帝は窓を突き破り、数十メートル先のグラウンドまで吹き飛ばされる。
「あ、あれ……帝さんだ」
玄関にいた生徒たちが口々に驚きの声を上げる。
その光景をボロボロになった高田哲夫も見ていた。意識を失い、放置されていた高田を二人の取り巻きが見つけ、助けていた。常人なら再起不能なほどの大怪我を、高田はほんの数時間で歩けるまでに回復させている。
グラウンドにいる帝を高田は不安そうに見つめる。
「やっぱりあの人が負けるところが想像できねぇ」
それは意識を取り戻していた音也もそうだった。
そして、その予感は外れていない。
「ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!」
咆哮が空気を揺らす。
帝を中心にまたも空気が重くなる。
「うるせぇんだよ」
唯我は帝の圧などまったく気にせず、ゆっくりと教室から出てくる。
「半分しか力出してないとか言ってないで、とっとと100%で来いよ。ぶちのめしてやるから」
瞬間に。
帝の拳は唯我の目前まで迫っていた。
唯我はそれをすんでのところで躱すと腹に一撃を入れ、顔面に掌底打ちを決める。
「っぶッッ⁉︎」
吹き飛んだ帝は今度はすぐに受け身を取り、追撃してくる唯我を迎え撃つ。
「は――」
しかし、それよりも速く、唯我の膝が帝の顔面を捉える。
「お、おい……あれ」
二人の攻防を見ていた新人類が驚きの表情で尋ねる。
「何してるか……わかるか?」
隣の生徒はゆっくりと首を横に振った。
二人の戦いは新人類でさえも目で追えないほどになっていた。
「コイツ……ッ!」
帝は今までにないほど焦っていた。唯我が想定以上に強かった。それもある。だが、帝が信じたくない、一つの仮説。
唯我が戦いの中で強くなっている。
明らかに反応速度が上がっている。帝の攻撃はことごとく躱され、代わりに唯我の攻撃が倍飛んでくる。
「ふざけんな……何が秩序だ……ァァァァ!」
帝が渾身の力で放った拳は片手で受け止められ、逆に顔面に渾身の一撃を決められ、吹き飛ぶ。
その場にいる全員がその光景に目を疑う。今まで絶対の君臨者だった帝が、見たこともないほど取り乱し、ボロボロになった姿で唯我に手も足も出せずにいる。
「あそこまで強いなんて……」
今まで傷を負わせることさえできなかった帝に対して、あの強さ。もはや想像もできない。大門唯我の強さは底が知れない。
新人類ではない生徒、新人類でないにも関わらず歯向かい酷い目にあった生徒、新人類でありながら帝に立ち向かった生徒。
誰しもが期待しようとする自分を必死で押し殺していた。
それでも、今回だけはあるかもしれないと、期待せずにはいられなかった。
「その程度かよ……ッ!」
吹き飛ばされた帝の視界にどんよりとした曇り空が広がる。ゴロゴロと音を立てて、今にも雷が落ちてきそうだ。
その時、帝にはなぜか青空が見えた。奇妙な感覚だった。確かに眼前に広がっているのは灰の海。だが、確かに見える。青く澄んだ空が。
しかし、そんな光景もすぐに汚く濁っていく。薄汚く、醜く、不快。
「ははっ……」
帝は倒れたまま、乾いた笑みを浮かべる。
蠢く気色悪い気配に虫唾が走る。吐き気のする虚弱な気配。こちらを伺う見えない嫌悪感。
忘れてなどいない。忘れてなどいないが、より鮮明に、色濃く蘇る感情。自分が何をしたかったのか。
初めて弱っていると感じた自分の体、その底から力が湧き出してくる。指先までしっかり感覚がある。
初めて自分の体を完全に支配して、動かしている感覚。まるで別の場所にいるかのような不思議な気持ち。
――――自分が初めて何者なのかわかったような気がした。
「弱い奴らが勘違いしてやがる。一人じゃ何もできねぇ癖に、ウジャウジャと群れて……お前らのクソゴミ理想は何一つ実現しねぇよッ!」
素早く立ち上がった帝の空気がまた変化する。唯我は何が起こっているのかすぐに感じ取った。
帝も強くなっている。
「カス以下の存在のお前らがなんで生まれてきたか教えてやるよ。俺に支配されるためだッッッッッ! 俺の思い通りに動くだけ! お前らの思い通りになるもんなんかこの世には一つもねぇよッ!」
今の帝に何か得体の知れない恐怖を感じた唯我は帝に最後の一撃を放つ。
「勘違いしてた」
紙一重でそれを躱すと、帝は穏やかな声で唯我にだけ聞こえるように言った。
「俺の限界はまだまだこんなもんじゃない」
「ッ!!!」
憑きものが取れたような晴れやかな顔とは裏腹に、放たれた一撃は唯我の意識を数秒飛ばした。
唯我はスーパーボールのように何度もバウンドして吹き飛び、生徒玄関に勢いよく突っ込んだ。
けたたましい破壊音と悲鳴が響く。
「唯我っ!」
吹き飛ばされた唯我を心配しつつも、それでも帝から目を離せなかった。離れていても鳥肌が立つ。
「新人類……たしかにな。けど、俺は俺だ」
帝優は“成った”。
新人類と呼ばれる人間たちのさらにその上へ。
別次元の何かへ。
「俺に限界はない。可能性なら無限にあるんだ。自分で自分の視野を狭めてた」
帝は胸の前で両の掌を向かい合わせ、球のような形を作る。
「くそ……」
意識を取り戻した唯我が音也の前に飛び出してくる。
「お、お前、大丈夫なのか⁉︎」
「誰が言ってんだよ。お前こそ……」
音也が心配するのも無理はなかった。唯我の顔は血塗れで、今もなお頭部から出血していた。
顔も疲れていて、息も上がっている。こうやって立って喋っているのが不思議なくらいだった。しかし、それでもなお、唯我は帝から視線を逸らさなかった。
「おいおい……」
唯我が力なく呟く。帝に視線を戻した音也はその信じられない光景に目を疑う。
「は…………?」
視線の先で――帝の掌の中で白いエネルギーのようなものが小さな稲妻を放っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます