第2話 本田真琴
唯我が戻ると、静まり返っていたクラスメイトたちがざわつき始める。本人は気づいていないが、それは無傷の唯我に対しての反応だった。
「唯我くん」
授業の準備をしようと着席した唯我に音也が声をかけてくる。視線は唯我ではなく、机の方に向いている。
「あんなことをしてタダで済むはずがない。無事に学校生活を送りたいなら、あの行動は間違いだよ」
それは高田に抵抗をした唯我に対する音也からの忠告、事後解説のようなものだった。
「今から土下座すれば、数回半殺しにされた後、毎日媚びるくらいで済むかも……」
助け舟を出しているつもりの音也の提案を唯我は「何言ってんだ」と一蹴した。心底意味がわからないといった表情で唯我は言う。
「あいつらが意味わかんねぇこと言って手出してきたんだよ。なんで俺が土下座するんだよ。意外とアホなんだな音也って」
唯我の呑気な様子に音也は「後悔することになるよ……」と呟いた。
授業が始まって少ししてから高田と取り巻きの二人が遅れてやってきた。体調が悪かったから保健室で休んでいたと誰でもわかる嘘をついたが、教師はそれを追求しなかった。唯我は一瞥もしなかったが、高田たちは唯我の方を睨んでいた。
その後、午前最後の授業の途中、取り巻きの一人が元気よく手を上げて嫌らしい笑みを浮かべた。
「先生ー、それ唯我くんがわかるって言ってました」
唯我は不意をつかれたようで目を見開いて驚く。
「俺はなんも言ってねぇよ。性根だけじゃなくて耳も腐ってんのかお前」
「ああッ⁉︎」
唯我の言葉に取り巻きが立ち上がって怒りを露わにする。その様子に教室が一気に緊張に包まれる。
「こっちは必死に理解しようとしてんだ。人様の邪魔すんな」
取り巻きは青筋を浮かべて拳を握りしめるが、高田が一度咳払いすると納得のいかない様子で着席した。クラスメイトは緊張から解放され安堵したが、唯我だけは気にした様子もなく、教科書を睨みつけていた。
授業が終わるとすぐにさっきの取り巻きが唯我の机を思い切り蹴飛ばした。勢いよく横転した机は隣の音也にぶつかる。
唯我は座ったまま動かない。
「おい、あんま調子に乗るんじゃねぇぞ……俺についてこい。ちゃんと教育してやるからよ」
怒りを隠すことなく、至近距離で唯我を睨み付ける取り巻きだったが、唯我はそれを無視して蹴飛ばされた机を起こし始める。
「あーあ、机が……学校の備品なのに……あ、悪いな音也」
音也は返事をしなかった。それどころか、そのまま立ち上がってドアの方へ歩き出した。
「おい、聞こえてんだろ? お前マジで殺すぞ」
唯我の態度が気に入らない取り巻きは唯我の肩を思い切り掴んだ。
「……お前のせいで机が傷ついたじゃねぇか。机に謝れよ」
「アァッ⁉︎」
「机に謝れっつってんだよッッックソ野郎!」
唯我は一瞬で鬼の形相になると取り巻きの後頭部を掴んで机に思い切り叩きつけた。机はメシメシとした音を立てた後、真っ二つに破壊され、取り巻きはそのまま床に打ちつけられる。
その物音に今教室を出ようとした音也が驚きを隠せない表情で振り返った。
「あがっ……!」
さっきまであれほど騒がしかった取り巻きはそのまま動かなくなった。
「あー……くそ。お前のせいで机が壊れちまったじゃねぇか。弁償しろ」
面倒そうに呟いた後、唯我は頭の上に豆電球を光らせ、手のひらを叩いた。
「今のうちに机を交換しておこう……」
唯我は素早く自分と取り巻きの机を入れ替えると、一仕事終えたかのような達成感をその表情に滲ませた。
「あっ、これで」
唯我はクラスメイトに対して、顔の前で人差し指を立てると「しーっ」と乾いた音を立てた。
「あ、そうだ、音也。俺まだ食堂どこか知らなくてさ。教えてくれよ」
ドアの前で立ち尽くしていた音也は唯我の声で我に返ると「他を当たってくれ」とそそくさと教室から出ていってしまった。
「んだよあいつ。冷てぇなぁ」
困っていた唯我の背中を誰かがツンツン突いた。振り返ると、女子生徒が一人、唯我を見上げていた。
「私でよかったら案内しようか?」
ショートボブの女子生徒は少し緊張した様子で笑った。
「ええっと……」
「私、本田真琴。一応、学級委員長なんだ」
真琴は控えめに自分の胸を叩いた。
「マジか、頼むよ。よろしくな、真琴。そうと決まれば早く行こうぜ。腹減って仕方ねぇ」
豪快に腹を鳴らす唯我に真琴は控えめに笑った。
食堂に着いた二人だったがそこそこ混んでいて、並ぶことになった。
「唯我くん。大きいねぇ。身長何センチ?」
「ん、一八七だけど。もっとデケぇのがクラスにいただろ」
二人は待ち時間を他愛の無い話で盛り上がった。しかし、そんな中、真琴は急に声のトーンを落として話し始めた。
「唯我くん。はやく転校した方がいいよ」
真琴の言葉に唯我は驚く。単純に言っている意味が分からなかったからだ。
「あそこまでしちゃったら、もう何しても許してもらえないよ。早く転校して逃げた方が絶対にいい」
先ほどまでとは違い、暗い表情の真琴に唯我はようやく言葉の意味を理解する。つまりは『酷い目にあう前に逃げ出せ』ということだ。おそらく、高田の言っていた新人類の徒党から逃げろということだろう。
「お前もかよ……俺は何もしてねぇ。向こうからちょっかいかけてきてんだ。なんで俺が転校しなきゃなんねぇんだ」
そんなこと言ったって、と真琴が食い下がってきた時、目の前に二人の男子生徒が割り込んできた。
「ちょっと、唯我くんっ……!」
唯我たちの後ろにも人は並んでいる。真琴の静止を無視して、唯我は割り込んできた二人に声をかけた。
「おい、後ろ並んでるぞ」
振り返った二人が唯我を睨みつけてきた。
「あ? 文句あんのか」
今にも殴りかかってきそうな二人に唯我は一歩も引くことなく、むしろ涼しい顔をしている。真琴は唯我の後ろでアワアワと狼狽えている。
「あるに決まってんだろ。俺らの後ろにも並んでんだよ。列守るのなんて五歳児でもできることだぞ。お前らできないの?」
唯我の言葉に間髪入れず、男子生徒は顔面に拳を放り込んだ。真正面から受けたはずだが、唯我は一歩も動かない。
「毎年一人はいるんだよ。こういうヒーロー気取りが。しゃあねぇ、教えてやるか社会の厳しさを」
「俺にやらせてくださいよ。最近暴れてないんで」
少しのやり取りの後、唯我は二人と共に歩き出した。
「あっ、唯我くん!」
真琴の質問に唯我は「すぐ戻ってくる!」とだけ言って二人と食堂から姿を消した。
少しすると、唯我だけが食堂に戻ってきた。真琴は敢えて、二人の行方を聞くことはしなかった。聞かなくとも、大体想像できたからだ。
きっと、あの二人は……。
少しして、食堂の影で顔がパンパンに腫れた二人組が発見された。
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