DAYS1 -6- 『強くなって、頑張るんです』

 ヨミの心の中に色んな感情が浮き沈みしている事がなんとなく見て取れた。それも、それぞれが二律背反しているような感情。彼女を見ていると"強いのだろう、そして弱いのだろう"と言う矛盾めいた印象を覚える。


 意気揚々と話してくれていた講義を中断させた最初のノックの瞬間、ビクリと肩を震わせたのを俺は真正面から目で捉えていた。その後に銃を持つ手が少し震えていた事にも気付いていた。けれど、弾倉を確認していた頃にはもうその震えが止まっているのも見た。尤も、表情だけはやや硬いままだったが。

 

 彼女のソレらの行動は、見栄や強がりの類いとは少し違う気がした。彼女は恐れているのだろう、心は怯えているのに強がっている。だがそれでもそれらを飲み込む本当の強さも持ち合わせているのだ。


 だから、彼女はこの部屋を出ていこうとしている。


 だからこそ、俺は彼女を強いと呼びたいと思った。


 戦士というにはあまりに小柄で、笑えば少女のように見えても、それでも彼女は強く、正しく、言う通りにするのが一番だということが分かった。

「分かった、分かったよヨミ。でも助けてもらった後に感謝の言葉が無きゃおかしいだろ? 最初のヤツの分もまとめてそれを伝える為にも、そっちが外のヤツと共倒れだとか死ぬのも無しだからな」

 始めて彼女の名前を呼ぶ、すると緊張で凝り固まっていたであろう彼女の顔が少しだけ和らいだように見えた。そして、俺の後の言葉を受けて少しだけ目に力が灯っているようにも感じる。

「なるほど……。それも確かに。ほんとのところ、ちょーっとだけ諦めてましたけど、少し頑張れそうです。私、感謝されるの好きなんで!」

 彼女は銃を持つ右手の肩周りをグルリと回した後、グリップを握り直し、今もノックが続くドアと向き合った。

 その手に握られた銃はシングルアクションアーミーと言っただろうか、こんな事ばかり覚えているのも癪だったが、映画でこういう銃を使っているのを見た気がする。実物を見たのは今日が初めてだったが、さっき彼女が六発の銃弾を込めたのを見て、もっと楽な銃が当たっても良かっただろうにと思った。女性が扱うにはどう見ても不釣り合いに見える。そもそも、彼女のような小柄な少女が銃を携えている時点で不釣合い極まりないのだが、扱えているならば問題は無いのだろう。

「もう、何ですか? この子ばっかり見て、そんなに見たってぴーちゃんはあげませんからね! そもそもさっき撃てないの確認したでしょ?」

 彼女は少しむくれた顔で、銃を胸元に引き寄せる。


「あー……、ほんと。話をしていたいのは山々なんです。本当に山々なんですけど、行きますよ。覗き穴、確認してください。開ける時は合図をお願いしますね」

 彼女に促されて覗き穴を恐る恐る覗き込んだ瞬間、俺は息を飲む。


――血走った赤がこちらを見ていた。


 赤く大きく見開いている、その目に食われるのではないかと思う程に、大きなソレがこちらを見ていた。血走っていて、興奮しているのが分かる。この覗き穴の先にいる生物の血液が激しく巡っているのが、見えるかのように、聞こえるかのように思える程の圧。


 顔を近づけた覗き穴の向こうからノックの振動が伝わる。だが聞こえるのは、聞こえていたのは、ノックの音だけでは無い。このドア一枚隔てた化け物が放つのは、不規則に体中をドアに叩きつける音と、その体を通して鳴り響く心音だった。


 体中から汗が吹き出し、ノックの音が鳴る度に一緒に自分の心臓が跳ね回るような思いだった。最初に倒されていたステルス型も確かに吐き気のするような造形だったが、こいつは明らかな異形、知るべきでは無かった生物。

 

 話を聞いて分かった気でいた。彼女がその生物から助けてくれるのだろうと思っていた。武器があれば、なんとかなるのかもしれないと思っていた。


――けれど、それは間違っている。


 ドン、ドン、ドン。

 

 人間の掌より大きな赤い目玉がこちらを見ている。そうして、その化け物の発する不快なノックのリズムが、俺の心音かき消す程の音量でドアを揺らした。

「目しか、見えない」

「だから大型って言ったじゃないですか! とにかくアイツを少しでもぶっ飛ばす勢いで思いっきり開けてください。ほら、合図合図!」


 ヨミの声が右から左へと抜けていく、一緒に心までが体から抜けていくような感覚。この赤は、何を見ているのだろう。向こうから、俺を見ているのだろうか。

吸い込まれて壊れてしまいそうな程の、虚ろな赤、赤、赤、赤。


 俺はもう既に戦うわけでも無いのにも関わらず、その目に捕らわれてしまったかのように、体を動かせずにいた。

「ああもう! 私だってそりゃ怖いんですよ?! 名残惜しいからって長々と話してるんじゃなかった! おにーさんは肝心な時にビビリじゃないですか! 男でしょ! ほらドアノブ握って!」

 彼女の左手が俺の右手を強く握り、ドアノブに無理やり重ねる。痛いくらい強く握られたおかげで、我に返ったような気分だった。

「おにーさんはせっかくそこそこ男前なんだから、何度も言いますけどふてぶてしくかっこつけていてください。女の子の前でビビってるとかダメですよ? 強くなって、頑張るんです」

 また、この声だ。妙な安心感のある、けれど少しだけ厭世を感じさせるような、悲しくて優しい声。一瞬、自分より数歳も年下であるはずの彼女の顔を、ぼうっと見つめてしまった。

「ほーら! 見るのは私の顔じゃなくて覗き穴! さっさと目ぇ醒ましてください。

 いきますよ!」

 気付けとばかりに思い切り手が叩かれ、ドアノブを握る俺の右手から彼女の温度が離れる。俺はもう一度覗き穴を覗き、変わらずこちらを見る赤に、見えているのかどうかは分からないが、今度は無理をして睨みを効かせた。

「じゃあ、三つ数えて開ける。頼んだからな、ヨミ」

 やはり名前で呼ばれるのが嬉しいのか、ヨミが笑顔で頷いたのを確認して、ドアノブに力を込める。

「いち……、にの……、さん!」

 三つ数えた後、俺はドアノブを回し、思い切りドアを蹴り飛ばした。

 

 その瞬間、俺の右にいた彼女が部屋の右方向へと転がりだす。それと同時にすぐさまドアを外から蹴り飛ばしたのだろう。だが、勢いよく閉まろうとするドアが閉まりきりよりも先に銃の発砲音が聞こえた。


 ドアが締められる直前、発砲音が鳴る寸前、一瞬だけ彼女と目が合った。俺の目が未だ恐怖に怯えていたからだろうか、彼女は今から自分が死地に向かうかもしれないというのにも関わらず、ニコリと笑った。

 

 その時の彼女の顔は、一目で恋に落ちてしまいそうな程に綺麗で儚く、優しい瞳をしていた。そして、泣き出したくなる程に朗らかな笑顔だった。


 だから俺は、だからこそ俺もまた、戦わなければいけない。

そんな無謀な事を考えながら、俺は振り返ってアタッシュケースを睨んだ。

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