更衣室での喧嘩

 軍事基地において欠かせぬ設備の一つとして挙げられるのが、入浴施設である。

 兵たちの心身を整えると共に、衛生状態も高めるこの設備があるのとないとでは、継戦能力が劇的に変わってくるものだからだ。


 当然ながら、レソン軍においてもそれは重視されており……。

 ロベを睨む形で仮設された野戦基地にも、簡易ながらシャワー用のテントが設営されているのだ。

 畑から収穫するかのようにかき集められた帝政レソンの兵士たちは、ここで体を清め、明日また働くための英気を養うのである。


 そして、そんな彼らが着替えに使うための更衣室は、交流を深めるのに絶好ともいえる場所であり……。

 内部では、バスタオルを下半身に巻いただけの男たちが、体から湯気を立ち上らせながら様々な話に興じているのであった。

 そして、目下、彼らが最も注目している事柄はといえば、ただひとつ……。

 カルナ・ルーベンス中尉が受領した、太陽鋼社の新型機だったのである。


「聞いたか?

 カルナがテストしているっていう、新型機の話」


 パイロットの一人が、同僚に話しかけた。


「ああ、聞いたぞ。

 何でも、単独でトミーガン三機を向こうに回して、傷一つ負わずに勝ったらしいな」


 話しかけられた方が、答える。

 彼らは共に、カルナと同期のパイロットであり……。

 それだけに、自分たちを追い抜いて中尉へ昇進し、しかも、師団指揮官であるマルティン中将の直属として動いている彼の働きには、注目しているのだ。


「大したもんだな……」


「ああ、本当に大したもんだ……」


 そこまで言うと、二人のパイロットが互いの顔を見る。

 そして、あらかじめ示し合わせたように、こう言ったのだ。


「「機体の性能が!」」


 お互い、会心の笑みを浮かべた。

 打ち合わせもなく、ネタを成立させられた痛快さもあるが……。

 何より、あの同期に対する思いが同じであったことを確認でき、ほっとしたのだ。


「あいつの腕前は、よく知っている。

 まあ、中の中。平々凡々ってところだな」


「ああ。

 そもそも、あいつよりスコアを上げてる奴なんざ、いくらでもいるんだ。

 それを中尉に抜擢して、特務小隊なんぞ率いらせて……。

 中将閣下は、一体何を考えているのやら」


「さあなあ?

 マシーンの考えることなんて、俺たち人間には分かるはずもないさ。

 ただ、一つだけ分かることがあるぜ」


 そこまで言うと、そのパイロットがにやりと笑う。

 しかし、そんな彼の前にいる相方は、少しばかり顔を青ざめさせていたのである。

 笑みを浮かべたパイロットの不幸は、その変化へ気づけなかったことだろう。

 だから、彼は迂闊にもこう言ってしまったのだ。


「カルナの野郎と一緒じゃなかったら、山猫殿は死なずに済んだ。

 ……ん? どうした?」


 彼が相方の変化に気づいたのは、そこまで言ってからであり……。

 彼の視線が、自分にではなく、その背後へ向けられているのにも、今更気づく。

 ならば、己の背後に何かあるのは明白であり……。

 ゆっくりと……錆びついたゼンマイ人形がそうするように、振り向いたのである。

 果たして、そこにいたのは……。


「俺に対して何か言いたいことがあるなら、直接言ってきたらどうだ? 少尉」


 バスタオルを下半身に巻き付けた、カルナ・ルーベンス中尉だったのだ。

 おそらく、シャワーを浴びてきたばかりなのだろう。

 彼の上半身からは、勢いよく湯気が立ち上っており……。

 陰口を叩いていた二人には、その湯気がシャワー由来ではなく、カルナの感情を表しているように思えた。

 そして、それはおそらく、勘違いではないのである。


「こ、これはこれは中尉殿……。

 こんな所で会うとは、奇遇で」


 引きつった笑みを浮かべながら、どうにかそう口にした。

 言うまでもなく、軍隊というのは絶対的な縦社会だ。

 自分より階級が上の者に悪口を叩いたならば、相応の罰というものが存在するのである。

 故に、媚びへつらったような言葉遣いをしたのは、どうにか先の発言を有耶無耶にできないかと考えたからなのだが……。


「質問には答えるものだ。

 俺に対し何か言いたいことがあるなら、直接言ってみたらどうだ? 少尉」


 ――少尉。


 繰り返されたその言葉に、カチンとくる。

 所詮は、若年の士官であり……。

 しかも、日々、ロベの地下に隠れ潜む共和国機との戦闘で、神経を擦り減らしているのだ。

 いかに相手が上官であろうとも、同年代の男から挑発的な言葉をかけられれば、我慢の限界があった。


「じゃあ、言ってやろうじゃねえか。カルナ中尉殿よお……!

 ちっとばかり敵機を撃墜して、喜んでるのかもしれねえが、それはお前の手柄じゃねえ……!

 太陽鋼社の用意した新型が、さぞかし高性能だったんだろうよ!」


雷牙ライガが高性能な戦人センジンであることは、間違いない。

 そして、俺は命令通りにそれで戦果を上げた。

 ひがまれる理由は何もないな」


「てめえが、そんないい機体を回されてるのがおかしいっつってんだよ!

 山猫ほどの英雄と一緒に戦って、ろくに戦果も上げられなかったばかりか、むざむざと死なせちまったてめえがな!」


「そうかい……」


 その瞬間……。

 カルナが見せた笑みの、凶暴さといったら……。


 ――別人?


 頭へ血を上らせていたはずの自分が、一瞬、我へと返り、そんなことを思ってしまったほどなのだ。

 そうして呆けた次の瞬間、カルナの拳が顔面を打ち抜いた。


「おうっ……!? ぐっ……」


「おお、喧嘩か!?」


「やれやれ!」


 口論を見守っていた者たちや、今更ながら騒ぎに気づいた者たちが、次々にはやし立てる。

 何しろ、娯楽というものに乏しい最前線であり……。

 内輪での喧嘩も、自身が関わっていないならば、身近なゴシップとして楽しめるものなのだ。


「……っ!

 んの野郎っ!」


 カルナの一撃は、思った以上の重さであったが、こちらとて鍛え抜いたレソンの兵士である。

 たかが一発でKOされるはずもなく、もう一撃を加えようとしてきたいけ好かぬ中尉に、カウンターの拳を与えた。


「ぐっ……」


 ――会心の一撃。


 そう思えた一発であったが、しかし、カルナはその痛みに怯むことなく、返しの拳を見舞ってきたのである。


「ぶおっ……!?」


「お、カルナの奴、やるじゃねーか!」


「おいおい、このまま一方的かあ?」


 外野が、無責任に騒ぎ立てた。

 ただでさえ、何らかの処分が下されるのは間違いないのだ。

 それに加え、周りが見てる前で一方的にやられるわけにはいかない。

 闘志を燃やし、ファイティングポーズを取る。


「おおっ!」


 先ほど見せた形相といい、タフというよりは、痛みへ鈍くなっているような様子といい、どうもカルナの姿には違和感があったが……。

 殴り合っている内に、その疑念は霧散していったのであった。

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