第二話 故郷のために

未来図

 兵士の訓練といえば色々と存在するが、とりわけ重要なものの一つに挙げられるのが、格闘訓練である。

 確かに、銃の登場以降……いや、それ以前の戦史においても、戦死者の大多数を生み出したのは弓を始めとする飛び道具であり、ましてや、現在戦場の主役となっているのは鋼鉄の巨人――戦人センジンだ。

 生身の人間同士が、これといった武器も持たずに戦うなどという状況は、B級映画の中くらいでしかお目にかかれないだろう。


 しかし、そうだとしても、最後の最後に拠り所となるのが鍛え抜いた己の体であり、磨き上げた体術であることは変わらない。

 ゆえに、この第二〇三地下壕に潜伏する共和国兵たちもまた、暇を縫っては格闘訓練を行っているのであった。


 だが、今日は少しばかり様相が異なる。

 整備ドック内の空きスペースを利用した、簡易な訓練場……。

 床にテープで目印を付けただけのそこで対峙するのは、体格も、性別も、そればかりか年齢すら大きな隔たりがある二人である。


 片方は、二十代後半だろう屈強な兵士……。

 そして、彼と向き合うのは、年の頃十かそこらという小柄な……実に小柄な少女であった。


 ブロンズの髪は、後頭部で二つ結びにされており……。

 面と向き合うのが恥ずかしいのか、頬をわずかに赤らめながらもじもじとうつむく様は、可憐の一言だ。


 普段は専用のパイロットスーツに身を包んでいるが、今は状況に合わせてか、キッズブランド品と思わしき運動着を着ている。

 そんな格好でいると、ますます普通のかわいらしい女の子にしか見えず……。

 とてもではないが、こんな男臭い空間が似合う存在ではない。


 そんな女の子が格闘訓練に挑んでいるのは、彼女もまた兵士であるからだった。


 ――JS。


 なんの言葉を略しているのかは知らないが、彼女らはそう呼ばれている。

 その戦果たるや、抜群なり。

 コックピットサイズの都合上、彼女らにしか扱えない最新鋭の戦人センジンを駆り、すでに何機もの敵機を撃破している。

 しかも、先日はたった三機で、敵の砲撃作戦を未然に防いでみせたのだ。


 確かに、あのタイゴンとかいう新型機の性能は抜きん出ている。

 しかし、その戦果は彼女らJSが機体の性能を引き出しているからこそなのは、もはや疑う余地がなかった。


 そう、彼女らは極めて優秀な……天才パイロットたちだ。

 つまり、その強さは戦人センジンがあってこそ。

 生身同士、真正面から栄光ある共和国軍兵士に格闘戦を挑んで、勝てる道理などあるはずはなかった。


「ララー! やっちゃえ!」


「ケガをさせないよう、くれぐれも気をつけてね」


 訓練場の周囲は、面白い見世物が始まったとばかりに手空きの兵が詰めかけており、さながら人の壁で形作られた闘技場と称すべき光景になっている。

 そんな中、ギャラリーの最前線でララという名の少女を応援しているのは、同じJSたちであった。


 それぞれ、系統は異なるものの、ララと同様の美少女であり……。

 今は友人の勝利を疑わず、気楽な視線を注いでいる。

 その態度が、対峙する軍人の矜持きょうじを傷つけた。


「いいんですか?

 どう見ても、勝負にならないと思いますが?」


 確認のため、少女たちを引率するようにして立つ人物にそう尋ねる。


「構わまいとも。

 むしろ、君がケガしないよう十分注意したまえ」


 ド派手な赤いスーツに、分厚いサングラスが特徴的な人物――ワンは、表情一つ変えずにそう言い切った。

 それがまた、しゃくさわる。

 しかも、JSたちを従えたマスタービーグル社チーフの隣には、この地下壕における最高責任者であり、自分たち第七師団を束ねる師団長――ボリン中将が観戦に訪れているのだ。


 まさかとは思うが……。

 目の前にいるララという少女が、本気で勝つなどと思っているのではないか?

 そのような懸念が、脳裏をかすめる。


 マスタービーグル社がここにチームを送り込んできた目的は、新型機及びそのパイロットであるJSの実戦試験と売り込みであった。

 となると、このような場にわざわざ中将を呼びつけたのは、生身の格闘戦における彼女らの力を見せつけるためと予想できるのだ。


 ――舐めやがって。


 まだまだ若い兵士が、怒りに眉をひそめる。

 あのJSという少女たちは、おそらく普通に生まれた人間ではない。

 なんらかの人工的措置によって生み出された、デザイナーベビーのような存在であろう。

 だが、そんなことは関係ない。


 その内にどれだけの才能を秘めていようが、現時点での筋肉量が見た目以上に増えるわけではないのだ。

 彼女の打撃など、どれだけ完璧なフォームで繰り出されようと、蚊の食うほどにも思わぬだろう。


 注意すべきは金的など、軍隊格闘ならではの急所攻撃であるが、初めから警戒していればそうそうもらうものではない。

 マスタービーグル社には悪いが、やはり、この勝負は決まっているとしか思えなかった。


 となると、最も気をつけねばならないのは、敬愛する中将閣下の前で女児にケガをさせて、失望を買うこと……。


 ――そのことだけは気をつけないとな。


 そう考えながら、静かに身構えた。

 低く構えて寝技での制圧を狙った姿勢は、レスリングのそれにもよく似た構えである。

 これは、自分より圧倒的に背が低いJSを素早く、それでいてケガをさせぬよう制圧するための選択であった。


 対する、ララという少女の構えは、片足を前に出し、両手は上下に突き出されるというものである。

 すり足を軸とした動きから見るに、東洋系……それもジャパンの武道であるらしいことがうかがえた。


「ほう……」


「案外、仕込まれているぞ」


 ギャラリーたちから、そのような声が上がる。

 少女の構えは、なかなか堂に入ったものであり、一朝一夕でできるものではないことを見抜いたのだ。


「そうはいっても、あの体格差ではな……」


「ジュウよくゴウを制す、だったか?

 それにしたって、限度というものがある」


 しかしながら、それでいてなお、若き兵士の勝利を疑う者はいない。

 格闘戦における対格差の重要性は、いまだ開催されているオリンピックのジュードーが階級別で分かれていることからも明白なのだ。

 ゆえに、恐れる必要も、警戒する必要もない。


 ――押しつぶす!


 その一念でもって、素早く踏み込む。

 スポーツの試合ならばともかく、これは仮にも軍の格闘訓練であり、始まりの合図など存在しない。

 両者の準備が万全ならば、その瞬間に勝負は始まっているのだ。


 地を這うようなタックルを、ララは冷静な眼差しで見つめていた。

 このような攻撃に対し、通常、有効とされているのは上から押さえ込むか、あるいは膝を合わせるかのどちらかである。

 対格差と筋力差がある以上、当然、少女が選ぶのは後者であると誰もが考えていた。

 考えていた、が、


「な……え……?」


 タックルを仕掛けた兵士が、格闘訓練中にあるまじきほうけた声を吐き出す。

 しかし、それも無理からぬことであろう。

 相手を押さえこもうと突き出された、彼の両手……。

 迎え撃つララは、これに真っ向から手を合わせ、押し合いの形を選んだのだ。

 いや、驚愕きょうがくすべきなのは、そればかりではない。


「おいおい、力を抜いてやっているのか?」


 ギャラリーの一人が、思わずそのようなことを尋ねる。

 互いの両手を合わせ、押し相撲状態となった二人……。

 誰がどう見ても、即座に少女が押しつぶされて終わると思われたそれが、拮抗状態となっているのだ。

 いや、それどころではない。


「おいおい……」


「押し返されてないか……?」


 異変を感じたギャラリーたちが、そうつぶやく。

 彼らの言葉通り、ララの方が少しずつ……だが、着実に兵士を押し戻しているのである。

 よわいにして十を超えるかどうかという少女が、屈強な兵士を押し返していく様は、まるでトリックフィルムのようであった。


「うっ……うおっ……」


 押されていく兵士が、とうとううめき声を漏らし始める。

 呼吸が乱れたその瞬間は、決定的なスキだ。


「――ふっ」


 ごく短いかけ声と共に、ララが技を繰り出す。

 完全な力負けを喫していた兵士は、これに抗うことがかなわず、軸足を見事に刈り取られた。


「――うぐっ!」


 情け容赦のない刈り技により、若き兵士が背中をしたたかに打ち付ける。

 そこを追撃するべく、少女が馬乗りとなった。


「そこまで」


 ワンが制止の声をかけたのは、その時である。

 まさに、間一髪。

 兵士の顔面めがけて放たれた拳は、鼻先のところでぴたりと止められていた。


「ララ、君の腕力で殴りつけてしまったら、彼はしばらく戦線復帰できなくなってしまうぞ?」


 両手を腰にやったワンが、そう言いながら少女をたしなめる。


「あ、わたしったら!」


 それまで無表情に兵士を圧倒していたララは、ハッとした顔になると、慌てて馬乗りにしていた兵士から飛び起きた。


「ごめんなさい!

 おケガはありませんか?」


 そう言いながら、心配そうに兵士の顔を覗き込む姿は、心優しい少女のそれでしかない。

 とてもではないが、鍛え上げられた共和国兵を一方的に倒した強者つわものには見えなかった。


「ああ、いや……。

 大丈夫だ」


 一方、倒された兵士の方は差し伸べられた手を取ることはせず、自力で立ち上がる。

 ただでさえ、完敗を喫しているというのに、その上助け起こされるなどというのは彼のプライドが許さなかった。


「信じられんものだな。

 格闘技の技術的に制するのではなく、単純な力でさえも大の男を上回ってみせるとは」


 そんな光景を見ていたボリン中将が、感心を通り越してあきれに変じた溜め息を吐き出しながら、そう告げる。


「あれは、彼女だけが特別なのかな?

 それとも、この子たちも?」


 そう言いながら視線を向けたのは、勝利した姉妹に拍手する残りのJSたちであった。


「もちろんです。

 レコやナナが相手を務めたとしても、大同小異の結果となっていたことでしょう」


 尋ねられたマスタービーグル社のチーフは、少女たち……いや、自社の商品に関して、はっきりとそう告げてみせる。


「彼女たちは、タイゴンを皮切りとした新規格機のコックピットに対応するため、製造過程において、特に体格面では入念な調整を施されています。

 ジャストソルジャー……JSという呼び名の由縁ゆえんですね」


 その言葉を聞いて兵たちが思い浮かべたのは、たった今、話に出てきたタイゴンという名の新型機だ。

 敵味方問わず主力としている戦人センジン――トミーガンとはかけ離れた、スマートな人型。

 四メートル級のサイズでそれを実現しているわけだから、当然ながら胸部のコックピットは非人道的といっていい狭さになる。


 ――性能を追求した結果、通常のパイロットでは搭乗できぬほど操縦席が狭くなってしまった。


 ――ならば、その狭さに対応できるパイロットを用意し、セットで販売すれば良い。


 マスタービーグル社が、この問題を解決するべく考え出した答えは、そのような狂気に満ちたものだったのだ。

 いってしまえば、戦人センジンというハードと、パイロットというソフトの抱き合わせ販売である。


「しかし、ただ新型機を上手く操縦できるだけの兵では、商品価値が低いというもの。

 彼女たちJSは、筋肉と骨格にも遺伝子レベルで調整が施され、常人をはるかにしのぐ身体能力が備わっているのです」


 ワンの言葉が正しいことは、たった今、実証されたばかりだ。


「なんともまあ、驚くばかりだ。

 いや、いっそあきれたと言った方が、正しいかもしれん」


 ボリン中将は、生贄のような形になった若き兵士を見やりながら、深い……実に深い溜め息を漏らす。

 そう遠くない未来、戦場という一種の聖域が、自分たちの知るそれではなくなる……。

 この溜め息は、それを直感した老兵の嘆きでもあった。


「いずれ、私たちのような将兵はいらなくなりそうだな」


「閣下、それこそが我々の提案する未来図です」


 ワンは、淡々とそう告げたのである。

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