地下壕で見た天使
「それじゃ、さくせんセイコーを祝って…。
カンパーイ!」
『小学校』内に設置されたタープテントの下、ティーカップを掲げたナナの言葉が響き渡った。
「もう、ナナったら……。
紅茶とケーキで、乾杯もないでしょ?」
「気分だよ! キ・ブ・ン!
あたしたち、今回はイッパイがんばったんだもーん!」
あきれ顔でたしなめるレコへ、金髪の少女は元気いっぱいに答える。
「わあ……すっごく美味しそう!」
二人がそんなやり取りをしている一方、ララはといえば、テーブルに用意されたチョコケーキへ釘付けとなっていた。
「これも、
「ああ。
と、いっても大したことではない。
ケーキ作りは、得意分野だからな」
ケーキを均等に切り分け、自らも席に着いたワンが涼しげな顔で答える。
「まあ、さっきのナナではないが、今回は難しい局面でよく判断し、作戦を成功に導いてくれた。
先ほど報告したが、上もこの結果には満足していたよ」
「ほんっとーにくろーしたんですからね!
だって、現地に行ったらロケットどころか、人一人いなかったんですから!」
「ちょっと、ナナ!」
フォークの握られた手で大げさなジェスチャーを交えながら話すナナに、レコが慌てて待ったをかけようとした。
「いや、ナナが文句を言うのはもっともだ。
正確な情報を得て、的確な作戦を立てるのが僕たちに求められている仕事だからな」
しかし、ワンはサングラス越しにもそれと分かる真剣な顔で、その苦情を受け止めたのである。
「もちろん、全てが計画通りにいくはずもない。
戦場というのは、とかく想定通りに事が運ばないものだ。
しかし、僕の立場でそれを言い訳にするのは怠慢だよ。
あらためて言おう。
こちらの指揮が行き届かなかった中、よくやってくれた」
「
「わたしたちは、何も……。
全部、レコちゃんが考えてくれたことですから」
「ねー!
これからも、天才指揮官レコちゃんにお任せ!」
ララとナナが、ケーキを食べる手は止めないまま口々に姉妹を讃える。
「もう、二人とも本当に調子がいいんだから……。
でも、そうね。
これからも、最善は尽くすわ」
黒髪を撫でる仕草は、本人も意識していないレコの照れ隠しだ。
「さて、固い話はここまでだ。
せっかく、美味しいケーキとお茶があるんだ。
後は、難しいことは考えずこれを楽しもうじゃないか」
作戦の疲れもあるだろうが、三人とも年頃の少女らしい旺盛な食欲でケーキを食べ尽くし……。
その合間を埋める他愛もない会話は、尽きることがなかった。
その姿だけを、見たのならば……。
とてもではないが、夜を徹して
--
時代も国も選ばず、子供の仕事といえば二つを挙げられるだろう。
一つは、学ぶこと。
人生において吸収力の最も高い時期を学びに費やすことは、得られた知識以上の副産物をもたらしてくれる。
そして、もう一つは、これは当然、遊ぶことだ。
幼少期に友人と遊ぶことの大切さは言うに及ばずだが、例え一人遊びの
そして、前者はともかくとして、後者に関しては
「あー、そっち行っちゃ行けねえんだ!
大人にしかられちゃうぞ!」
着の身着のままで逃げ込む形になったため、遊び道具は持参していない。
また、大勢の人間が避難することを考慮したというこの地下基地は、最低限の衣食住を揃えるのに手一杯で、やはり遊ぶための道具は存在しなかった。
しかし、そんなのは関係ない。
友達さえいればできる最高の遊び――鬼ごっこに興じている子どもたちは、狭苦しい通路が複雑に交差している基地内を、縦横無尽に走り回っていたのである。
とはいえ、このような状況と場所であるから、出歩くことを許可された範囲には限界があった。
鬼役から逃げる子供が向かおうとしたのは、民間人の立ち入りを禁じられた区画であり……。
だから、鬼役の少年はそれをいさめたのである。
「なんだよー。
お前、おっかないのか?」
だが、禁じられればそれを破りたくなるのが人情というもの……。
まして、日頃から立ち入り禁止区画に対しての好奇心と想像を膨らませていたこともあり、逃げていた子供は挑発的な言葉を相棒に投げかけた。
「!? 別におっかないわけじゃないさ!
ただ、いちおー心配しただけだよ!」
むしろ、他人との物差しに乏しい年齢であるからこそ、度胸がないとみなされることは何よりの屈辱であった。
ゆえに、鬼役の子供も内心とまったくちがう言葉で返したのである。
「だったらさ、行こうぜ」
当初、鬼ごっこをしていたはずの二人だったが……。
いつの間にやら、遊びの内容は探検へと移りつつあった。
「うっ……」
鬼役の子供は、一瞬だけ
「うん!」
すぐにうなずき、差し出された手を掴み取る。
誘った方も誘われた方も、一人だけだったなら決してしないであろう大冒険……。
二人でなら、怖くはなかった。
「よし! 行こう!」
もし、怒られることになったとしても、その時は一蓮托生であるという了解が気楽さを生み、少年たちの足を軽くする。
こうして、子どもたちの大冒険が始まったのだ。
--
――ある時は物陰に身を隠し。
――またある時は、手近に転がっていたダンボール箱を二人して被る。
少年たちが誰にも見咎められずその区画まで入って来られたのは、彼らの素早い判断や柔軟な発想によるものだ。
また、兵たちもまさか子供が入り込んでいるとは思っておらず、心理的な死角になっていたというのがある。
しかし、やはり一番大きいのは幸運だろう。
「へへ、避難した子供の中で、こんなとこまで潜り込んだのはきっとおれたちだけだぜ?」
「後で、皆に自慢してやろうな」
今さら誰かに見つかってつまみ出されるなどという、つまらない結末になるのを避けるため、小声で会話しながら尚も潜入行を続ける。
そうやって入り込んだのは、こんな地下深くに存在するとは信じられないほどの広大な空間であった。
しかも、ただ広いだけではない……。
打ちっぱなしのコンクリートによって構成された内部は、整備に使う種々様々な機械や道具が見本市のように並べられており……。
その上、知らぬ者はいない戦場の主役――
「すっげー、トミーガンだ!
しかも、一機や二機じゃねえ!」
「ねえねえ! これ、こっそり乗ってみない?」
先ほどまでの、こそこそと隠れ潜む態度はどこへやら……。
全長四メートルもの機械兵士が立ち並んだ光景の迫力に、二人してついはしゃいだ声を上げてしまう。
それが、この整備ドックで働く整備士たちの耳に入らぬわけがなかった。
「おい! 子供が入り込んでいるぞ!」
「『小学校』の娘っ子たちじゃないのか?」
「ちがう! 男の子だ!」
そこから開始されたのは、先ほどまで二人でやっていたそれとは比べ物にならない――壮大な鬼ごっこだ。
そこら中にいた整備士や、機体調整のためここを訪れていたパイロットたちが、作業の手を止め少年二人に向かって駆け出す。
「うわ、やばいやばいやばい!」
「逃げろ!」
冷静に考えて、顔を見られている以上は何をどうしようとお咎めがあるのだが……。
幼年期特有の短絡的思考でもって、少年二人は逃走を
驚きなのは、それがある程度上手くいってしまったことだろう。
「うわ、すばしっこい!」
「こら! そんな所を通っちゃいかん!」
体の小ささという、大人たちに唯一勝っている点を最大限に活かし、少年二人は逃げ続けた。
「あ、『小学校』の方へ行ったぞ!」
ビニールシートを壁に見立てた区画へ向かっていると、背後からそんな声が響く。
「今、学校がどうとか言ってなかったか?」
「そう聞こえたけど、何かの言い間違いじゃない?」
息を切らしながらも相棒と言葉を交わし、ひとまずビニールの向こう側へ逃れようとした。
「――えい!」
何者かに投げ飛ばされたのは、その時のことである。
果たして、何をどうされたのか……。
気がついてみれば、少年二人の体はふわりと宙を舞い、床へ転がされていたのだ。
それだけでも
おかげで、二人の少年は頭も背中も打ち付けることなく、羽毛が落ちるようにやわらかな動きで寝転がることとなったのである。
「えっ……?」
「えっ……ええっ……!?」
もっとも、一連の流れが流麗に過ぎて、少年たちは自分が倒れていると気づくのにすら時間を必要としたが……。
「もうっ……。
駄目だよ。こんな所に入り込んだら」
そう言いながら、倒れる少年たちを覗き込んだのは、自分たちより少しだけ年上の女の子だ。
ブロンズの髪は、後頭部で二つ結びにされており……。
顔つきの愛らしさときたら、つぼみを開いた花のようであった。
身近ないかなる女子よりもかわいらしくて、上品な女の子……。
不思議なのは、自分たちを追いかけ回したパイロットらが着ていたのと、そっくりなパイロットスーツを着ていることだ。
年齢に合わせてダウンサイジングされているとはいえ、彼女の
少年たちにとって、恋だの愛だのは、テレビで耳にする言葉でしかない。
だが、今この瞬間、胸に宿ったものは……これは……!
「おや、彼らが先ほどからドックを騒がせている犯人か」
初恋のときめきを打ち消したのは、子供にも悪趣味と分かる赤いスーツを着た男であった。
男は、分厚いサングラスに隠された目で倒れる少年たちを見やる。
「坊やたち、好奇心旺盛なのはいいことだが、ここ働いているおじさんたちは、君たちのような子供を守るためにがんばっているんだ。
その邪魔をしてはいけないよ」
お説教としては、とてもありふれた内容のそれだ。
しかし、不思議とそれがすっと入ってくるのは、身にまとう全てが嘘臭い男の本心が含まれていたからだろうか。
だが、そんなことはどうでもいい。
「
男を見つめる少女の、顔……。
縁もゆかりもない自分たちには、決して向けられることのない視線が、ただうらやましかった。
「ララは訓練に戻っていなさい。
この子たちは僕が送り届けよう」
「はい!」
ララと呼ばれた少女は、元気に返事してビニールシートの向こうへと消えてしまう。
「さあ、立ちたまえ。
帰す前に、皆さんへしっかりと謝っていかないとな」
こうして……。
少年たちは、憎い男に連れられ、大人たちに頭を下げ続けることになったのである。
余談だが……。
「天使を見た」という彼らの言は、友達の誰にも信じてもらえなかった。
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