第一集 忠義の老将
南北の国境沿いにある大都市・
この寿春の戦いで活躍したのが、
彼はこの時点で六十六歳。前王朝の時代から蕭道成の軍に参加し、既に白髪の老人であるが、未だに武人としての衰えは見せていなかった。
近郊の支流河川である
それは皇帝が手ずから褒賞を与えて賛辞を述べるほどであった。
「勿体なき事でございます」
周盤龍はそう一言だけ答えた。
この言葉は決して儀礼的な建前ではなく、彼の本心そのものであった。元々ただ軍人としての人生を全うできれば良いと考えていた
それが何の因果か、上司である蕭道成が皇帝にまで上り詰め、自身も建国の功臣などにまでなっていたのである。
また
だが一介の軍人に過ぎなかった彼自身はそれすらも過大であると常々思っており、下手に爵位など持っては余計な政治闘争に巻き込まれるのではないかという恐れすらも抱いていた。
ただただ忠節を全うする事を士の本分と考えている彼にとって、功を上げれば上げるほど家格や名声が上がってしまう事は、まさに痛し痒しの状況である。
だが既に還暦を過ぎた彼には、とうに成人した息子たちがいる。自分が得た物が、自分の死後に子や孫の役に立つならばと割り切っていた。
そんな周盤龍が奮戦した寿春の戦いの翌年。
間髪を入れず体勢を立て直した北魏が再び侵攻を開始した。
彼らは前年と同じく寿春に向かうと見せかけて、より東、すなわち
この時の北魏軍は十万に届くほどの大軍勢であった。一方の南斉軍は角城の駐留兵はもとより、淮陽一帯の兵を集めても一万に届くかどうかの手薄な防備。
皇帝・蕭道成は、すぐさま
そうした状況の中で諸将に届いた命令は、淮陽を一旦捨てて敵のいない
圧倒的に不利な戦いで兵の命を無駄に散らすより、援軍到着まで少しでも多くの兵を温存しておけという事だ。
この時、周盤龍はまさにこの淮陽にいたのであるが、包囲されている角城ではなく、少し離れた
周盤龍率いる宿預の部隊は、順当に合流地点まで到達できるであろう。しかし角城には、彼の息子であり周家の嫡子でもある
さて当の角城では、軍主・
しかし彼我の兵力差は圧倒的であり、角城も決して堅牢な要塞ではない。敵に強攻されてはひとたまりもないと判断した成買は、城から打って出ての強行突破を図ったのである。
「ひとりでも多く敵中を突破し、淮陰に向かうのだ!」
こうして角城の将兵は、十倍近い北魏軍へと突撃していった。
しかしこの突破作戦は、ほとんど壮絶な玉砕とも言える死傷者を出し、指揮官である成買も戦死するに至った。
生存者はわずか数百人であり、淮陰に辿り着いた者たちも数人から数十人ずつの敗残兵というべき状態で、誰が死に、誰が生き残ったのかも分からぬ有様なのも当然であった。
悶々としていた周盤龍のもとに、軍主戦死の報告と共に、周奉叔戦死の報告が耳に入る。軍営で食事をとっていた老将は、その報に思わず箸を取り落とす動揺ぶりであった。
淮陽軍主が戦死した以上、都督率いる援軍が到着するまでは、本来なら彼が残存兵の指揮を執るべきである。
しかし彼は己の感情を押さえられなかった。横に控えていた副官である
「そなたらは援軍の到着を待て。それまで動いてはならぬ」
掩忠が疑問を呈する暇すら与えず、すぐさま周盤龍は軍営を飛び出すと、
その方角は、まさに淮陽の角城である。
必死に叫んで止めた掩忠の声も、周盤龍の背中には届かず、むなしく響いただけであった。
既に還暦を超え、名声も地位も過分に賜った自身の人生は、ただ息子へ引き継ぐためだけにあったと思っていた。
しかし、嫡子が戦死して自分が生き残っている。周盤龍にはそれが耐えられなかった。
それは自らの死地を求めて、軍人として最期の華を散らす為の出撃であった。
そんな周盤龍が出馬して間もなく、淮陰に新たに合流者が現れた。角城からの撤退者たちである。
そんな生存者の中に、掩忠は見知った顔を見つけた。それはまさに周盤龍の嫡子である、周奉叔だった。戦死という話は誤報だったのだ。
掩忠は先ほどの事を慌てて周奉叔に伝えると、顔色を変えた彼もまた手近な馬に跨って駆け出していく。
「父上を止めてくる!」
父が死のうとしている時に、息子がそれを守らないなど孝に反する。それが周奉叔の心持ちである。
忠や孝と言った儒教的価値観は、血で血を洗う乱世が数百年続いた事で、この時代には既に廃れていたのであるが、武人気質の彼ら親子は、時代遅れと自覚しながら、それを強く守っていたのである。
十万の兵を擁する北魏軍に向かうは、たったの二騎。明らかに無茶な突撃。ほとんど自殺行為である。
しかし淮陰に集まった兵をすべて集めても数千にしかならず、仮に全員が父子と共に向かっても焼け石に水である。
残された者たちは、援軍到来まで動かない事が正解である。
そして自殺行為に同道しない理由として、彼らは自身にそう言い聞かせていたのである。
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