第二集 死地を求めて

 角城かくじょうの周囲に布陣した北魏ほくぎ軍の軍営に周盤龍しゅうばんりゅうが到着した頃には、既に夜も更けており、軍営こそ篝火かがりびが焚かれて明るくなっていたが、その分だけ周囲は夜の闇に包まれる事となる。

 そんな闇の中で向かってくるたった一騎。兵士たちが気づかぬのも無理はない。例え気づいた兵がいたとしても、数万の兵を擁する軍営に向かってたった一騎である。まさか敵とは思わない。

 そうした状況によって、周盤龍が軍営に切り込むまで、誰一人警戒する者はいなかったのである。それはまさに天運であった。


 突然現れて、軍営を駆け抜けながら、さく(馬上槍)で次々と兵士を貫いて突撃してくる老将。

 慌てた兵士は敵襲だと叫んで知らせるも、数万人の軍営に敵はただ一騎の状態。あちこちから飛び出した兵士の目には、どこに敵がいるのか分からぬ混乱状態が続いた。

 そうしている間にも、によってあちこちに屍が転がり続けるのだ。

 文字通り死をも恐れぬ勢いで陣を切り裂く老将は、陣中全体に響かせんばかりに叫んでいた。


「我こそは南蘭陵なんらんりょうの周盤龍なり! この首を討ち取らんとする者はかかってくるがいい!」


 鬼神の如きその迫力に、動揺した兵士たちが逃げ惑うようになるまで時間はかからなかった。

 角城にいる北魏軍指揮官が混乱を収束しようにも、軍営でかき乱される兵士たちに命令など伝達できない。敵の数も分からず姿も見えず、ただひたすら敵襲の報告が入る。

 眼前で右往左往する兵士たちの姿を、ただただ見ているしかできない状態に陥ったのである。


 そんな北魏の軍営に、もう一騎の将がさらに突入したとて、気づく者は誰もいなかった。

 それは周盤龍の息子・周奉叔しゅうほうしゅくだ。

 父の無茶を止めるためとはいえ、自身も父と同じ事をしているのである。数万人がひしめく中で、目当ての相手は一人だけ。はやる気持ちとは裏腹に、簡単に見つけられるものではない。

 そうして逃げ惑う兵士たちを縦横無尽に切り裂いた二騎は、しばらくの後にようやく合流するに至る。


「父上! ご無事ですか!」

「奉叔!? 生きておったのか!」

「話は後です! 今はまず離脱を!」


 戦場で再会した父子は頷きあうと、逃げ惑う兵士を蹴散らして、そのまま合流地点である淮陰わいいんへと走り去っていった。

 彼らに対する敵からの追撃は無かった。


 追撃が無かった事も無理はない。

 敵がたった二騎であった事に残された北魏軍が気づいたのは、とうに親子が立ち去ってからの事である。

 その被害は甚大であった。

 周盤龍・周奉叔の槊によって貫かれた者も勿論ながら多数に上ったが、大勢が混乱し逃げ惑った事で、押し合い、踏みつけ合い、圧死した者や骨折した者など、その影響は何倍にも上り、逃亡して戻ってこない者も含めれば、万を数える被害を出していた。

 残った兵たちも恐怖に震え、士気はどん底にまで落ちていたのである。

 こんな状況で、敵の本隊を迎え撃つ事など出来ないと指揮官が判断するのも当然であった。北魏軍は手に入れた角城を放棄すると、すぐさま撤退する事になったのである。




 さて、南斉の本隊を率いている李安民りあんみんの耳には、角城を守備していた成買せいばいの戦死、角城の陥落、そして周盤龍の突入など逐一の報告が入っていた。

 李安民としては、皇帝から信頼されている老将の戦死だけは何としても避けたかった。例え角城を奪還しても、宿将の命は取り返すことができない。

 何よりそれによって兵の士気が消沈すれば、角城奪還すら危うくなるのである。


 しかし、合流地点に到着した李安民の目には、返り血と砂埃にまみれながらも無事な姿の周盤龍が映った。そして同時に、角城から北魏軍が撤退を開始しているという報告も入ったのである。

 安堵の笑顔でねぎらった李安民に対し、周盤龍は気恥ずかしそうな笑顔で答える。


「この老骨、また死に損ないました」




 後世に残る史書に、この戦いは以下のように書かれている。


父子兩匹騎,縈攪數萬人,虜衆大敗。

(父子の二騎で数万人をかき乱し、虜衆(鮮卑族)は大敗した)


衝東擊西,奔南突北,賊衆莫敢當。

(縦横無尽に駆け巡り、敵軍は手も足も出なかった)


盤龍父子由是名播北國。

(これにより周盤龍・周奉叔の父子の名は、北朝にまで轟いたのである)






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