周公が来た!

水城洋臣

序幕 南北対立

 かつて中華全土を統一していたかん帝国が崩壊し、その後に訪れた三国時代を経てしん王朝が天下を得た。しかし晋朝が成立して間もなく、漢代から虐げられていた胡族こぞく(北方騎馬民族)が立て続けに決起。

 晋朝は南の長江流域に追いやられ、北の黄河流域では多くの部族が割拠する五胡十六国ごこじゅうろっこく時代となる。

 その後、百年以上の乱世を経て、黄河流域は鮮卑せんぴ族が治める「北魏ほくぎ)」が統一。そして同じ頃、漢族の治める長江流域の晋(東晋とうしん)もまた「そう劉宋りゅうそう)」へと変わっていた。

 鮮卑族の北朝と、漢族の南朝が天下を二分する南北朝時代が到来したのである。


 そんな南北朝時代に移ってから半世紀。南朝では再び王朝が崩壊する。宋の軍人であった蕭道成しょうどうせいが一大軍閥となって国政を牛耳り、遂には皇帝の座を奪うに至る。

 ただこれは、度重なる北朝との戦争で順当に戦功を重ねた叩き上げの軍人である蕭道成が、宋の皇族や門閥貴族から疎まれ、排除されそうになった事に端を発する為、一概に蕭道成を悪と断じるような話でもない。

 嫉妬と憎悪が渦を巻く政治闘争が、行き着く所まで行ってしまった結果である。


 とにかく、新たに南朝の皇帝となった蕭道成は国号を「せい」に改め、新たな国家体制を作り始めていた。

 しかし蕭道成によって国を追われた宋の皇族である劉昶りゅうちょうが、漢族としての誇りを捨てて鮮卑族の治める北朝へと亡命した事で、北朝は彼を旗印に、すぐさま南征を開始した。

 こうして南北の国境紛争がにわかに激化する事となったのである。


 時に、南斉の建元けんげん三年、北魏の太和たいわ五年、西暦にして四八一年。蕭道成が南斉を建国してより三年目の出来事である。






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