第10話

『今日は来客が多いな』


 入室早々、上体を起こしていたアキ君はベッドテーブルの上に置かれたノートの左端にそう書いて見せて来た。


「休日だからじゃないかな? それに私は元々くる予定だったし」

『着替え持ってきたんだっけ。ありがとう』


 ノートには最初の文から一行空けてそう書かれていた。

 簡素ながらも感謝の気持ちが伝わってくるようで少し心音が大きくなっているのを自覚しながら、まずは着替えの入った袋を渡した――ところで私は違和感に気づいた。


「……そういえば、スマホは使わないの?」

『ここ病院』

「え? でも前は使ってたよね?」

『アレは例外。オレの字が下手過ぎて特例で許可出てた』

「アキ君のミミズ文字は私もよく知ってるけど……今は違うよね?」

『練習したから』


 そうノートに書いて、アキ君はベッド横の引き出しから封筒を取り出す。表にはテレビコマーシャルで一度は見かけたことのある有名通信教室の名前がでかでかとプリントされており、中には資料や冊子が数冊入っていた。

 どうやらアキ君はボールペン字講座を始めていたようで、『数日だけど見違えるもんだろ』と少し自慢げに書いていた。

 ただ――


「……これ1日20分って書いてあるけど?」

『ここ数日誰も来なくて暇だったから猛練習した』


 資料の中には勉強計画の例のようなものもあった。そこでは一週間かけてひらがなを奇麗に書けるように~と書かれていたためそれに触れてみれば、本当に暇だったんだ、と苦笑半分に肩をすくめてアキ君は更に書き続ける。


『それに画数多いのはまだ汚くなるし』


 そう書いた下に、アキ君は『鬱』の字を書いて見せてくれた。確かにバランスは悪いと思うけど、以前の文字と比べたら全然読めるくらいだ。というか私より奇麗になっているのではないのだろうか。私も下手ではないけど上手でもないくらいなので、もしかしたらアキ君の入院中に私の方が字が下手になってしまうかもしれない――

 ノートを眺めながらそんなことを考えていると、アキ君は何かを思い出したかのようにノートを180度回転させて少し長めの文を書き始めた。


『そういや期末テスト受けれる。補修枠になるけどって猪能いの先生がここで出来るよう取り計らってくれた』

「え、よかったね! でもそれ何時なの?」

『二十日』

「あ、普通に補修と同じ時期なんだ」

『そりゃそうだろ』


 あー、まあ学期末だし年末だし当然か。

 だけどそうなると、あまりお見舞いに来ない方がいいのかなぁ。ペン字講座はさておくとして、リハビリもあるだろうし勉強に時間を割きたい筈。来ても邪魔にしかならないよね。


「……休日は来てもいいかな?」

「――」


 アキ君は拒絶と捉えるには穏やかな様子で首を横に振りながらノートに書き始めた。

 また長文なようなので、暫く待つ。だけど好奇心が顔を覗かせ、ちらりと書いてる文の一行目を読んでしまった。


『いつでもこい』


 上下逆だけど、とても見やすくなったお陰か、そう書いてあるとはっきりわかった。

 アキ君は私が盗み見したことに気づいたのか、顔をあげて少し口角を吊り上げて書きかけの文をくるりと回して私に見せて来た。


『正直ずっと勉強漬けってのも柄じゃないし、親しい人と喋れるならそれに越したことはないしな。』


 読み終わるのと殆ど同時に、またノートが机の上で回った。


『それにずっと一人だと寂しいから。来てくれると助かる』

「アキ君……」


 普段のアキ君からは聞けないような (声ではなく文字だけど)言葉に、私は目を見開いてアキ君の顔を見た。アキ君は少し顔を赤くして更にノートに文を書いた。


『あでも虎太朗こたろうから告られてるんだっけ?』

「虎太朗?」


 そんな名前の知人いないけど……と首を捻っているとどこか呆れた様子でノートを書き始める。


『三伏虎太朗。ゆっこに告白したオレの友人』

「あ……その、断るつもりだから」


 私の言葉に驚いてアキ君は一瞬固まった。

 されるとは思ってもみなかった反応に、私は無意識に余分なことまで言ってしまったかと少し混乱する。


「えっと……駄目、かな?」


 我に返ったらしいアキ君は素早く文を書き始める。短い文を書いて一度半分回したので、私はそこに書かれた文章を読み始めた。少し雑になっているけれど、これまでの物と比べれば全然文字としての形を成しており読むのに問題なかった。


『いやオレはが受けようと拒もうとその意見を支持する。』


 少し時間がかかったのが丁度よかったのか、読み終わったタイミングでペンの走る音が止まり、またノートが回転する。


『いい奴だし、友人も大事だけどさ、それよりもゆっこに幸せになってほしいってのがオレの優先順位なんだ。』


 ドクンッと一つ心臓が大きく跳ねた。まるでプロポーズのような言葉だったのだから仕方ないだろう。無論、少し考えればあくまで『私の』幸せを願ってるだけで、私を幸せにする、じゃないのでプロポーズとは遠くかけ離れたものではあるのだけど。

 それでもそうに思っててくれたんだという事実で少し嬉しくなる。

 更に文章が追加された。


『ゆっこの場合断るシチュエーションで困ってそう』

「う……」

『図星。今更些細な隠し事なんて出来る仲じゃないだろ』

「それもそっか……」


 人生の大半の思い出を共有してるということは、同じ時間を過ごしているのと同義なのだ。だからまあ悩みどころとかは簡単にバレるのだろう。私もアキ君が勉強でわからないところとか一瞬でわかるし。


「うー、どうしよう……」

『普通に断れば?』

「普通って? 例えば?」

『会ったら断る』

「それはそれでどうなんだろうって思うけど」

『だったら呼び出して断れば?』

「そっちの方が普通な断り方なんじゃないかな」

『現代風じゃないけどな』


 でも現代風そういうのは好きじゃないだろ。と言外に言われて、どっかの誰かさんもそうでしょと内心で呟きながら「確かに」と言って込み上げて来たままに笑う。

 そんな感じで会話をすること暫し、突然アキ君のスマホが鳴った。


『そろそろ昼食べないと』

「え?」


 そう書かれたノートを見て、私も時刻を確認。

 ……なんかもう一時間以上経ってるんだけど。

 さすがに長居だなと反省して、私は帰り支度をする。

 あ、そういえば――


「あ、これなんか大事らしいプリント!」

『サンキュ』


 苦笑しながらファイルごと受け取って、アキ君は私が帰り支度をしている姿を眺める。気恥ずかしさに耐えながらファイルを入れていた鞄を持って、私は席を立つ。


『無理はすんなよ』

「――うん。じゃあまた明日ね。アキ君」

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