第3話

 その日は寄り道もせず家に帰った……と思う。どうやって帰って来たかは全くわからないけれど、私の帰宅に驚いた様子を見せたお母さんを気にかける余裕もなく、すぐに二階にある自室へと籠った。微かに入ってきている夕焼けを明かり代わりに制服をクローゼットのハンガーにかけ、私は背中からベッドに寝転んだ。


「……どうすればいいんだろう」


 脳裏を過るのは先程の、三伏君からの告白だ。

 好き――そう言われて嫌がるような尖った性格はしていないけれども、殆ど知らない人から好意を示されては反応に困る。

 もともとアキ君の事故からアキ君の入院、そして明言こそされてないけれど、昨日のアキ君の勝負引退宣言でいっぱいいっぱいだった私の頭は悲鳴すら上げているように思う。だからあまり嬉しいとは思えなかった。


「……どうしたら、いいんだろう」


 目下の課題は三伏君からの告白の返事だ。後でいい……と彼は言っていたけれど、今日は木曜日。明日も学校はある。保留していれば絶対気まずくなり、相手からアクションを起こしてもらわなければ一生返事も出来なくなるだろう。

 故に考える。明日にでも返事をするために、三伏君がどういう人かを。

 しかし正直なところ、私は三伏君の為人を全く知らないと言っていい。知っていることと言えばクラスメイトであること、同い年であること、サッカー部に所属していること、そしてアキ君と仲がいい事くらい。前二つは統合してもいいくらいだから実質三つ。片手の指で数えられる程度、性格すら全く知らない状態なのだ。

 だからこそ疑問が次々と湧いてくる。告白した理由、アキ君と仲がいい理由、私を好きになった理由……本当に好きなのか。


「好き、ってなんだろう」


 思えば私は恋愛的な『好き』とは縁のない人生を送ってきていたように思う。無論、お父さんとお母さんは好きだ。だけど異性の好きではなく親愛からくる好きだとは理解している。

 他は……なんだろうか。アイドルも、動画も、俳優も、好きか嫌いか聞かれれば好きと答えるけれど、その好きもまた異性に対するものじゃない。そもそも動画は異性云々と関係ない、という雑念はさておき。

 では……アキ君はどうなんだろう。少なくとも嫌いじゃない。幼い頃から家族のように育ってきて、楽しいことも辛いことも共有してきた最も近しい男の子。今までだって競争と銘打ってテストの総合点で一喜一憂するくらいの仲だ。今は……わからないけど。


「好き……なのかな」


 嫌いではない。学校ではあまり関わらないけど、仲だってそこそこいい自信はある。そもそも異性で明け透けに意見を言える相手はアキ君の他にいないし、アキ君もまた私には結構明け透けなく意見を言っていると思う。

 だからこそ、わからない。好きなのか、無関心なのか、はたまた嫌いなのか。

 好きなら、もっと自分を知って欲しいと何でも言えるだろう。だけど言ったら嫌われてしまうかもしれないと、言うのを憚ることだってある筈だ。

 無関心なら、相手にどう思われようと知ったことじゃないと割り切って何でも言えるだろう。だけどそれで周りからの印象まで下げてしまうかもしれないと、言うのを憚れることだってある筈。嫌いも同様だ。


「アキ君……」


 アキ君はそのどれにも当てはまらないと思う。

 きっと嫌われるようなことも言ったし、印象が変わるようなことも言ったと思う。だからこそ好きなのかもわからない。



『――雪葫ー、そろそろ晩御飯よー』


 ふと、廊下にお母さんの響いた。いつもより早いなぁと思いながらベッドから降りて、放り投げていたカバンから手探りでスマホを取り出して時刻を確認すると、時刻は19時過ぎを指していて部屋の中はほとんど真っ暗だった。

 想像以上に思考に耽っていたことに驚きながら、私は感覚だけを頼りに一階に下りた。


■■■■


「ねえお母さん」

「? どうしたの?」

「お父さんとの馴れ初めってどんな感じだったの?」


 夕食後、日課となった食器洗いを終えた私はお母さんにそんなことを聞いていた。

 非常に唐突だし、そうした話を私から振ったのは珍しいことだと自分でも思う。だけどお母さんはそれを指摘せず、少し迷った様子を見せてから口を開いた。


「んー、私とふゆさんはね、高校で知り合ったのよ。部活が一緒でねー、それが縁で惹かれ合ったの」

「どんな部活入ってたの?」

「写真部。意外でしょ? 私の通ってたところは部活には絶対入っておけって場所でね、殆ど活動もない写真部は私に丁度よかったの」

「お父さんは普通に写真部に入ったの?」

「ううん。冬さんも私と同じ理由。だから写真なんて撮ってなかったし、趣味でもなかったかな。撮っても部活の備品のカメラで、下手な写真を量産するだけだったよ。

 まあそんなだったから、結構気が合ったの。早い頃から打ち解けてたし、高校生活の大半は一緒にいたなぁ……」


 そこで言葉を切ってお母さんは頬杖をつき、目を閉じた。


「でも冬さんは意外と凝り性でね、いつだったかツーショットを撮った時、全然いいのが撮れなくて悔しーって言って、カメラに目覚めたの」

「その頃には付き合ってたの?」

「どうだったかなー。ちょうど付き合いたてだったかも」


 それからも幾つかお父さんとの思い出をお母さんは語ってくれた。

 最後のテストでお父さんに総合点が勝ったこと、遠足で二人して迷子になって皆より先に無断で帰って怒られたこと、授業中にお父さんに悪戯してたこと……その中には惚気もあったけど、言葉の端々から楽しかったということが伝わってきた。共感すらした。


「いつから好きだったの?」

「最初から……って言いたいところだけど、今のような『好き』を自覚したのは二年に上がってからかなぁ」

「何かあったの?」

「冬さんが告白されたの」


 思い出すのも嫌そうにお母さんは話し始めた。


「その頃はいつも一緒に帰っててね。別に帰る約束はしてなかったんだけど、どっちかが遅れてる時は待ってるのが習慣になってたの。

 それで冬さんが告白された日なんだけど、私がその日は待ってたの。ただまあ、少し寒かったから暖をとるついでに冬さんを迎えに行ってみたら、告白されてて──」


 声を遮るようにインターホンが鳴る。お母さんは表情を一転、満面の笑みという言葉の具現化したと言っても過言ではない顔で玄関に向かった。

 私も少し遅れて玄関に向かう。


「ただいまーっと、珍しいな。雪葫も出てくるのは」

「おかえりお父さん」

「おかえり冬さん、ご飯にする? お風呂にする? それともわた――あうっ」

「娘の前で何言ってるんだ」


 そう言いながらお母さんの頭に軽くチョップして、お父さんは「いつも通りご飯だよ」と言った。


「それで、何かあったのか?」

「別にー? ちょっと二人で話してたの」


 ねー? と茶目っ気たっぷりな言動で話を振られたので、私は正直に頷いた。


「どんな話だ?」

「私たちの学生時代の話」

「お、懐かしい」


 お父さんは昔を懐かしむように目を瞑る。


「色々あったよなぁ……ってここで話すのもほどほどにしないと冷えるな」

「だねー」


 お母さんは慣れた様子でお父さんの脱いだコートを受け取り「今日もお仕事お疲れ様」と労いの言葉をかけると、お父さんも「そっちもな」と返す。

 聞きなれた会話だけど、実物を見るのは久々だった。最近は見慣れたというか少し気恥ずかしくなって見ていなかったけれど、少しだけお母さんの幸せそうな様子がいいなぁなんて思ったりして。


「そういえば、真雪まゆきが雪葫くらいの時は凄い行動力を持ってたんだぞ」

「そうなの?」

「あ、冬君その話禁止!」

「別にいいだろ。恥ずかしい話じゃないんだから」

「冬君はそうかもしれないけど、私が恥ずかしいの!」


 それから話そうとするお父さんとそれを阻止せんと口を塞ごうとするお母さんの半ばじゃれ合いのような攻防が始まった。

 いつもだったらまたやってると思うくらい仲の良い様子を見ていて、ふとお母さんの話を思い出した。お父さんが告白された、という話だ。

 もしアキ君が誰かから告白されたら――


「(ちょっと嫌、かな……)」

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