第2話

 アキ君は――私もだけど――無条件で負けを認めるような丸い性格はしていない。負けを認めざるを得ない証拠と状況でなければ頑なに認めようとはしなかった。更に相手の勝ち越しや勝ち逃げなんてどちらも断固として認めないから毎度テスト期間は勉強に打ち込む。

 そのように勝って、負けてを繰り返すこと十年以上。総計は計り知れないけれど、今回は初めて、私が不戦で勝ちを手に入れた。

 しかし私の気は落ち込んでいる。アキ君のお見舞いに行った日から早一週間。私の脳裏では病室でのアキ君との会話が昨日のことのようにグルグルと頭の中を回って離れないでいる。

 理由は嫌というほどわかっている。認めたくないのだ。あり得ないと思いたいのだ。しかし記憶にこびりついた文章はそんな願望を瞬く間に壊してしまう。

 学校玄関を前に私は深呼吸を一つする。冷たい空気が肺一杯に入ってきて、思考がリセットされていく感覚を覚えた。

 切り替えないと……とはもう思えない。テスト前ならどうにかなったけれど、次のテストは数ヶ月は先だし、モチベーション維持を行う名目がまずない。私の思考は今回のテストの、悲惨であろう結果に焦点を当てる。

 流石に赤点はないだろうけど、良い点数でもないだろうというのが私の予想だ。何せ一週間前はテスト勉強に全く手が付かずいたのだから。

 憂鬱とした気分が晴れぬまま校舎に入って下駄箱を開け、上履きを取ろうとした時、私の指先に上履きとは異なる少し硬さを感じる物体が触れた。


「……手紙?」


 どうやら上履きの上に薄い便箋が置かれていたようだ。今時珍しいと言うか古典的というか……中身は教室に向かいながら読もうかな。

 靴を履き替えて廊下を歩きながら、私は真っ白な便箋から手紙を取り出す。


猿谷さるたに雪辜ゆきこさんへ

 今日、放課後教室に残っていてくれませんか』


 ……これ、恋文?


■■■■


 放課後になった。今日テスト返却の行われた科目はあるけど、やはりいつもより点数は下がっていた。赤点がなかったのは不幸中の幸いだろう。

 ただ非常に心配されて罪悪感が募ったかな……肉体的にはそれほどじゃないけど、精神的に疲れた。帰ることすら億劫と思い自分の机に打つ伏せるくらいには。このままひざ掛けを毛布代わりにして一寝入りしようかな――


「――待っててくれたんだな。さ、猿谷」

「へ?」


 もう数秒すれば眠ってしまいそう。そんな時に以外にも男子から声をかけられ、自分でも笑ってしまいそうなくらい変な声が出た。

 顔を上げてみれば、見知ってはいる顔の生徒がいた。名前は……三伏みふく君? だったかな。よくアキ君と一緒にいる男子だったと記憶している。

 何故話しかけられたのか……そこまで思考して、下駄箱に入っていた手紙の存在を思い出した。


「アレ、三伏君が差出人だったんだね」

「あ、ああ……」


 よそよそしい様子で頬をかきながら目線を明後日な方向にむける三伏君。

 そういえばどうして呼ばれていたのだろう。何か考えてた気が……。

 疲労で回らない思考を回す。しかし回りきらぬ内に三伏君の口からその答えはもたらされた。


「その……好きだ猿谷」

「……ん?」

「出来れば……その、俺とこ、恋人としてのお付き合いをして……欲しいんだ」


 たどたどしさがありながらも強い意思を感じる言葉が私の耳朶を打つ。驚いて顔を見上げれば、心なしか三伏君の顔全体は赤くなっている。夕陽のせい、なんてことはないと言い切れるような真っ赤さに誠実さを感じた。

 視界情報は平生以上に正確な処理をした脳は、それに反して思考力が停止していたように思う。


「あ、その……答えは後でいい! 今日は、俺が猿谷のことを好きだって伝えたかっただけだから! じゃあな!」


 暫く無言だったことに耐えられなくなってか、慌てふためく様子で矢継ぎ早に言葉を紡ぎ重ね――机の角で数回ほど転びかけながら――教室を出ていく三伏君の後ろ姿を呆然と見送る。


「……え?」


 どうにか思考が回復して現実に追いついた頃には、教室に私は一人だった。

 半分が茜色に染まった薄暗い教室の中で小さな呟きが自然と漏れた。

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