第5話 異性に対してドキドキしないの

「日野は何食べる?」

「……ポテトでお願いします」

「オッケー。じゃあ、このセットとポテト単品お願いします」


 残りの限られたデート時間で夜鶴を好きにさせる。

 そう意気込んでいた一心だが、映画館を出た直後、夜鶴の提案で入ったファーストフード店で夜鶴に奢られていた。


 どうしてこうなったのかは単純で一心がプレゼントした映画のチケットのお返しをしたいと夜鶴が言い出したから。

 もちろん、一心は断ったのだが対等でいたいの、と夜鶴に押し切られる形で奢られることになった。


「いただきまーす」


 席に着いた途端、ハンバーガーにかじりついた夜鶴は笑顔を咲かせる。次にポテトを数本食べて、ドリンクのコーラを飲んで息を吐いた。まるで、仕事終わりにビールを飲む社会人のように。


「お昼ご飯、食べてないの?」

「食べてきたよ」

「あ、そうなんだ」


 食べるのを止めないまま夜鶴はケロリと答えた。

 さっき、ポップコーンを沢山食べたはずなのに今も普通にご飯時に食べるような量を食べている。てっきり、お昼は何も口にしていなかったからお腹が空いていたのかと考えたけれどそうでもないらしい。

 もしかすると、夜鶴はよく食べるのかもしれない。


「もしかして、引いた? こんなに沢山食べる女の子は可愛くないって」

「そんなことないよ」

「気を遣わなくていいよ。日野が諦めてくれたら願ったり叶ったりだし」

「俺は好きな子が大食いだろうと嫌いになったりしない」

「ちぇっ。幻滅してくれたらいいのに」

「旭は俺に嫌われたいの?」

「そういう訳じゃないけど……日野の気持ちには応えられないから日野が諦めるように私のダメな部分見せていこうかなって」

「無理して食べてるなら止めてよ」

「無理はしてない。美味しく食べてる」


 一心は嫌われようとして夜鶴が無茶をしているのではないかと思ったが、そうではないらしい。

 あっさりと口にした夜鶴を見て安心した。


「そっか。それなら、よかった。だって、どれだけ旭のダメな部分を見せられても俺は嫌いにならないからね」

「じゃあ、私が異性に対してドキドキしないって言ったとしても?」

「……え?」


 食べるのを止めて、夜鶴がじっと見てくる。その紅色の瞳は不安そうに揺れていて、酷く怯えている様子だった。


「私ね異性に対して全くドキドキしないの。男の子が嫌いとか苦手とか生理的に無理とかじゃないのにね。体が何も反応しないの」


 それが、どういう意味なのか理解するのが難しくて一心は呆然と固まった。


「日野はさ、さっきの映画の死んじゃった男の子を見てどう思った?」

「化け物になってでも、主人公の女の子を守ろうとする姿に感動して、泣きそうになった」

「だよね。あんなの実際に目の当たりにしたら誰だってドキドキすると思う。ましてや、二人は両想いだった訳なんだし」


 物語序盤で死んでしまった男の子は終盤、主人公のピンチに化け物になってまで助けようと姿を現した。

 そして、主人公と協力して、敵を倒した。

 しかし、力を使い果たした代償として成仏し、消えてしまうことになった。


 それを覚悟した上で主人公のために行動した男の子のカッコよさや愛の強さに一心は惹かれ、同性であるにも関わらずドキドキしていた。


「でもね、私はドキドキしなかったの」

「それはだって、あくまでもあれは物語なんだし旭がドキドキしなくても当然なんじゃ」


 あれは、作品だ。映像や音楽、声優さんが声を吹き込んで成り立っている。現実ではないフィクションの世界。

 作り物のキャラに惹かれなくても不思議なことではないはずだが、夜鶴は首を横に降った。


「ううん、違うの。どれだけカッコいい男キャラを読んでも見ても私はドキドキしない」

「でも、それも全部作り物でしょ」

「作り物でもね、このキャラが好きってなれば異性にドキドキしてしまうものなのよ。オタクはね。でも、私にはそれが一切ないの」

「俺はそういうの分からないけど……それも、旭がそういうキャラに出会ってないだけなんじゃ」

「現実でもそう。私ね、これまでにも何回か告白されたことがあるの。仲が良かった子。学年で話題になるような容姿の整ってる子。日野よりも素敵な告白をしてくれた子。その誰にも私はドキドキしなかった」


 今思い返せば、夜鶴は一心が告白をしてから今この瞬間も一度足りとも頬を赤くさせていない。

 感情表現が苦手なタイプがこの世には大勢存在していることも理解している。けれど、夜鶴はそういうのが苦手なタイプでもない。楽しければ笑顔を浮かべ、嬉しければ喜んでとちゃんと気持ちを表現している。


 告白されて頬を赤くさせるなど漫画の世界でしかないかもしれない。一心が告白したのは夜鶴だけで、現実はどうなのか知らない。

 でも、もし一心が夜鶴から「好きよ」と言われたら間違いなく赤面してしまうだろう。好きな子に……例え、好きではない子だったとしても好きと言われて体が熱くならないほど一心は冷めていない。


 だから、夜鶴が言うことは本当のことなのだろう。


「急にこんなこと言われても困るよね」

「……ごめん、なんて言えばいいか分からなくて」

「いいよ。私の秘密を知ってるの日野で二人目だけど、誰でも同じ反応すると思うから」

「そんな重要な秘密なのに俺なんかに教えてよかったの?」

「私が周りとは違うってことを知れば日野が諦めてくれるかなって。こんな気味悪い女の子にいつまでも執着させたくないからさ」


 きっと、周りとは違う秘密を打ち明けるのには凄く勇気が必要だっただろう。怯えていたのがその証拠だ。

 それでも、一心のためを思って教えてくれた夜鶴はとても優しい女の子だと一心は感じた。


「気味悪くなんてないよ。旭はとっても魅力的で素敵な女の子だ。自分を卑下する必要なんてない」

「……優しいね、日野は。でも、これで分かったでしょ? 私は日野とは付き合えない」


 きっぱりと言い切った夜鶴はこれまでよりも真剣で決して揺らがない強い決意らしきものが伝わってくる。

 諦めたくない。夜鶴が異性にドキドキしなくても一心の気持ちは変わらなかった。だとしても、夜鶴の秘密を聞いてしまっては押し黙ってしまう。


「ごめんね、この話はこれでおしまい。時間も少ないし、こっからは楽しい話しよ。日野と映画の感想語りたいな」


 明るく振る舞う夜鶴が一心にはわざとらしく見えてたまらなかった。

 けど、残り少ない時間で何が出来るのかと考えれば自ずと答えは浮かんでくる。夜鶴が望んでいることをするしかない。


 一心に夜鶴は付き合ってくれたのだ。

 ならば、夜鶴を楽しませて帰らせる。恋人にはなれなくても、一心がそうでありたい。


「うん、そうしよう。旭はどのキャラが好きなの?」

「よく聞いてくれた。私はね、やっぱり最強の先生かな」

「あの無敵だった人?」

「そう。普段は可愛いのに戦いになれば超強いの!」

「確かに、女の人なのにグーパンの威力凄かったね。山みたいにでっかい化け物もワンパンだったし」

「でっしょー。同じ女として憧れる」

「旭にも誰かワンパンしたい相手が……?」

「いるよ。私につきまとう悪い虫、とかね」

「えっ」


 真っ正面から丸めた拳を夜鶴が一心を狙って突き出してくる。一心は身構える時間もなく、驚いて目を閉じた。

 しかし、なかなか痛みは襲ってこない。

 恐る恐る目を開ければ夜鶴の拳は鼻先で止まったていた。


「なーんて、冗談だよ冗談」

「驚かさないでくれよ。本気でビビったじゃんか」

「あははは、ごめんごめん。日野のこと、殴りたいとか思ってないから許して」


 ケラケラと目に涙まで浮かべながら楽しそうに笑う夜鶴を見て、一心は安心した。ちゃんと楽しんでくれている、と。

 同時に少しばかり悲しくなった。

 こんな風に夜鶴が笑う姿を特等席で見ていられるのも残り僅かしかないことに。


 ――いやいや、いい加減にしろよ、俺。旭は俺のためを思って秘密を打ち明けてくれたんだぞ。それなのに、いつまでも旭に執着して旭の気持ちをむげにすんじゃねえ。

 気を緩めば出てくる夜鶴を諦めたくない思いを払拭するために一心は手のひらを夜鶴に向けた。


「旭、頼む。一思いにやってくれ」

「えー、日野はマゾでもあるの?」

「頼む」


 真剣な眼差しで頼む一心の圧に負けたのだろう。夜鶴は躊躇いながらも拳を作った。


「それじゃ、ほんとにするよ? 痛くても文句言わないでね?」


 心をバキバキにへし折ってほしい一心は頷いた。

 これで、夜鶴を諦めることが出来る。

 そう、どこか自暴自棄になっているのかもしれない。でも、自分ではどうやっても諦められないなら他人に頼るしかない。

 そして、それは関係ない人ではなく好きになった夜鶴にこそ終らせてほしい。


「いくよっ――えいっ!」


 そう期待していたのに夜鶴のグーパンはびっくりするくらい弱かった。

 ――ペシって。ペシって!

 夜鶴の腕には力がないのだろうかと心配になるくらい痛みは感じず、逆に目を閉じて全力を出した感を滲ませる夜鶴に一心はキュンキュンさせられてしまう。


 ――諦めさせてほしかったのにこんな可愛い姿見せられたらますます好きになっちゃうじゃん!

 夜鶴のグーパンに心をバキバキにへし折られるどころか根性を叩き直された気分の一心だった。

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