第3話 なんだか犬みたいだね
夜鶴とクリスマスイブに映画を観に行けるようになった一心は舞い上がり、すっかり待ち合わせの約束をすることを忘れていた。馬鹿である。
その事に気付いたのは二十三日の夜。
二十四日は休みにしてほしい、と頼んだ変わりに出勤することになった日のことだ。
学校にいる間に夜鶴と顔を合わせれば気付いたかもしれないが、学校が終わってすぐバイトに向かったので気にもしていなかった。
だから、急いで夜鶴に連絡を取ろうとしてもう一つ。重要なことを忘れていた。
「……俺、旭の連絡先知らないじゃん!」
真っ先に聞いておくべきことであった旭の連絡先。それすらも聞き忘れてしまっていた一心は超馬鹿である。
連絡手段もなく、待ち合わせの約束も出来ない。映画館に朝一番で向かって夜鶴を待っていてもいいが、この世に映画館なんて幾つもある。夜鶴の住んでいる場所も知らないのにそれは無謀過ぎる出会い方だ。
このまま、待ち合わせの約束が出来ずにデートそのものがなくなってしまうのではないかと一心が顔を青ざめた時、一心のスマホに一件の連絡が届いた。
確認すれば夜鶴の友達からである。
内容は待ち合わせの場所と時間について。それから、バカ、と転送する形で送られてきていた。
そうだ。一心には夜鶴と共通の友人が一人だけいた。彼女を媒体にして、夜鶴に連絡を送ればよかったのだ。
その事にさえ気付かずに焦ったいた一心は夜鶴の言う通りやはりバカだ。
しかし、バカ呼ばわりされた一心は夜鶴からの待ち合わせ場所を指定してきてくれたことに喜んでそれどころではなかった。
――自分から連絡くれるってことは旭もかなり楽しみにしてくれてるんじゃないか? これは、やっぱり、どう考えたって脈アリだろ。
そんなことを考えてしまう。
「よーし。明日は頑張るぞ。おー!」
一人で気合いを入れ、明日のデートに挑む一心だった。
「ちょっと早く着きすぎたかな」
夜鶴が待ち合わせの場所に指定してきたのは映画館も併設されているショッピングモールの映画館だった。
広場で待ちながら一心はスマホで時間を確認する。
約束の時間までまだ二時間もある。
楽しみ過ぎて眠れなかったのと本当に来てくれるのか不安な気持ちが入り混じり、いてもたってもいられずに来てしまった。
「ま、男側が女の子を待つのはデートの鉄則だからな」
夜鶴が来るまでに一心は今日のデートプランの復習をする。
まずは映画だ。映画を観た後は感想を語るためにフードコートにでも寄って、何か食べたり飲んだりしながら過ごす。それからは、色々あるお店を順番に見ながら時間を潰し、最後はここから近くで開催されているイルミネーションを見に行って告白する。
告白のシミュレーションもしっかり行ってきた。
『このイルミネーションよりも輝いている旭が好きです。付き合ってください!』
「――うん、完璧だ。こんなの流石の旭だってどきゅん、って心臓を貫かれるだろ。俺が貫かれたみたいに」
「さっきから何をぶつぶつ言ってるの?」
「え、旭?」
「やっ」
錯覚だろうか、と一心は目を擦る。
しかし、どこからどう見たって手のひらを向けて小さく挨拶みたいなものをしてくる夜鶴である。見間違えるはずがない。時間はまだ三十分も前だというのに。
「随分と早いね日野。てか、なんで制服なの? 学校はもう終わったのに」
「ああ、いや。旭が見つけやすいかなと思って……そういう旭こそ早くないか? 映画が始まるまでまだまだ時間あるよ」
「物販見たかったから」
「なるほど」
一心は夜鶴に少しでも早く会いたくて時間よりもだいぶ早く待っていたが夜鶴はそういう訳ではないらしい。
さっきから夜鶴の視線は物販コーナーの方ばかりを捉えている。
「じゃあ、見に行く?」
「その前に座席確保しちゃおうよ。せっかく、日野も居るんだしいい席確保しよ」
「了解」
一心が用意していたチケットは全国どこでも使えるチケットだ。だから、待ち合わせ場所の約束もしっかりしていなければならなかった。
上映時間も座席も決まっておらず、作品のスケジュールは事前に確認しているが今日は公開初日だ。
空席があるかどうか確かめるためにも券売機の前に移動した夜鶴がタッチパネルを操作し始める。
「日野はどの辺りがいい?」
「旭と隣同士ならどこでもいいよ」
「じゃ、あえて別々に鑑賞しようか」
「なんで!?」
「暗がりで私にいやらしいことするつもりなんでしょ。えっち」
「しないよ!?」
手くらいは繋げたらいいな、とは考えていたがそれはイルミネーションの前での話だ。夜鶴が映画を楽しんでいるというのに邪魔をするようなつもりは一切ない。
「え~ほんとかなあ~信じられないなあ~」
「ほんとほんと。指一本触れないから」
「犯罪者って罪を犯す前はみんな同じこと言うって聞くよね」
「罪を犯す前提!?」
少しも夜鶴に信頼されていないことを知り一心はショックを受ける。肩を落として、あからさまに落ち込んでいれば夜鶴はケラケラと笑い始めた。
「うそうそ。冗談だよ。席はここでいい?」
夜鶴が指定した席は前からちょうど真ん中辺りの右側二つの空席。ちゃんと二人で隣合わせで座れるようになる。
「うん。ここ。ここがいい」
「はいはい」
どうしても夜鶴と隣がよかった一心が食い気味になって頷けば、また夜鶴がクスリと笑った。
その笑顔に一心は心を撃ち抜かれる。
――なんっっっだ、これ。スッゲー楽しい!
まだデートは始まったばかり。映画を見てすらいない。待ち合わせを終えて、無事に合流して十分も経過していない。
だと言うのに、一心は夜鶴が笑う度に楽しくなって仕方がなかった。夜鶴が笑ってさえくれるならどんな扱いでも喜んで受け入れると思えるほどに。
「じゃあ、無事に座席も確保出来たし物販見に行ってもいい?」
「いいよいいよ。俺もついていく」
「日野は待っててくれていいよ。時間掛かるかもだし」
「旭と一緒がいいからついてく!」
「日野がいいなら構わないけど……日野ってなんだか犬みたいだね」
「ワン!」
「お手」
真っ白で少し小さい女の子らしい手が一心に向けて伸ばされる。当然、他の誰でもない夜鶴の手だ。
夜鶴に触れたい一心で一心はさっと手を重ねた。
「ワンワン」
「よしよし。いい子いい子」
「クゥーン」
夜鶴に頭を撫でられ、一心は情けない声で遠吠えした。
男としての尊厳を失いかけているが、もうこのまま犬でいいから一生世話してもらいたい、と本気で考える。
「どうしたら旭の犬になれるんだろう……」
「本気で悩むの止めて。引く」
「始めたの旭だよね!?」
「乗ってきたのは日野でしょ。ほら、行くなら早くしよ」
「ワン!」
物販コーナーに向かって歩き出す夜鶴の背中を追って一心はついていく。
まるで、飼い主と飼い犬だ。
それでも、夜鶴が向かう場所なら一心はどこであろうと尻尾を振りながら共に行く。
「……どうしよ。欲しいのいっぱいで迷う」
物販コーナーにつけば、夜鶴は人が変わったように顎に手を置いて悩み始めた。
どうやら、劇場限定グッズが色々と販売されているらしい。
一心はあまりよく分からないが真剣な夜鶴を見ていれば貴重な物だということだけは伝わってきた。
「旭はどれが欲しいの?」
「パンフレットも欲しいし推しのグッズも欲しいしこれもあれもそれも欲しい」
「めちゃくちゃあるんだ」
「うん……でも、お小遣いは限られてるから慎重に選ばないと。あー、でもー」
頭まで抱え始めた夜鶴。一心はバイトをしているが夜鶴がどうかは分からない。でも、一心の知る限り、夜鶴は放課後図書室にいることが多いから、恐らくは働いていないと推測出来る。
それなら、高校一年生のお財布の紐はそんなに緩くないことを考慮すると夜鶴がああなるのも頷けた。
そして、一心はあることを閃いた。
「それなら、俺が何かプレゼントするよ。そうだな……パンフレットでいい?」
「え、いや、悪いからいいよ。お小遣いの中でやりくりするから」
「遠慮しないで。今日はクリスマスイブなんだから、プレゼントさせてよ。じゃ、買ってくる」
そう決めた一心は完売になる前に急いでレジに並び、夜鶴が欲しかっていたパンフレットを注文してお金を払った。
財布の中身がかなり寂しくなったがこれで夜鶴が喜んでくれるなら満足だ。
「お待たせ。無事に買えたよ。はい」
「……本当にいいの? 後で何か要求されたりしない?」
「そうだなあ……なーんて、何も要求したりしないよ。今日、旭と映画に来られて本当に嬉しいからプレゼントしたいんだ。受け取ってもらえると俺はもっと嬉しくなるから受け取ってくれる?」
屈託のない笑みを浮かべて一心が言えば夜鶴は恐る恐るパンフレットが入った袋を手にした。
「……欲しいなら俺と付き合え、とか言い出すんじゃないかと思った」
「あ、その手があったか」
今になって気付いたふりをする一心には最初から物で釣る気はなく、ただ贈りたい気持ちでいっぱいだった。今は。
「チャンスを逃してしまった。くそう!」
「日野ってほんとバカで抜けてるよね。連絡先だって、今日のために真っ先に聞いておくべきなのに忘れてるしさ」
「それに関しては何も返す言葉がございません」
「ほんと、私の機転に感謝してよ」
「ははあ! 旭さまは天才美人高校生でございますう!」
「あはは。何それ」
一心が夜鶴に平伏する真似をすれば、夜鶴は笑い声を出して楽しそうにしている。
それから、少しだけ照れ臭そうに呟いた。
「……あんがとね」
馬鹿だと罵られてからのそれは不意打ちだった。
――くっ。可愛い!
一心は咄嗟に心の声が漏れないように口を抑えて夜鶴から視線を外した。
「じゃあ、私も会計済ませてくる」
「……行ってらっしゃい」
欲しい物を手にしてレジへと向かう夜鶴を見送る一心は幸せでいっぱいだった。
――もしかすると、俺は今日死んでしまうかもしれない。幸せの過剰摂取で。
そんなことを考えるほど一心は満喫していた。
デートはまだまだ始まったばかりだ。
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