第2話 諦めが悪いジャムパンマン

 放課後の図書室には、図書委員の女の子以外誰もいない。

 つい先日まで行われていた学期末試験に向けてあれほど図書室で勉強する生徒が居たというのに、試験が終われば誰もが興味を失くしたように立ち寄らない。

 しかし、これは仕方がないことだろう。近年、いつでもどこでも気軽に本がネットで読めるように文明が進化したのだ。わざわざ面白い本も少ない図書室で読む必要はなく、利用する生徒が減っているのも当然のこと。


 それに、日野一心にとっては有難い状況だった。静かに読書を楽しんでいる生徒の邪魔をすることなく、告白することが出来るのだから。


 受け付けの席に座りながら、静かに読書している女の子の正面に一心が立てば、女の子は顔を上げた。

 一心の影が読書の妨げになり、少し鬱陶しそうにしながら。


「……何かご用ですか?」

「好きです! 付き合ってください! 一生幸せにしますので!」


 一世一代の愛の告白を一心は行う。

 誰かに告白するのは生まれて初めての一心にとって、告白はもっと緊張するものだと思っていた。

 しかし、逸る気持ちの方が強くて、頭を下げて右手を差し出した今は案外こんなものかと感じる。


「悪いけど、私は誰とも付き合う気がないのでお帰りください。あと、一生幸せとか重たい」


 一心の一世一代の告白は相手にされることもなく一心はフラれてしまった。けど、その程度のことでへこたれるような一心ではない。

 なぜなら、女の子――旭夜鶴はこれまでにも何度も告白を断っていることを事前情報として仕入れているからだ。彼氏がいないことも。

 こうなることを事前に予測出来ていればフラれたショックは皆無である。


「そこをなんとかお願いします! 好きです!」


 読書を再開している夜鶴に一度フラれただけで諦めるような男ではない一心は再度頭を下げて、手を伸ばす。

 しかし、夜鶴は顔を上げてすらくれなかった。この告白はもう夜鶴の中で終わった話なのだろう。

 ――勝手に終わらされてたまるものか。俺はまだ、全然諦めきれてねえ!

 一心は何か夜鶴に反応してもらおうと何度も告白を繰り返した。


「ほんとに好きです!」と言ったり「付き合ってください!」とお願いしたり「結婚してください!」と求婚したり。

 その全てに夜鶴は無反応だった。涼しい顔をしながら読書に夢中になっている。

 流石にここまで無視を続けられては一心も不安になる。自分は存在していないのではないかと。

 ――ふ、ふふ。こうなりゃ最後の手段だ。

 一心はカバンから紙切れを取り出し、読書中の夜鶴を邪魔するように視界に潜り込ませた。


「……何、これ」

「旭、この作品好きなんだろ? せめて、一緒に観に行ってください」


 指で挟んでヒラヒラして夜鶴に見せびらかす紙切れはアニメ映画のチケットだ。

 一心が事前に仕入れた情報によれば、夜鶴は少年向けアニメや漫画が好きらしい。そこで、公開日がクリスマスイブの大人気作品のチケットを用意した。

 本来なら、恋人になった状態で観に行く予定だったがこのままでは叶いそうにない。物で釣るのか、と思われたったいい。物で釣れるなら出し惜しみして後悔するよりはよっぽどましだ。


「……誰から聞いたの?」


 ようやく興味を示した夜鶴に一心は安堵する。とりあえず、本を閉じさせてこちら向かせることには成功した。

 あとは執念深く誘うだけである。


「旭の友達」

「友達……ああ、なるほどね。だから、ジャムパンマンしてたんだ」

「じゃ、ジャムパンマン?」

「毎日、購買のジャムパン買って運んで来てたから私のクラスであなたはそういうことになってる」

「そ、そうなんだ」


 いつの間にか知らない所でアンパンのヒーローの顔を作っているお爺さんみたいな呼び名になっていて一心は驚いた。

 けれど、夜鶴にも声を掛ける前から認識されていたことがとても嬉しく感じる。


「てっきり、あの子狙いなんだと思ってたけど私なんだ」

「そうです。俺は旭夜鶴さんが好きです!」

「そう……でも、私はあなたのこと好きじゃないわ。そもそも、あなたの名前すら知らないのよ。そんなあなたからいきなり好きって言われても――」

「姓は日野。名は一心。誕生日は一月十一日の山羊座。血液型はA型。学年は旭と同じでクラスは三組。好きな女性は旭夜鶴」


 失念していた、と一心は気が付いた。

 名前すら知らない相手からいきなり告白されてもほとんどの人が喜ぶよりも恐怖する方が勝ってしまうだろう。

 だから、一心は夜鶴に安心してもらうために情報を開示していく。


「好きな料理は塩ラーメン。休みの日は一日中バイトに時間を費やしている。趣味は……特になし。強いて言えば、自分が満喫する時間を過ごすこと。それから――」

「もういい」

「え、付き合ってくれるってこと?」

「違うわよ。長いからもういいってこと。別にあなたに興味ないし」

「俺は知ってもらいたい。どれだけ旭が好きなのかを!」


 このままだと、ようやく向けられた夜鶴の意識をまた本に戻されそうで一心は必死になって食らいつく。

 グッと顔を近付けて、無理矢理にでも夜鶴の視界に写り込んだ。


「旭を一目見た時から君のことが忘れられないんだ。寝ても覚めても授業中もバイト中も旭のことばかり考えてる」

「そんなことを言われても重たくて困る」

「重たくて困らせてるのはごめん。でも、それくらい俺は旭が好きなんだ。付き合ってください」

「諦めが悪いねジャムパンマン」

「俺はジャムパンマンじゃない。日野一心」


 端から見れば一心の姿は凄く惨めだろう。

 付き合える可能性はどう見ても低いのに無理に執着して、自ら付き合える可能性をより下げている。諦めの悪いダサい男だ。

 でも、そんな執着が項を制したのか夜鶴が初めて目を合わせてくれた。


「いったい、日野は私のどこを好きになったの?」

「顔。顔がめちゃくちゃタイプ」


 包み隠すことなく一心が夜鶴に惹かれた理由を教えれば夜鶴は呆れたようにため息を漏らした。


「はい、この話はもうおしまい」

「え、なんで?」

「あのねえ、考えれば分かるでしょ。あれだけ好き好き言うんだから、こっちとしては期待したの。どんなことを言ってくれるんだろうって。なのに、結局顔って」

「仕方ないだろ。俺は旭に一目惚れしてしまったんだから。それに、クラスも別で話したことも今日が初めてなんだ。旭のこと、よく知らないのに適当なことは言えないよ」


 学校案内で図書室にやって来た時、今日と同じように静かに読書をする夜鶴に一心は心を奪われた。

 夜鶴は何もしていない。ただ黙々と本を読んでいるだけ。それなのに、一心は胸の高鳴りが止まず、雷に撃たれたように体に電流が走り、夜鶴に夢中になっていた。

 それほどまでに、一心にとって夜鶴は可愛く見えた。図書室の説明などこれっぽっちも覚えていない。


「だからって、よく言えたね。本人に顔が好きで告白しましたって」

「事実だから。俺が旭の顔に惹かれたってのは」

「そんなに好きなの?」

「うん、もう大好き。鋭い目付きでちょっと威圧的だけど綺麗な紅色の瞳には睨んでもらいたいし、桃色で可愛らしい唇はぶっちゃけめっちゃ魅力的でキスしたい。目鼻立ちも整ってるの完璧だと思うし艶々の黒髪はご利益ありそうで何本かお守りに欲しい」

「日野って私のことほんとに好きなの? 本当はただの自分の性癖をぶちまける変態じゃないの?」


 一心が夜鶴に抱いている欲望を晒せば夜鶴はめちゃくちゃ引いていた。

 けれど、どれもこれも本当のことだ。

 好きな女の子とはあれこれしたいし、あれこれされたいというのは至って普通の感情ではないかと一心は恥だと気にしない。


「それくらい旭のことが好きなんだ」

「ふーん……でも、ごめんね。私は日野とは付き合えない」

「……そこをなんとかお願いしても?」

「お願いされても」

「そっか……」


 何度も自分の気持ちを伝えた。物で釣ろうともした。それでも、一心の気持ちは夜鶴に届かなかった。

 それを踏まえた上で夜鶴に交際を求めようとは一心は思わない。


 悲しいけれど、これが現実なのだ。

 これ以上、夜鶴につきまとって嫌われるくらいなら、変な告白をしてきた性癖暴露ジャムパンマンとして夜鶴の記憶に残り続ける方がいい。


「……うん、旭の気持ちも分かったから帰るよ。ごめん、怖い思いさせて」

「別に怖くはなかった。馬鹿だとは思ったけど、日野本気だったし」

「それなら、よかった」


 怖がられるどころか本気だったことを理解してくれた夜鶴に一心はどうしようもなく嬉しくなる。

 これで、結ばれていれば言うことはなかったがもう望みはしない。


「あ、そうだ」


 一心はもう一枚、映画のチケットを取り出し二枚セットで机に乗せた。


「これ、旭の時間貰ったお詫びにプレゼントするよ。友達とでも観に行って」


 この映画に一心はそこまで興味がない。

 どうせなら、好きな子に楽しんでもらえた方が映画を作った人も嬉しいだろうと考えた結果だ。


「じゃ、さようなら」


 思い残すこともなく、夜鶴と話せたこの時間を大切な思い出にして足早に図書室を去ろうとする一心。

 その背中に声が届いた。


「――ねえ、ちょっと待ってよ」


 誰のものか。そんなの振り返らずとも分かる。図書室には一心と夜鶴しかいないのだから。

 変な期待はするな、と自分に言い聞かせながら一心は振り返った。


「私には日野と付き合う気はない。でも、せっかく用意してくれたんだし映画だけは一緒に行ってあげる」


 チケットを一枚差し出しながら夜鶴は口にする。

 一心は理解するのにしばらくの時間を要した。

 そして、手をポンと叩いて言った。


「デートしてくれるってことか」

「違う。デートじゃなくて、映画を観に行くだけ」

「ええ~」


 クリスマスイブに男女で映画を観に行く。

 それを、デートと呼ばずに他に正しい言い方が何かあるのかと一心は頭を悩ませる。


「そもそも、なんで急に?」

「あそこまで言われて嬉しかったから」

「つまり脈はあるってことか」

「脈はないよ。期待しないで」

「ええ~」


 好きと言われて夜鶴は嬉しくなったと確かに言った。一心の耳ははっきりと聞き取った。

 であるにも関わらず、脈はないとも言う夜鶴に一心は余計に頭を悩ませる。


「日野はごちゃごちゃ考えなくていいの。映画行くの? 行かないの?」

「行く! 行きます! 行きたいです!」

「ん、よろしい。じゃ、クリスマスイブにね」


 一心は夜鶴から渡されたチケットを手に呆然として固まっていた。

 告白は失敗したのに、夜鶴とデート出来るらしい。

 頭の中で整理しても不思議な感じだ。


 ただ、確かなことは夜鶴とデートする。しかも、クリスマスイブに。

 神にはまだ見放されていない、と一心は降って沸いたチャンスに改めて気合いを入れる。

 ――クリスマスイブで絶対旭を惚れさせてやる!

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