第6章 第111話

 雪風は、『処置室』の一番大きな扉の隣の、次に大きな扉のうち奥に向かって右側に向かって歩きつつ、『木刀れえばていん』をガンベルトの左に手挟たばさみ、ついで右の腰からM1911ガバメントを抜く。

 なんとなれば。全く様子の分からないインドアCQBであれば、全身をさらす剣格闘よりも、遮蔽物を使えるハンドガンの方が有利と雪風は踏んだのだ。

 雪風は、フラップ付きホルスターから抜いたM1911ガバ遊底スライドを丁寧に引き、ゆっくりと戻す。もう一度軽く引いて薬室チャンバー実包アモが装填されている事を確かめ、遊底スライドを押し戻す。

 そのままハイレディにM1911ガバを構えた雪風は、観音開きに手前に開くのだろう扉の、薄く開いたままの左側の扉に近づき、まずは扉ではなくその手前の壁に貼り付く。

 どう見ても分厚い金属、合金製の扉だから、中から重機関銃で撃たれたとしてもおいそれと抜かれはしないだろうが、どうしても雪風は父親譲りの慎重さで行動してしまう。

 そして、雪風にそうさせるほどに、この空間には得体の知れない放射閃オドが淀んでいた。

 M1911ガバをハイレディに構え、片膝をついた雪風は、静かに一息深呼吸すると、M1911ガバを左のエクステンデッドにスイッチしてから足音を殺して小走りに扉の端まで動き、クイックピークで薄く開いた扉の隙間のクリアリングをする。

 扉の向こうの見える範囲に誰もいないのを確認し、雪風はちらりと『処置室』の入口側、固唾を呑んで見守るダワとペマを確認する。

 扉の隙間は、すり抜けるには狭い。左の扉が閉まりきっていないのは、どうやら床と扉の下端の間に布きれ――たっぷりの金糸で彩られた白いシルクの、恐らくは相当な高官が着るのだろう外套ローブ――が噛み込んでいる為らしい。

 隙間から見える範囲には誰も、あるいは何も居ないが、遮蔽物に出来そうな何かがあるのは見える。

――……行くか――

 腹を据えて、雪風は半開きの扉に体当たりするようにして隙間を広げ、一気に部屋の中に入り、遮蔽物の影に飛び込む。

 左右と後ろがクリアである事を確認してから、雪風は用心しつつ遮蔽物の右端から片目だけ覗かせてみる。低い視野からは、部屋の大きさが差し渡し5~6メートル、自分が隠れている遮蔽物と同様なものが少なくとももう一つある事しか分からない。

 雪風は、今度は左端から覗いてみる。

 こちらにも、同じようなものがある。どうやら、テーブルか何かのようだ。

 もちろん、雪風の背中側にあるのも同じものなのだろうけれど、しゃがんだ状態からはその全容は掴めない。

 深呼吸し、背中を遮蔽物に預けた雪風は、意を決して遮蔽物の上に顔を出す、振り返りざまにM1911ガバをアイソサリースに構え、肩から上だけを遮蔽物の上に出して。

「……マジか……畜生ちきしょう!」

 今、はっきりと確認出来た室内の光景に、自分が遮蔽物にしていたテーブル様のものの正体を理解して、雪風は吐き捨てるように呟き、立ち上がった、アイソサリースからウィーバーにM1911ガバを構え直して。

「……おじさん達!来て!」

 軽く振り向いて声をかけ、そして一言付け足す。

「この糞ったれな状況、説明して!」


 一体何の事か、おっかなびっくり部屋に入ったダワとペマは、扉の隙間から小部屋の中を覗き込み、絶句し、立ち尽くす。

 彼らの見た光景、それは、およそ直径6メートル程の円形の空間の中に、雪風が遮蔽物としていたテーブル様のもの、その実は長径3メートル近く、短径1メートル程の楕円形の金属光沢を持つ縁の立った作業台と思われるものが放射状に五つ設置されている部屋であった。

 その作業台には何某なにがしかのパイプと、正体の分からない何らかの装置であろう立体が付属しており。

 そして。

 雪風が遮蔽物として使っていた、扉に一番近い作業台とその両隣の計三つは空であったが、奥の二つは使用中であり。

 そこには、見るからに異形の遺体が二つ、載せられていた。


「な……」

「……う」

 童顔のペマは顔を土気色にして立ち尽くし、年かさに見えるダワは扉の影でうずくまってしまう。

 五つある作業台、見ようによっては手術台と言えようが、むしろ検死に使う解剖台に酷似したそれの一番奥に載せられた遺体は、ちょうどこちらにほぼ頭頂を向ける位置関係になっており。

 その頭は、前方は目の下、目と鼻の間から、側方は耳の下を通って、後頭部の盆の窪ぼんのくぼに至る線で綺麗に切断されており、その中身ごと・・・・・・すっぽりと頭部が取り外されており。

 肩をはだけたその衣服は、外套こそ着ていないが雪風も見覚えのあるものであり。

 白い髭を蓄えた顔の下半分とあいまって、その遺体の正体を暗示させるものでもあり。

「……貴き宝珠マニ・リンポチェ……」

 ペマが絞り出すように呟いたとおり、その遺体こそは、この『都』に君臨する指導者、『光の王子』『貴き宝珠マニ・リンポチェ』その人のものであった。

 その一つ右横の解剖台に載せられた遺体、これも肩をはだけているのは頭部に何らかの処置をする為の汚れ避けに他ならなかろうけれど、その比較的粗末な衣服と、髪をそり上げられてこそいても見間違いようのないその顔は、

「……ケシュカル君……」

 青い顔で、口元を拭いながら室内を覗き込むダワが呟くとおり、ケシュカルのそれであった。

 そして。

 なんのまじないか、あるいは悪ふざけか。

 取り外された『貴き宝珠マニ・リンポチェ』の頭部が、綺麗に髪をそり上げられたケシュカルの頭の上に鎮座ちんざましましていた。


「……なんの冗談よ、これ……」

 怒気をはらんだ雪風の声が、食いしばった犬歯の間から漏れた。

「この『都』ってのは、こんな悪趣味な冗談をする所なの!?」

「いえ、決して……」

 ペマが、雪風の質問とも批判ともつかない言葉を否定しようとする。

「こんな……こんなことって!」

 雪風は、必死になって、怒りに任せてしまいそうになる自分を抑える。

「冗談にしても酷すぎる!まるでこれじゃ、ケシュカル君を乗っ取ろうとしてるみたいじゃない!」

 よく見れば、貴き宝珠マニ・リンポチェの頭部はケシュカルの頭に載せられているだけではなく、複数の何らかの細いくだ状のもので頭皮と結合されており、それはまるで、ケシュカルの頭にしがみつく化け蜘蛛か何かのようにも見えた。

「ねえ!あんた達の頭領の貴き宝珠マニ・リンポチェって人は、こんな捨て身のギャグやって楽しいわけ!?ぜんっぜん笑えないんだけど!」

 振り向いて、やり場のない感情を雪風はペマとダワにぶつける。

「そ、そんなことは……」

「王子は、そのような方では……」

 貴き宝珠マニ・リンポチェに対する批判をなんとか否定しようと口を開いたペマとダワの目が、突如見開かれ、言葉が途切れる。

 雪風の背後で、小さな衣擦れの音がした。

 ゆっくりと肩越しに振り向く雪風は、見た。

 解剖台の上のケシュカルが、上半身を起こし、笑っているのを。


 正確に言うならば。

 笑っているのはケシュカルの口元だけであり。

 上に乗っている貴き宝珠マニ・リンポチェの目元であり。

 ケシュカルの目は、閉じたままであった。

「もう少し馴染むまでじっとしているつもりだったのですが」

 ケシュカルの声が、その口元から流れ出す。

「まあ、これでも充分でしょう……失敬しました、驚かせたようなら、この通りお詫びします」

 解剖台の上で、ケシュカルの体が会釈する。

 反射的に、雪風はM1911ガバの銃口をその眉間に向ける。

「あんた……貴き宝珠マニ・リンポチェ?」

「いかにも」

 答えながら、ケシュカルの体は、解剖台から降りようと足を床に下ろす。

「おっと……まだ、完全ではないようですね」

 少しよろめいてから、ケシュカルの体は床の上に立つ。

「この姿のまま、人前に出るつもりはありませんでしたが、今ここに来てしまわれたのなら仕方ありません。あなた方はこういうのを異形いぎょうと思われるのでしょうが、これには理由があっての事。御容赦ください」

「……どんな理由?」

 ウィーバースタンスで眉間に狙いを付けたまま、雪風が一言だけ吐き出す。

「ご説明申し上げましょう。その前に、その『小さな殺し棒』を下げて頂けますか?」

 少しだけ逡巡してから、雪風は銃口を下ろす。

「結構」

 ケシュカルの体は、軽く首を振って、雪風の背後のペマとダワに視線を、ケシュカルの頭上の貴き宝珠マニ・リンポチェの目を向ける。

「ペマ、ダワ、あなた方も、ここまで来てしまったからには仕方ありません。相応の覚悟をもって来たのでしょうから、話を聞くことを特に許しましょう」

「もったいぶらないで教えてくれるかな?」

 雪風は、苛つきを隠さない。

「あたし、そんなに辛抱強い方じゃないんだ」

「では、結論から参りましょう」

 閉じたケシュカルの目の上と下で笑顔を作りながら、ケシュカルの体は、言う。

「私は、ケシュカル少年の脳と体を、調査しているのです」


「……調査ぁ?」

 ちゃんちゃらおかしい。そんな口ぶりで、雪風が返す。

ていの良いこと言って、体乗っ取ってるだけじゃないのさ!」

 ローレディの姿勢を崩さず、雪風が毒づく。

「これが一番正確で効率もいいのですよ」

 ケシュカルの体でそう言う貴き宝珠マニ・リンポチェの頭脳は、微塵も気にした様子はない。

「それに、そもそも私は、そのためにあるのです」

「あぁ?」

 怒りに塗りつぶされていた雪風の垂れ目に、疑念の光が灯る。

「そのために……?」

「そうです」

 迷いも嘘も見られない目で、貴き宝珠マニ・リンポチェが答える。

「『ユッグゴットフ由来の菌類Fungi from Yuggoth』から頂いた、それが私の最も重要な役目なのです」

「はぁ?」

「ふ、ふんぎー……?」

「一体、何を……」

「この『都』は」

 ケシュカルの体を操って、貴き宝珠マニ・リンポチェの目がペマとダワに向く。

「誰が作ったか、知っていますか?」

「え?」

「それは……我々の先達が……」

「ここを作ったのは、あなた方・・・・人間ではありません」

「……え?」

「それは……どういう……」

「……」

 予想外の一言に、ペマとダワは戸惑いを見せる。

 その答えを既に知っている雪風は、黙して語らない。

「考えてもみなさい。今のあなた方よりも先達が、機械の力も借りずに、これだけの穴を掘り抜けるものでしょうか?」

「それは……」

「じ、時間をかければ……」

「無理です」

 笑顔のまま、貴き宝珠マニ・リンポチェは言い切った。

「人の手で掘り抜くには、この地域の岩盤は硬すぎます」

「……で、では……?」

「一体、誰が……?」

「この『都』を整えたのは『ユッグゴットフ由来の菌類Fungi from Yuggoth』、掘り抜いたのは『古い奴ばらElder things』、正確には『古い奴ばらElder things』に命じられた『奉仕種族Shoggoth』が穴を穿うがったと聞いています」

「……え?」

「……ふ……え……しょ……え、あの……」

「『ユゴスキノコ』が、あんたに命令したってこと?」

 雪風のその問いに、初めて、貴き宝珠マニ・リンポチェの目に不快感が見えた。

「『ユッグゴットフ由来の菌類Fungi from Yuggoth』、です。『ユッグゴットフ由来の菌類Fungi from Yuggoth』が、私を造り、私に命じたのです」

「あんたを、作った?」

「そうです」

 今度は嬉しそうな目元で、ケシュカルの口から、貴き宝珠マニ・リンポチェが答える。

「私を作ったのは、偉大なる『ユッグゴットフ由来の菌類Fungi from Yuggoth』です」



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コミケ対応がちょっとヤバいので……


年始まで、更新ペースがかなり落ちると思います。

今でも週一維持がやっとなのに……

とはいえ、コミケ落とすわけに行かないから、頑張ります。

読んでいただいている皆様、どうか、御容赦を。


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