第6章 第108話

「教えてくれますか?」

 案内を頼むと言いつつ、雪風はペマとダワという二人の同胞団員ブラザーの前に立って早足で歩きながら――例え人の姿であっても、雪風が本気で走ったら、スピード的にもスタミナ的にも普通の人間ではついていけない――肩越しに視線だけ振り返らせて、聞く。

「『処置室』って、何するところです?」

 ペマとダワは、一瞬、顔を見合わせる。

「ケシュカル君がどういうもの・・かは、モーセスさんから聞いてます」

 言って、雪風は視線を前に戻す。

「……『処置室』は、御遺体の処理をする部屋です」

 ペマ、童顔の方の男が、躊躇ためらいがちに答えた。

「我々は、そこで何が行われているのか、実際に立ち会うことを許されてはいませんが……部屋に出入りし、御遺体の運搬のみが、我々光の大師第四階位の仕事です」

「そうか……」

 半ば上の空で、雪風は返事する。

 人の早足はおよそ分速100m、二分ほども歩けば、『控えの間』の前室からほぼ直線の五角形断面の通廊を通って『処置室』の扉の前に立てる。

 宮殿の深層階の黄金の扉とは違う、見知った金属とは違う質感の、だがしかし明らかに何らかの合金製であろう黒光りする扉のまえで、雪風は独りごちる。

「……脳をいじる部屋、って事ですよね。で、実際に何やってるかは、見たことがない」

 言って、雪風は振り返り、視線でペマとダワに答えを促す。

 黙って、雪風の二歩程後ろから、二人の男は頷く。

「……そうか……」

 もう一度、雪風は独りごちる。

「見たことない、か……」


「それで?この先は何の部屋なの?」

 先頭に立って歩くモーセスに、ユモが声をかける。

「下っ端の団員には教えられない、秘密の部屋なんでしょ?」

 ユモ以外の全員が苦笑する中、モーセスが振り返って答える。

「先ほどの拙僧の話を、覚えてらっしゃいますか?」

「上位の団員になると、浮世離れ・・・・しちゃうって話?」

「そうです」

 振り返ったまま、モーセスは頷き、まえに向き直る。

拙僧も含めて・・・・・・、その証拠となるものが納めてある部屋……この言い方で、お分かりいただけますか?」

「……じゃあ……」

「はい」

 前を向いたまま、モーセスは言う。

モーセス・グース・・・・・・・・も、ペーター・メークヴーディヒリーベ少尉・・・・・・・・・・・・・・・・・・も、そこに居る・・でしょう……持ち出されていなければ、ですが」

「……よく、意味が分かりません」

 ユモの後ろから、ラモチュンが尋ねる。

「ペーター様がそこに居るというのはともかく、モーセス師範ロードもそこに居る、というのは……」

 言葉尻を濁したラモチュンは、隣のドルマと顔を合わせる。

 ドルマも、もう一つ理解が出来ていない顔で、二人は顔を見合わせた。

――なるほど――

 そのドルマとラモチュンを除く三人の耳に、ニーマントの声がした。

――見えて・・・来ました。これは、何人居るのでしょうね?――

 緩くカーブする通路の先に見えてきた合金製の扉を見つめながら、そのニーマントの言葉の意味を即座に理解して、ユモとオーガストの表情が硬くなった。


「あ。鍵が……」

 扉を押し開けようとしたダワが、小さく呟く。

「開かないんですか?」

 てっきり鍵は持っているものと思い込んでいた雪風が、聞く。

「いえ……我々は、鍵を開ける権限は無いので……」

「ああ……」

 改めて、雪風は、モーセス・グースは同胞団ブラザーフッドでは最高の権威者であり、ドルマはそれとは別に『元君』の眷属として特別のはからいで鍵を預かっていたのだと思い知る。

「……仕方ないか……いけるかな?ちょっと……」

 扉の前で途方に暮れるダワとペマを押しのけるようにして、雪風は前に出る。

「少し、下がっててください」

 振り向かずに言って、雪風は半身に構え、軽く腰を落とす。

 言われて、二、三歩後ろに下がった二人の男が怪訝に思う間もなく、

「……せいっ!」

 気迫と共に、雪風は白木の木刀れえばていんを扉の合わせ目に向けて、下から抜き付ける。刀身から、鈍色にびいろの斬撃が観音開きの扉の間を上下にはしる。小さく、済んだ金属音が響き、消える。

 唖然とするダワとペマを一顧いっこだにせず、右手に木刀れえばていんを握ったまま、雪風は、先の経験が生きているのだろう、左足に体重を乗せて、ゆっくりと蹴り開ける。

 ゆっくりと開く扉からは、嗅いだことの無い、何らかの薬品らしき薄い刺激臭と綯交ないまぜになった、生臭い臭気がただよい出してくる。雪風の鋭敏な鼻はその中から独特なカビ臭を嗅ぎ取り、耳は、扉が開いた瞬間は聞こえたハムノイズのような音――古い電気器具のような、不安をかき立てる共鳴振動音――が、さっと消えたのを聞き逃さない。

「……ケシュカル君、居たら返事して」

 壁全体、天井全体が発光しているような、不思議な照明に照らされた室内。直径10メートル程、やや扁平な半球型のドームの床は、幾つもの幾何学模様のようなラインが引かれている。そのラインの全てが、壁面のいくつもの扉に結びついているのに気付いて、雪風は思う。

――……これ、アレだ、扇形機関庫みたい……って事は……――

 壁面の手前側半分、左右各三つずつの扉は縦横2メートル程だが、入り口と反対側の一番奥のものは高さは同程度でも幅は5メートル程もあろうか。その横の扉も、幅は3~4メートルはありそうに見える。そのうちの一つが、薄く開いている。

 雪風は、片膝をついてしゃがみ、床の幾何学模様に手を触れてみる。その模様は二条だったり三条だったりするものの、思った通り、わずかに床面から凹んでいる。

――……移動用寝台ストレッチャーのレール、で、間違いなさそうね……――

 薄く開いた、明かりの漏れる奥の扉を見つめながら雪風は立ち上がり、肩に担いだ木刀れえばていん越しに、後ろの二人に聞く。

「あの奥、何がどうなってるか、知ってます?」

「いえ……」

「我々が入れるのはここまでで、扉の奥は……」

「そっか……」

 言って、木刀れえばていんを振り下ろし、雪風は歩き出す。

「……帰ってもいいですよ、多分、扉の向こうは、ろくでもないものしか無いから」

 その向こうにあるものの見当がついているのか、抑揚の薄い声で雪風は言い捨て、後ろに気をかけるそぶりも無く歩く。

「……行きます」

「ここまで来たからには……」

 慌てて、ダワとペマは雪風の後を追った。


「……何故、ここに来たのですか?」

 突如、スイッチ・・・・を入れられたペーター少尉は、自分の肉声によく似せられた、しかしどこか金属的な声で、聞いた。

「何故でしょう?私は、貴き宝珠マニ・リンポチェの元に行くつもりだったのですが……そう、そうです」

 ペーター・メークヴーディヒリーベ・・・・・・・・・・・・・・・・は、ペーター少尉の問いに、どこか上の空で答える。

「私は、あなたに見ていただきたくて、来たのでした」

「私に?」

「そうです。恐らく、もうすぐ、モーセス・グース師範ロードがここにいらっしゃるでしょう。あるいは、他の誰か、ユモさんか、オーガストさんか……その時に、の目を通してではなく、あなた・・・の目で見ていただきたい、そう思ったのでした」

「……どういう、意味でしょう……」

「私にも、よくわからないのです」

 軍服の上に哀れみの主第一階位の絹の外套ローブを羽織るペーター・メークヴーディヒリーベは、微笑みながら首を傾げる。

「あなたから私への転送ダウンロードは、ほぼ終了しています。あなたの全てでは無く、必要とする範囲について、ですが。時間をかければ、私は完全なあなたにより近づくけれど、まったく同じにはならない。その上で、私は、いえ、貴き宝珠マニ・リンポチェは、あなたに、あなたの知らないことを知っていただいて、その反応を私に教育レクチャーしたい、そういう事なのではないかと想像しているのですが……」

 ペーター・メークヴーディヒリーベの体は、その顔に微笑みをたたえたまま、続ける。

「……私にはどうも、人の心というのが分からない。だから、あなたの心の動きを私に教育レクチャーする事で、私をよりあなたに近付ける。貴き宝珠マニ・リンポチェは、そう考えているのではないでしょうか」

「つまり、これから、私は、何か大いに動揺するような事を見聞きする、そういう事ですね?」

 ペーター少尉の問いかけ、確認に、ペーター・メークヴーディヒリーベの体は、頷く。

「察しのよいことで、大変結構です」

 言って、ペーター・メークヴーディヒリーベの体は、ペーター少尉の脳缶・・に繋がれた装置のスイッチの一つを、切った。

「なればこそ、ご理解いただけると思いますが。お声を立てられませんよう、その回路を切らせていただきました。悪しからず」


「ドルマ、ラモチュン、鍵は持っていますか?」

 一時、扉に掌を当てて何か考えていた風なモーセス・グースは、振り返って聞いた。

「私は、この階層で先に進む権限をまだいただいておりませんので」

 ラモチュンが、小さくかぶりを振って答え、横に立つドルマに視線を流す。

「私は……持ってはいますが……」

 少し困った顔のドルマは、そう答えながら、胸元から小さな黄金の鍵を、へし曲がったそれを取り出す。

「なんと……」

「……先ほど、ユキさんとやり合った時に、その……」

 言いにくそうにして、ドルマは俯く。

「……すみません」

「いえ、ドルマ、あなたが申し訳なく思うことではありません」

「そうよ」

 ドルマを慰めるモーセスの脇から、ユモが口を挟む。

「手加減知らないあのバカ狼がいけないのよ。後でとっちめとくから勘弁して頂戴」

 ね?とユモはしなを作る。

「……まあ、ええ、はい」

 一拍あってから、ドルマは苦笑する。

「……では、拙僧の鍵で開けましょう」

 こちらも軽く苦笑しつつ、モーセスはドルマのものと同じような鍵を取り出す。

「なんだ、それでも開くんだ?」

 ユモが、モーセスに突っ込む。

「開きます。開きますが……」

「何か、問題でも?」

 オーガストが、軽い苦笑から軽い苦悩に変わったモーセスの顔を見て、聞いた。

「問題と言いますか、お恥ずかしい話ですが、好きではないのです」

「好きでは、ない?」

「何が?」

 オーガストに続いて、ユモも聞き返す。

「鍵開けるのに、好きも嫌いもないんじゃなくて?」

「……開けてみてください」

 直接は答えずに、モーセスはユモに鍵を手渡す。

「え?……まあ、いいけど……あれ?」

 何も考えずに受け取って、目の前の合金製とおぼしき扉の鍵穴に黄金の鍵を差し込んだユモは、手の中で震え、歪み、形を変えたその鍵に驚いて声を上げた。

「何これ!」

「わずかに源始力マナを感じますが、むしろこれは、機械技術ですね」

 ニーマントが、ユモの驚きに答えて、言う。

「え?誰?」

「今のは?」

 初めてその声を聞いたドルマとラモチュンは、純粋に驚く。

「機械技術?……てか、あんた、わざとやったわね?」

「ご紹介いただけるタイミングを待っていたのですが、一向にお声がかからないもので」

「ユモさん、一体誰と……」

「後で紹介したげるから!」

 話が発散し始めたのを感じたユモは、無理矢理まとめるべく荒げた。

「えっと!つまり何?この鍵はカラクリ仕掛けって事?」

「……『ミ=ゴ』由来の技術、という事ですか?」

 ユモの質問に重ねて、オーガストがモーセスに聞く。

 我が意を得たり、そんな感じの笑みを浮かべて、モーセスが聞き返す。

「何故、そう思われました?」

「ミスタ・グースは並大抵のことでは自分の好き嫌いを口にする方ではないと理解しています。そのミスタ・グースがあからさまに嫌うとなると……」

「御慧眼、痛み入ります」

 モーセス・グースは、軽くこうべを垂れる。

「お察しの通り、その鍵は『ユゴスキノコ』の技術によって作られたもの、この扉も然り。浅層階の宮殿や『控えの間』から『謁見の間』に至る扉は、鍵自体は普通の錠前ですが、ここのような『ユゴスキノコ』の管理下にある施設の扉は、すべからくそのようなものなのです。故に、鍵の見た目はまやかし、鍵穴の中で鍵は決められた形に変化し、その反動は鍵を握る手に伝わります。全く未熟でお恥ずかしい限りですが、拙僧はどうにもその感触が好きになれないのです」

 やや情けなげな苦笑を浮かべながら、モーセスは言って、そして、ドルマとラモチュンに目を向ける。

「そのようなわけで、今、この扉の鍵は開きました。さて、ラモチュン、ドルマ、この扉の向こうは、本来は『光の使徒第三階位』以上でなければ知り得ない秘密の部屋です。その秘密を知る覚悟はよいですね?」

 言われて、ドルマとラモチュンは一度顔を見合わせ、頷き合ってから、モーセスに向き直ってもう一度頷く、固く結んだ口元に決意を滲ませて。

 それを見たモーセスも、真顔になって、言う。

「よろしい。では、行きましょう」

 

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