第6章 第107話

 『神鳴るごっど剛弓ご-がん』のまじないは、月の魔女、月の魔法使いの呪文としては、難易度はそこまで高くないと、ユモは母親リュールカから教わっていた。

 本来は弓矢を射る際に自分の源始力マナを載せて威力を増すためのものであり、一定の研鑚を積んだ魔法使いであれば皆出来るレベルのものである、と。

 その上で、『生ける炎』を上掛けするまじないに進化させたのは母親リュールカであり、母親リュールカにとっては問題のない難易度ではあるが、高難易度のまじないである事には間違いない、とも。


 今、ユモの源始力マナまとった11x60mmRモーゼル弾の鉛弾頭は、撃発に併せて発動されたまじないによって、銃口を飛び出すやいなや『生ける炎』の熱量が上乗せされ、しかしユモの源始力マナによって極小の領域に封じ込められた、プラズマ化したエナジーの塊となって『謁見の間』の扉に超音速で衝突した。


「うおっ?」

「きゃ!」

 あと一回踊り場を抜ければ階段が終わるといったところでその地響きを感じた雪風とドルマは、思わずよろめき、足を停めた。

 普段であれば、二人とも、この程度の事ではびくともしなかっただろう。しかし、100メートルもの下り階段を駆け下りる疲労は、雪風の狼の脚力にも、ドルマの山羊のそれにもかなりのダメージを与えていた。

 もちろん、それは瞬時に回復する程度のものではあったが、純粋に重力に逆らう、筋力に来る階段の上りに比べ、重力が加速方向に作用する階段の下りは、一見楽そうに見えてその実、関節への衝撃が倍増し、ステップを踏み外さないためにブレーキをかけ続ける負担とあいまって、上りを遙かに上回る負担を二人の足にかけていた。

「……今のは……」

 立ち止まり、大きく息をあえがせつつ聞くドルマに、

「……ユモが、なんかやらかした、みたいですね」

 肩で息をしつつ、雪風が答える。

 雪風とユモは、どちらかが一定以上の源始力マナを使う何かをすると、特に意識していなくてもその事を感じる程度に、使い魔の契約フェアトラーク フォン フェアトラート、『等分の契約』によって深い所で常に繋がっている。とは言え、それが何をどうしたのかを知る術は、ユモはともかく雪風の側にはないのだが。

「ったく……あたしヒトには大立ち回り控えろとか言っといて……」

 はぁ。大きく息を吐き、胸いっぱいに吸ってから、雪風はドルマに言う。

「足、大丈夫です?」

「え?あ、ええ。大丈夫よ」

 ドルマは、軽く裾をめくって裸足の足を見せる。普段履きのヤクの毛ウールの靴は、『山羊女』の姿に成った時に破れてしまっていた。

「上等。じゃ、行きましょ!」

「はい」

 呼吸を整えた二人は、改めて階段を駆け下りた。


「……ドルマ……」

 不安げに、前室の小堂から『控えの間』の扉の向こうを見やっていたラモチュン他の7名の『光の大師第四階位』の同胞団員ブラザー達は、階段を下ってきた足音に気付いて振り返る。先に姿を現した雪風に驚き、思わず後退った一同の先頭で、雪風の後ろから姿を見せたドルマに気付いたラモチュンが、絞り出すように呟いた。

「……あなた……」

「ペーター様はどこですか?」

 雪風より前に出て、ドルマはラモチュンに問うた。

「……聞いて、どうするのですか?」

「会って、何としても私はペーター様に尋ねなければならないのです」

「……何を?」

「……私は」

 ラモチュンに問い返され、ほんの少し言い淀んだドルマは、意を決して、答える。

「私は、ペーター様にとって何なのかを」

 ドルマの手が、無意識に、自分の服の胸元を握りしめる。

「私は、ペーター様の本心を聞きたいのです。どんな言葉であっても。私が、前に進むために」

「……」

 何をか言おうとして、ラモチュンは一度開いた口を、閉じる。

「……あなたが、ドルマを懐柔したのですか?」

 ドルマから雪風に視線を移して、ラモチュンは聞いた。

「懐柔って」

 雪風は、苦笑する。

「あたしはただ、グチ聞いて、一緒に泣いて、励まして、背中押しただけ。懐柔なんて人聞きの悪いこと……」

 雪風は、ペロッと舌を出す。

「……したかも」

「そんなに謙遜されなくてもいいですよ」

 こちらも苦笑して、ラモチュンが言った。

「謙遜て」

 今ひとつピンとこない雪風に、あ、と口を抑えたドルマが雪風に耳打ちする。

「チベットでは、舌を出すのは敬意を表すサインなんです」

「あ、あー」

 納得して、雪風は小さく声を出した。

「なるほど。あなた方を足止めし、あわよくば諦めていただこうとドルマに骨を折ってもらったのですが、裏目に出てしまったのですね」

「骨て」

「確かに折られましたね」

「ゴメンて」

「え?」

「いえ……」

「いや、何でもないっす」

 ちょっと怪訝そうなラモチュンに、ドルマは口元を抑え、雪風は笑って誤魔化す。

「……あれだけ塞ぎ込んでいたのに。ドルマ、あなた、一体……」

 ラモチュンは、細い目をさらに細めるようにして、ドルマを見つめる。

「……吹っ切れた、って言うのかしら?こういうの」

 ふっと、ラモチュンの細めた目が緩む。

「いい顔をしてるわ、ドルマ……あなたが、羨ましい」

 ラモチュンが、一歩、ドルマに近づく。

「偶然、ナルブ閣下と知り合い、ご指導いただいた。偶然、チェディと出会い、異国の事を知った。チェディがこの『都』を出奔したも、御家族の事も悲劇だったけど、その事もあって『元君』はあなたを眷属に取り上げた。そして、ナルブ閣下の命で、ペーター様と懇意になった」

 手を延ばせば届く距離まで、ラモチュンはドルマに近づく。

 ドルマの何たるかを知っているのであろう他の『光の大師第四階位』の同胞団員ブラザー達は、固唾を呑んで二人を見つめることしか出来ない。

「今、こうして口に出してみて、はっきり分かったわ。私は、ドルマ、あなたを羨ましいと思い、そして、あなたを軽蔑しようとしていたのね。似たような家柄で、似たような過程でこの『都』に迎え入れられたのに、道をたがえようとしているあなたを」

 ラモチュンの手が、ドルマの頬に触れる。

「でも、今の私は、あなたに笑顔が戻ったのを見て、ほっとしているみたい。きっと私は、私が思っているよりも、あなたを見下してはいなかったのね。それが分かっただけでも、私は嬉しい。あなたに、面と向かってそう言える」

「ラモチュン、私は」

 ドルマは、頬に当てられたラモチュンの手に自分の手を添えて、言う。

「私こそ、あなたを羨ましく思っていたわ。私より先に『都』の『光の大師第四階位』を得て、その中でも指導的な立場に居るあなたが。私ときたら、ナルブ様に執り成して頂いたのに、いつまでも階位を得る事もなく……」

 ドルマは、少し俯く。

「……でも、だから、チェディをナルブ様に引き合わせることで、私は自分も役に立つと示したかったのかもしれない。何としても、あなたの後を追いたかったのかも。でも……」

 ドルマの目が、ラモチュンの目を見る。

「……今の私は、違う。決めたの」

「……真理の探究を、捨てるの?」

「そうじゃないわ」

 ドルマは、ラモチュンの手を頬から外し、胸のまえで両手で握る。

「真理は、目指したい。ただ、その方法は、『都』の、王子の教えとは別の道を行きたいの」

「別の、道?」

 半分は本当に分からず、半分は薄々答えを感じ取って、ラモチュンは小首を傾げ、聞いた。

 一度、小さく、しかし確かに頷いて、ドルマは答える。

「私は、ペーター様の理想をかなえたい。世界中の、全ての人をすべからく一つ上の状態に持ち上げたいという理想、野望と言っても良いかもしれないわね、それを全うするのを見たいし、それを支えたい。ペーター様が、それを望まれるなら」

 ラモチュンは、ドルマの目の奥に、強い決意があるのを見た気がした。

「だから、確かめるの。絶対に、確かめなければならないの」

 ラモチュンは、自分の見たものが間違いで無いことを確信した。

 強い、光。それは、ドルマの決意の光そのものである、と。

「ペーター様が、私を、必要としているかどうかを」


「……そうか、そうなのね」

 ラモチュンは、自分の右手を握るドルマの両手に、さらに自分の左手を重ねて、言う。

「ドルマ、あなたは、自分の、自分だけの道を見つけたのね?それが、あなたが立ち直ったきっかけ。そうね?」

 ドルマは、強く頷く。

「やはり、私はあなたが羨ましいわ。私は、そんな道は見つけられなかった。ただ、今ある道を辿る事しか……」

「……ったくもう!」

 雪風が、語気強く、ラモチュンとドルマの会話に割り込んだ。

「ほんっとに、箱入りのお嬢様ってばめんどくさいんだから!」

 その勢いに驚いて、ラモチュンとドルマは、その後ろの男性高官達も、雪風に目を向ける。

「二人とも、お互いのことが好きで、気になってて。気にして、気にしすぎて気まずくなって。でもやっぱりお互いが好きだから、今こうやって面と向かって仲直りしてる、ただそれだけの事でしょ?細かい事なんて、どうでもいいじゃん!」

 雪風は、まるでユモがよくそうするように、腰に手を当て、フンスと鼻息をついて、言う。

「みんな、難しく考えすぎ!真理がどうとか、あたしはよくわかんないけど、これだけは言えるわ!」

 雪風は、ドルマとラモチュンの間に割り込むように近づくと、交互に二人の目を見てから、言い切った。

「自分が幸せじゃなけりゃ、誰かを幸せにする事なんてできっこないわ!」

 一歩引いて、雪風は後ろの男達も見まわす。

「ラモチュンさんも、そっちのおじさん達も、目指す真理ってのが人のためのものなら、まず自分が幸せにならなきゃ!ドルマさんは、その糸口を見つけた。これから、それをたぐり寄せる。その糸が繋がってるか切れてるかは引っ張ってみないと分からない。大事なのは、怖がらずに引っ張る勇気よ!勇気を出した者だけが、幸せになれる、そういう事じゃない?」

 雪風は、そこまで言ってから、苦笑して肩をすくめる。

「なんて、ガキのあたしが言っても説得力ないですよね」

「……何やってんのよ?」

 いつの間にか、薄く開いた『控えの間』に繋がる大扉から顔を覗かせたユモが、ジト目で雪風に声をかけた。

「おう、やっと来た?もう、ガラにもなく一席っちゃったわよ」

 後からゆっくり扉を抜けるモーセスとオーガストを尻目に、小走りに雪風に近づくユモに、てへへと頭を掻きながら雪風が答える。

「ドルマさんとラモチュンさんが、なんかもう、まだるっこしいから。一発背中押して百合の花でも咲かせたろうかと思ったんだけど。なんかエスカレートしちゃって、らしくない、あらぬ方向にね……」

「百合って、あんたね……」

「百合?の?花?」

「何の話ですか?」

 その手のオタワードは一通りこの旅の間に雪風から聞いているユモは、軽く剣突けんつくを喰わせ、そんな暗喩を知る由もないドルマとラモチュンはきょとんとしている。

「まあとにかく。まだまとも・・・・・なあんた達が雁首揃えてるのは都合が良いわ」

 不遜極まりない大きな態度で胸を張って、ユモは『光の大師第四階位』の男どもを見まわす。

「まず、ペーター少尉がさっき、ここを通ったと思うんだけど?」

 聞かれて、男達は顔を見合わせる。

「どっち行ったか、知ってたら教えてくれる?あと、ケシュカルがどっち行ったかも教えてちょうだい」

「あの……」

 ラモチュンの後ろにいた男達の中から、一人が――ペマ、『はす』の意味の名を持つ、比較的若くて童顔の男――が手を上げる。

「ケシュカル少年は、俺達で『処置室』に運びました」

「『処置室』ですと!」

「うわ!」

「きゃ!」

 だしぬけに大声を出したモーセスに、虚を突かれた雪風とユモが小さく飛び上がる。

「……まずいのですか?」

 オーガストが、聞く。

「良いと言える要素は、何一つありません」

 硬い声、硬い表情。

「『処置室』というのは、つまり……」

「急いだ方が良いって事よね?」

 みなまで言わせず、ユモが遮る。

「『処置室』って言葉の響き、不穏以外のなにものでもないわね」

 雪風も、表情を曇らせる。

「まるでアウシュビッツの『シャワー室』みたい」

「あー。わかる」

 雪風の一言に、ユモも同意する。

「じゃあ、だとしたら、なおのこと早く探さないと!」

 言って、雪風は今にも飛び出しそうにするが、それを手で制して、ユモは言う。

「ケシュカルもだけど、少尉さんも探さないとね」

「あ!それ!忘れるところだった!」

「あんた、匂いとか分かんないの?」

「無理!こんだけ人がいる所じゃ、無理!」

「あの……」

 今度は、ダワ、『月曜』の意味の名を持つ年かさの男が手を上げた。

「ペーター様なら、こちらに向かわれました」

 ダワは、横穴の一つを指差す。

「この先については、我々はまだ教わっておりませんが……」

「……急ぎましょう」

 モーセスの声は、岩のように硬い。

「滅多なことはないと思うのですが。万が一、という事もあります」

「って、どこに繋がってるの?」

 ユモが、さらりと聞く。

「彼らの前では」

「……今更な気もするけど?」

「だとしても、しきたりは、可能な限り守らねば」

「分かったわ」

 ユモは、小さくため息をついてから、言う。

「あっちに」

 肩越しに、ユモは親指で来た方向、『謁見の間』に繋がる階段の方を指し示す。

「あんた達のお仲間が倒れてるから。ケガはないと思うけど。行ってあげた方がいいんじゃないかしら?」

 男達の間に、小さな動揺が走る。

「あんた、何したのよ?」

「別に?」

 雪風に聞かれて、ユモはたすき掛けに肩にかけたGew71アンスヴァルト負い紐スリングを軽く引っ張りつつ、答える。

「誰かさんが閉じ込めてくれたから、神鳴る剛弓ごっど・ごーがんでこじ開けただけよ?」

「だけよって……さっきのアレはソレか……」

 雪風は、ユモの答えを聞いて顔をしかめる。

「あたしには大立ち回りするなって言っといてそれかよ……まあいいわ」

 やや浮き足立っている『光の大師第四階位』の男達に向き直った雪風は、

「そしたら!誰か、その『処置室』とやらの道案内お願いします!」

 元気よく、声をかける。

「……ペマ、ダワ、あなた達はユキさんを御案内してあげてください」

 モーセス・グースが、手早く仕切る。

「ヤマ、タシ、サンポ、ソナム、あなた方は、拙僧が許します、『謁見の間』の前と『儀式の間』に居る同胞団員ブラザーを介抱してあげて下さい……ラモチュン、あなたも……」

「私は、師範ロード、御一緒させてください」

 ラモチュンは、モーセスの言葉を遮る。

師範ロードはドルマと一緒にペーター様の所に向かわれるのでしょう?であれば、私も見届けたいのです。ドルマの決意が、どのような結果に至るのかを」

「……」

 何をか言おうとしたモーセスは、ラモチュンからドルマに目を移す。

 ドルマは、ただ頷き、モーセスも、頷き返す。

「……分かりました。ラモチュンは、拙僧と一緒に来て下さい。モーリーさんは……」

「オーガストさんは、ユモと一緒にペーター少尉殿の方に」

 今度は雪風が、モーセスの言葉を遮る。

「二手に分かれるなら、あたしとユモが別れた方が良いと思う」

――念話で互いの状況を共有出来る、と言う意味です――

 既に申し合わせていたのだろう、ニーマントが、オーガストとモーセスの耳に囁く。

――この『都』の構造から言って、私の探知範囲を超える可能性が高いですから――

「ただ、そうなると、あたしはユモを護れない。だから、オーガストさん、お願いします」

「……責任重大ですな」

「そうよ」

 ユモが、オーガストを見上げて、片頬を歪ませ、ウィンクする。

「恩を返すチャンスをあげるんだから、気張ってちょうだい」

「これは、いよいよ責任重大だ」

 苦笑して、オーガストはユモに返す。

 満足げに一同に振り向いたユモが、宣言する。

「じゃあ、行きましょうか!」

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