第6章 第104話

 ペーター・メークヴーディヒリーベ少尉は、身を捩じ切られんばかりのもどかしさにさいなまれていた。

 元より、今は捩じ切られるような身など自分には無い事は重々承知してはいたが、それでもなお、ペーター・メークヴーディヒリーベの体・・・・・・・・・・・・・・・・・・を、目を、耳を通して知った事実を、それを欲する誰かに伝えられないのは、やりきれなかった。

 今、モーセス・グースロードは、ユモ・タンク嬢フロイライン ユモ・タンクとモーリー中佐を伴って『謁見の間』までやって来た。ケシュカル君の行方を知るために。

 自分は、その行方を知っている。

 いや、実際にその場所に行ったことがあるわけではないが、どこに連れて行くよう指示が出されたか、それは知っている。

 何故ならば。

 その指示を出したのは、その指示を他の高位の同胞団員ブラザー達に言いつけたのは、他でも無い自分、ペーター・メークヴーディヒリーベの体・・・・・・・・・・・・・・・・・・だから。

 何故、自分の体が、そんな指示を出せたのか、それも知っている。

 他ならぬ貴き宝珠マニ・リンポチェが、自分の体を貴き宝珠マニ・リンポチェの代行に任じ、そのための階位を、哀れみの主第一階位を自分の体に授け、そして。

 自分の脳の情報を自分の体のそれに教育レクチャーするのと同じやり方で、貴き宝珠マニ・リンポチェの意識とも繋いでしまったから。

 その結果として、ペーター少尉は、知った。

 多くの上位の高官もまた、多かれ少なかれ、貴き宝珠マニ・リンポチェの意識を共有していることを。

 言うなれば、それら全てが、一つの意識体、一つの生命体として機能することを。

 例えるなら、蟻や蜂の巣が、個々の独立した一匹一匹の昆虫の集弾であると同時に、あたかも全体で一つの生命体のように振る舞うのと同じように。

 これこそが、この『都』をして、秘密を守り通し、運営を確かなものにする手段なのだろう。まさしく、ここは蟻の巣穴そのものだ、と、ペーター少尉は思う。

 どのような手法を用いてこれを実現しているのかは、わからない。

 もしそれがわかったならば、秘密の一端たりとも触れることが出来たのなら、それは素晴らしく有益なことだろう。

 なにしろ、この意識の共有には、時間的な遅延も、距離的な隔絶も、ペーター少尉から見える・・・範囲で存在しないようなのだから。

 この秘密を国に持ち帰れたならば。武装親衛隊ヴァッフンエスエスドイツ国防軍ヴェアマハトの連中は小躍りして喜ぶだろう。

 時間的遅延も、距離的隔絶もなしに命令を下達出来る、あるいは前線からの報告が上がってくるとしたら、どれほど軍の運用上の価値があるか、計り知れたものではないだろうから。

 もちろん、軍部にそのような情報を与えることの是非は考えなければならない。ならないが、しかし。ペーター少尉は、思う。

 自分が望む、理想の世界を実現する為には、しないで済むならそれに越したことはないが、『力による平定』も、選択肢の一つとしておかなければならない、と。

 そう。全ての人類が、『アーリア人』的な、究極の人種となる為には。

 だからこそ。

 ペーター少尉は、ありもしない体が身もだえするほど、もどかしく思う。

 何としても、自分は、帰らなければならない。

 体を取りもどして。資料も奪取して。

 なんとなれば、ケシュカル君を救出し、ドルマさんも伴って。

 何よりも、二人の力は、これからの自分にはきっと必要だろうから。

 もちろん、ケシュカル君もドルマさんも、確かに最早、人ではない、人間離れした何かであるのは疑いようもない、それは知っている。

 知っているが、しかし。

 彼らは、彼らの心は、あくまで人間のそれだ、ペーター少尉は、強くそう思う。

 少なくとも、有無を言わさずに体から脳を取り外すような、非人道的な事を平気で行う者とは、個ではなく群で意識を共有する者達とは、断じて違う、と。

 どんなに善良に見えようとも、悪意や打算がなかろうとも、そのような理不尽を平気でするような者達とは、決して我ら人類は、相容れることはないだろう、とも。

 もし、今ここに居るペーター少尉が体を持っていたならば、もどかしさに打ち震える自分の体を抱く自分の腕で、爪で、自分の体を引き裂いてしまいかねないほど、ペーター少尉は己のおかれた今の状況に身震いし、慟哭の呻きを漏らした。


――いかがされましたか、神の嬰児みどりごよ――

 ペーター少尉の脳に、別の誰かの意識が入り込んでくる。

 それは、先ほどから親身になって標準英語キングス・イングリッシュで語りかけてくる、名も知らぬ男の声。

 いや、その男は自らその名を語ることはしていないが、ペーター少尉にはその正体は既に知れていた。

――神の国に招かれる日は、もうすぐそこです。あなたも一切の苦悩から解放され、悦びと共に真理の追究に邁進出来る日が来ようというのに、あなたは何を迷うのです?――

 信仰という名の狂気に身をやつしたその男は、溢れんばかりの親切心と、持ち前の、体と共に失うことはなかった善良さで、ペーター少尉を心の底から心配し、力づけ、説得しようとする。

――あなたはこのような状態になってまだ日が浅いのですから、恐れるのは当たり前、無理なきことではありましょう。しかぁし!信仰とは、その前に己の持つ全てを投げ出す行為でありますれば、今のあなたは、信仰の権化と言っても過言ではありません。さあ、恐れる事なく、心静かにその日を待ちましょう。もうすぐそこ、ほんのすぐそこまで迫っているのです!共に、未知なるカダスに召されるその日は!我々が真理にさらに一歩近づくその日は!愚生ぐせいには、その有り様ありようが見えるのです……――

 その日がわかる、有り様が見えるなどと、世迷い言を。ペーター少尉は、何某か言い返そうとして、はたと気付く。

 彼の様子が、何かおかしい事に。

――……ああ!何たることでしょう!……――

 急に、その男は戸惑い、困惑し、怯えた様子を見せた。

――愚生ぐせいには、見えない……見えません……――

――……何が、見えないのですか?――

 ペーター少尉は、思わず聞き返す。

――そもそも、一体何が、あなたに見えているのです?……――

 一瞬、躊躇ためらってから、ペーター少尉は付け足す。

――……師範ロード?――

――……あなたが、見えないのです――

 その男は、言い出しずらそうに間を置いてから、答える。

――あなたが、あなただけが。ここに居る皆が神の御許カダスに召されるというのに、あなただけが、そこに居ない、愚生はあなたをそこに見いだすことが出来ないのです――

――私が、見えない?……それは……――

 ペーター少尉は、その男が『見える』と言っていたのは、聖職者がよく使う比喩表現だとばかり思っていた。しかし。

――……師範ロード、あなたには、本当に、見えているのですか?――

――……もちろん、見えています……『元君』のお導きです。愚生に、身も心も『元君』に捧げたしもべたる愚生に、『元君』がお与え下された奇跡。ほんのわずか、ほんの瞬きする程の時間ですが、愚生には、『時が見える』のです。『元君』が、御神木が、その力を愚生にお分けくださった、愚生にお情けをくださったのです――

 どういう事だ?何を言っているんだ?『元君』の力?時が見える?一体、何を……

 ペーター少尉は、その言葉の意味を理解出来ず、しばし唖然とする。時が見えるなど、言葉の意味すらわからない、と。

 その言葉の意味を噛み砕き、ペーター少尉が呑み込む前に、男は、言った。

――いや、これは、違う。見えないことこそに、意味があるのかも知れません……――

 ペーター少尉は、男の言葉の続きを待つ。

――……あなたが、神の御許カダスに召されない、その事にこそ、意味がある。あなたは、我々とは別の道を歩む。つまり……――

 男は、かつてはモーセス・グースという男の体に収まっていたその意識、人格、脳は、言った。

――……あなたは、現世うつしよに留まり、我らが神の御許カダスに召した事を語り継ぎ、語り伝える、その役目を負うという事ではありますまいか……――


 その言葉の意味を理解し、ペーター少尉は最初、絶望的になった。

 つまりそれは、自分は未来永劫、今周りに存在する幾つもの意識が消え去った後も、この暗闇に留め置かれるのだ、と。

――これは、予言です――

 そのペーター少尉に、言い含めるように、モーセス・グースだった――今もなおそうであり続ける――意識は、語りかける。

――あなたは、きっと、これから多くの人に影響を与えるでしょう。我らはこれから、遠からず、ほんの一日もしないうちに神の御許カダスに召されるでしょう。あなたはそれを見届け、なんとなればそれを手助けし、その経験を現世うつしよに持ち帰り、幾人もの人生に影響を与えるでしょう。愚生には、その事を見るほどの力はありませんが、きっとあなたは、あなたこそが、我らが召されるための最後の要素であり、それが故にあなたは我らと共には召されず、見届ける事によって得た、我らとは違う英智をもって現世うつしよに祝福をもたらす。愚生には、そう思えます――

 じんわりと、オリジナルのモーセス・グースの言葉がペーター少尉の脳に染みこんでゆく。

 それは、つまり。

 誰かに影響を与える事が出来る程には、自分は、外界との接触を取りもどす、取りもどせる、そういう事なのだろうか?

――ですから、愚生は、あなたにお願いするのです――

 ペーターがモーセスの言葉を咀嚼し切るより早く、モーセスは、言った。

――現世うつしよでの我らの生を、もはやかりそめに過ぎない魂の器を、我らを現世うつしよに繋ぎ止める最後の部品を、亡き者にしていただきたい、と――

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