第6章 第103話

 ペーター・メークヴーディヒリーベが出ていった扉をしばらく見つめていたモーセス・グースは、大きくため息をついた。

「……拙僧としたことが。自分を抑えられないとは、まだまだ研鑚けんさんが足りませんな……お恥ずかしい所をお見せしました」

「そうでもありませんでしょう」

 ぎくしゃくと微笑んで見せようとするモーセスに、オーガストが声をかける。

「ミスタ・グースの怒りは、ケシュカル少年をないがしろにする者達への怒り、言うなればケシュカル少年のための怒りなのでは?そのように他者の為に怒れるというのは、ヒトの、人間の根冠なのではないですか?」

「そういうもの、なのですか?」

 ニーマントが、オーガストに聞く。

「私は、人は己の利を害された時に怒るのだと思っていましたが」

「それはもちろんそうでしょうが」

 苦笑しつつ、オーガストはニーマントに答える。

「それだけではない、少なくとも、他者の為に怒る事が出来るという事こそ、人間らしさであると思います」

「……これは、教えられましたな」

 ごく自然に微笑みつつ、モーセスも言う。

「やはり拙僧は研鑚が足りませんな。忘れておりました、御仏であっても、怒る時は怒るのだという事を……モーリーさん、感謝いたします」

「お役に立てたのなら光栄です」

 オーガストは、会釈してモーセスに答える。

「私も、一つ利口になりました」

 ユモの胸元から、ニーマントも言う。

「是非とも、もっと色々と知りたいものです」

「で?これからどうするの?」

 ユモが、やや硬い声で質問する。

「『偽物』のペーター少尉さんはどっか行っちゃったし、ケシュカルの居所は分からないし」

「ミスタ・メークヴーディヒリーベが中座するよう促したのは、ユモさんではありませんか?」

「そうだけど!」

 んもう!ユモは、ため息をつく。

「あたしも短慮だったわよ!売り言葉に買い言葉、勢いであんな事言っちゃって……」

 膝の上のGew71アンスヴァルトを抱くように持ち直しながら、ぼそぼそとユモは言う。

「……分かってるのよ。ユキにもよく言われるもの。あたしは、かんしゃく持ちの、わがままな小娘だって」

「それこそが、純真無垢で歯に布着せぬ『福音の少女』の根冠なのでは?」

 オーガストが、言う。年相応の優しい顔が、顔を上げたユモの目に映る。

「短慮だとは、拙僧は思いません」

 オーガストに続けて言うモーセスに、ユモは視線を移す。

「あなたも、ケシュカル君の為に怒ってくれたのでありましょう?」

「そうでも無いわ、八割方は私憤しふんよ」

 フンスと、ユモは鼻息を吐く。

「あの『偽物』の言いようがどうにも気にいらなかっただけ……残りの一割がケシュカル、もう一割がドルマさんのため、かな」

「ドルマの?」

「そうよ?」

 ユモは、上目遣いにモーセスを見る。

「まさか、気が付いてなかったの?ドルマさんがおかしかったの、間違いなくこれが原因だわよ?」

「と、言いますと?」

「あきれた……」

 ユモは、大きくため息をついて、胡坐をかいた膝の上に肘を置いて、頬杖をつく。

「これだから、男ってのは……聞くけど、ドルマさんは、その上位の団員が脳ミソ取り外す話、知ってるのかしら?」

「さて、どうでしょう」

 モーセスは、軽く首を傾げながら、言う。

「拙僧は直接話した事はありません、他の者から聞いたかも知れませんが、ドルマは階位を持ちませんから、その事を知る上位の同胞団員ブラザーと話すことはあまりありません。ラモチュンとは比較的仲が良いですが、ラモチュンも知らないはずので。もっとも」

 顎に手を置いて、モーセスは続ける。

「ドルマは『元君』の眷属として生まれ変わった身ですから、直接『元君』から聞いているか、あるいは聞かずとも何かを知っているかも知れません」

「どういう事?」

 ユモは、首を傾げる。

「ドルマが『井戸』に身を投げた話は覚えていらっしゃいますね?」

「もちろん。で、大怪我したけどあっという間に治って、生まれ変わったって」

「その大怪我を修復するのに使われたのは『奉仕種族』の組織ですが、その修復の過程で、『元君』がドルマをいたく気に入られ、『御神木』のうろで介抱された結果、ドルマは『奉仕種族』の気質形質を持ちつつも『元君』『赤の女王』の要素を強く受け継いだ、『元君』の眷属となったのです」

「得心がいきました」

 オーガストが、口を挟む。

「ミス・ドルマのあの姿・・・は、ケシュカル君のそれとは大きく違っていたのも、一向に我を失う、暴走する様子がないのも、そういう事だったのですね」

「モーリーさんも、ドルマのあの姿・・・をご覧になったことがおありでしたか」

 暴走し、遁走したケシュカルをユモと雪風と共に追ったオーガストが、あばら屋で一泊した際に『山羊女』に遭遇していた経緯いきさつは聞いていなかったモーセスも、納得がいった様子で答える。

「まさに、その通りです。ドルマは『奉仕種族』の気質形質を持ちつつも、『元君』の眷属である事で身も心も安定を保っている、拙僧はそう理解しています」

「そういう事か……」

 ユモも、得心がいったように呟く。

「まあいいわ、知ってるにしろ知らないにしろ、結果は大して変わらないから」

「と、言いますと?」

 オーガストが、聞き返す。

「知ってたらその原因まで理解しただろうけど、知らなくても受けたショックの大きさは変わらないって事よ。いい?」

 ユモの物言いに、今ひとつ納得がいっていない様子の男達を見まわして、ユモは言う。

「ドルマさんが、ペーター少尉さんを憎からず思っている事は、あんた達も分かってるわよね?」

 言われて、男達が曖昧に頷いたのを確認してから、ユモは続けようと口を開く。

「……私は、よく分からないのですが」

「あんたは黙ってなさい」

 口を開こうとした矢先にニーマントに茶々を入れられて、ユモは不機嫌そうにたしなめてから、続ける。

「あたしとユキが初めてドルマさんに会った時の印象は『有能な秘書』で、ペーター少尉との関係も事務的になりすぎない程度には好意的って感じで、まあお仕事上のお付き合い以上の感じはしなかったわ。けど、あたし達がこの『都』に来てから、明らかにドルマさんの様子が変わったの」

 ユモは、腕を組み、右の人差し指を頬に当てて続ける。

「アレは、明らかに、恋する乙女の目よ。もちろん、そうなった理由は明らかよね」

 答えなさい、そう問いかける視線をユモに向けられた中年二人組は、しかし、顔を見合わせる。

「もう……ペーター少尉が一つ屋根の下に居るからに決まってるじゃないの!」

 腰に手を当てて、ユモはプッとふくれる。

「ああ……」

 オジサン二人組は、分かったような分からないような、曖昧な返事を返した。

口幅くちはばったいけど、このユモ・タンカ・ツマンスカヤ、伊達に『魔女の館ヘキセンハウゼン』でよろず相談事見聞きしてないわ。ママムティ程じゃないけど、目を見りゃそのくらいは分かるわよ」

 胸を張って、ユモは自慢げに言う。

「で。そのドルマさんが、突然ああなっちゃった。と、くりゃあ、その理由も明白よ。失恋、それも酷い振られ方した、これしかないわ!」

「……そういうもの、ですか?」

 オーガストが、やや躊躇ためらいいがちに、聞く。

「間違いないわ!」

 ユモは、即答、断言する。

「けど、ペーター少尉もまんざらじゃないはずだったのよ。それが急に心変わりしたのが、あたしにはせなかったんだけど、脳ミソ入れ替わってるんならそりゃそうよね。だから!」

 ユモは、キッと中年二人組を見据えて、言い切る。

「あたしは、偽物の脳ミソなんかどっかにほっぽり出して、本物の・・・ペーター少尉を元に戻した上で問いただして、出来ればドルマさんに幸せになってほしいのよ!て言うか、そうなるべきだと思わない?」

「いや、まあ……」

「本人達の意向にもよるかと思いますが……」

 大人二人の回答は、当たり障りのない所に終始する。

「そうなるべきなの!このあたしが!恋する乙女の味方、魔女ユモ・タンカ・ツマンスカヤがそう決めたの!」

「……ユキカゼさんがいらっしゃらないので代わりに突っ込んでおきますが、魔女見習いですよね?」

「黙らっしゃい!」

 ぴしゃりとニーマントをたしなめたユモは、すっくと立ち上がり、仁王立ちで胸を張って、言い切る。

「そしたら、探すべきは二つ!ケシュカルと、本物のペーター少尉の脳ミソ!正直、あの偽物の言うことを信用する気にならないし、大体いつ戻って来るかわかったもんじゃないから、独自に動くべきだとあたしは思うんだけど、どうかしら?」


「『脳缶』の置き場所であれば、拙僧に心当たりがあります。ケシュカル君の居所は探さなければなりませんが、あの・・ペーター少尉殿にそれを聞いて来ていただけるなら、手間が省けるというものです、が……」

「ちゃんと聞いて来てくれるなら、ね」

「然り」

 モーセスは、腕組みして答える。

「そもそも、どれほど待たされるかも分かりかねます」

「少なくとも、扉の向こうには、今は誰も居ません」

 放射閃オドを探ったのだろう、ニーマントが言う。

「ミスタ・メークヴーディヒリーベとお仲間のお二人は、揃って階段を下って行かれたようです。ですが……」

 ニーマントは、意味ありげに言葉を切ってから、付け足す。

「この奥の部屋に、誰か一人居るようですが、ミスタ・グース、お心当たりは?」

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