第5章 第78話
「……私に見えているものを、あなた方に理解出来るように伝えるのは、本当に難しいのです」
少しだけ、困ったような顔で、『元君』は言う。
「あなた方は、この次元において『今』しか存在しない。それは、あなた方には『時間軸』は、存在は認められても認知も認識も出来ないから。でも、『時間軸』を含む、より高次の軸を認知出来る存在から見た場合……」
少しだけ『元君』は言葉を選び、言葉を続ける。
「……『今』という瞬間に捕らわれることなく、『今』に連なる『過去』と『未来』を、ある程度の範囲、見える範囲で一様に『
「……待って、待って下さい、じゃあ……」
言葉を咀嚼する事なく、そのままに受け取ったユモは、それが故の素朴な疑問を『元君』にぶつけた。
「あなたは、『元君』、あなたには、過去も未来も見えている、そういう事なのですか?」
「ゼロ次元を点、一次元を線、二次元を平面と仮定した場合に、三次元人からはそれぞれは有限の概念として理解できるけれど、それぞれの次元に住む住人が居ると仮定した場合には、それら住人からはその世界は無限の空間であって、っていう理屈をさらに一歩引いた視点から見た話、って理解で合ってる、のかな?」
『元君』が答えるより前に、雪風が自分なりに咀嚼した解釈を披露した。
「高さ方向の軸を持つあたし達三次元人からは、下位の次元を『見下ろし』て理解する事が出来る。同様に、上位の四次元人からは、三次元を時間軸から『見下ろす』事が出来る……理屈は分かるけど、確かに感覚では理解出来ないわね。過去と未来が同時に今、存在するなんて」
雪風は、言って、肩をすくめた。
「見えているけれどもう手の届かない過去、見えていても変えることの出来ない未来。より高次の存在ならば、それは当たり前なのでしょうけれど、受肉し、この時空間の
『元君』は、自分を抱くようにしながら、言う。
「私に見えているのはごく近い範囲、極小の近過去と近未来を見下ろすことができるだけ。見下ろして、でも、何も出来ない。より人に似せて受肉した私の、それが限界なのでしょうね。あるいは、『
『元君』の視線は、ユモの胸元に向く。最初、ユモはそれを自分に向けたものと勘違いし、すぐに、それはニーマントに向けて示されたものだと理解した。
「……『闇を
自分に向けられた言葉であることを察していたのだろうニーマントが、聞き返した。
「私がそうであるように、『暗黒の男』、『大いなる使者』、なんとなれば真の『赤の女王』、その因子を持つものであれば、必ず共感があるはずです。むしろ、これまでの、あなた方が言う『旅』の過程で、そのような経験があったのではなくて?」
聞かれて、ユモと雪風は顔を見合わせる。
「……って、やっぱり……」
「……アイツのこと、よね……」
「……『彼』、ですな」
「……つまり『彼』は、そのような『存在』であったと?」
雪風の呟きにユモが答え、ニーマントが補足し、それを受けてオーガストが確認する。
「確定だわね、そうなんでしょ?ニーマント?」
ユモは、胸元のペンダント、
「確かに、『彼』に対しては、私は誰に対しても感じたことのない親和性を感じていましたし、『彼』は私について、『彼』そのものかもしれない、というような事も言っていたと記憶しています」
「そう、あなたは、ミスタ・ニーマント、私の知る特定の『黒い男』にとても近しいと感じるの。私よりはるかに『時』を見通し、見下ろす力に長け、また、『
「いずれ、思い出すことはあるやも知れません。あるいは、それを御存知のどなたかから聞き出せるかも。いずれにしろ、いつの日か、私がそれを知って、再びあなたにお会いする事が叶いましたならば、是非、お話しいたしましょう」
「是非、お願いするわ……ああ、その時が待ち遠しいわ。今すぐ、その未来が見通せればいいのに……」
虚空を見上げ、熱に浮かされたような笑みを浮かべる『元君』の横顔は、可憐で、屈託が無かった。
「『元君』、お尋ねしても、よろしいかしら?」
意を決したように、ユモが『元君』に聞く。
「その『時を見下ろす力』、その一端なりと、あたし達でも手に入れられるものなのでしょうか?」
聞かれて、ユモに振り向いた『元君』の顔には、最前とは違う種類の笑みが浮かんでいた。
それは、蠱惑的で、妖艶な、老若男女を問わず抗えない引力を持つ笑みだった。
「欲するのは自由。手に入れんとするのも自由。私は、何も邪魔はしないし、そそのかしもしない。でも、手に入ると約束することも出来ない……何を得るかはあなた次第だし、何も得ず、何かを、あるいは何もかも失うかもしれない」
体ごと向き直り、ユモに数歩近づいて、『元君』は言う。
「それでも何かを得たいと欲するなら、御神木に触れてみると良いわ。私は止めも勧めもしないけれど……そうね、あなたはとても愛らしくて、聡明で、大好きだから、さっきの果実に祈ることを勧めるわ。かつて、そこのモーセス・グースがしたように」
言って、『元君』はモーセス・グースに視線を流す。つられてそちらを見たユモは、モーセスが軽く会釈するのを見る。
「拙僧が助言することが許されるならば、その果物を口に含み、そして『御神木』に欲するものを願う事です。分相応な願いならば、
「……分不相応な願いだったら?」
ユモは、つい、そう聞いてしまう。
聞いてしまうのを止められない。それは、期待からか、それとも不安からだったか。
「……」
モーセスは、言葉で答えず、ただ、小さく首を横に振った。
ユモは、そのモーセスから御神木に視線を移し、一度、深呼吸した。
「……ユキ、さっきの、一つ頂戴」
腹を決めて、ユモは御神木を見つめたまま言って、雪風を見ずに左手だけを延ばす。
「……私の分をお使いなさると良いでしょう」
雪風が何か言うより早く、ニーマントが言う。
「どうせ私には使いようがありません。ならば、ともに旅するユモさんの役に立つことこそが、私の望みであるとも言えます」
「やけに殊勝じゃない?……」
視線を御神木から外さずに言ってから、ユモは、右手でペンダントを、
「……でも、有難く戴くわ」
「はいよ」
右手の指を首の左にあるチョーカーに当てて小さく
「ありがとう」
ユモは、その果実を左手で受け取る。その左手に、一歩近づいてきた雪風の左手が重なる。
雪風が、ユモを後ろから抱くようにして、体を寄せ、左手だけで無く右手も、重ねた。
「……震えてるわよ」
ユモの右肩越しに、雪風が囁く。
「怖い?」
「……そりゃあ……でも」
ユモは、視線を御神木から離さない。
「この機会を逃すようじゃ、月の魔女、ユモ・タンカ・ツマンスカヤの名が泣くわ」
「魔女見習い、でしょ?」
「うさい」
ちらりとだけ、ユモの視線が右後ろに流れる。
ほんの一瞬、ユモと雪風の視線が、重なる。
「その魔女見習いに、お姉さんが力を貸してあげる……合体しましょ」
「え?」
「怖いのも、もしかしたら痛いのも、そういうのは全部、あたしが引き受けてあげる。だから、あんたは自分が欲しいものに集中すれば良い……それが、
「……うん、そうね」
一瞬だけ考えて、ユモは答える。
「確かに、それが合理的だわ……じゃあ、
「おう!任しときな!」
言いながら、二人はもう一度、ちらりと視線を合わせ、その視線はすぐに、共に御神木に向く。
「……オムニポテンス・アエテルネ・デウス……」
もはや何度目かの、馴染んだ呪文。
ユモはおろか雪風も、ごく自然に声を合わせ、何度目かの、より洗練された呪文を唱える。
「我、月の魔女ユモ・タンカ・ツマンスカヤ」
「我、月の魔女が
「我ら共に、精霊の力を借りて思いを成し遂げんと欲す……」
名乗りのみ互いに、それ以外は声を揃えて呪文を唱えるユモと雪風は、呪文の最後の一節を浪々と、歌い上げるように地下空間のエーテルに響かせた。
「精霊よ!二人の
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