第4章 第60話

 一般親衛隊アルゲマイネ・エスエス発掘隊から借り出した二つの飯盒コッホゲシェーをやりくりして、雪風はマーモットの肉を調理していた。

 これも発掘隊から貰って来たジャガイモの皮を剥き、適当に切って飯盒コッホゲシェーの胴で煮る。

 蓋を使って一口大に切ったマーモット肉に焼き目を付け、ジャガイモが良い頃合いになったところで投入、吹きこぼれないよう気を付けながらアクを取る。

 並行して、飯盒コッホゲシェーの中蓋で皮ごとジャガイモを茹で、さらに、茹で時間を利用して残りのマーモット肉をみじん切りにし、焦げ付かないよう注意しながら飯盒コッホゲシェーの蓋で炒める。

 味付けは塩と、苦労して見つけた、恐らく野ニラの仲間。探せば割とどこでも手に入るし、辛みと匂いが肉の臭みを消し、煮物に便利なので雪風は気にいって、野外炊事で多用している。

 油は、パンのスプレッドにもなるラードと、マーモットの脂身。

 そんな風に手際よく野外調理を進めていた時、雪風はふと、漂ってきた白檀の香りに気付いた。

 辺りを見まわすと、そろそろ傾きかけたに照らされて、ドルマが近づいて来るのが目に入った。


「……こちらに……ペーター様は……いらっしゃらないようですね」

 ある程度近づいてから、周囲を見まわして、ドルマは言った。

「もうそろ戻って来ると思いますよ、水汲んできてもらってますんで」

 火加減を確かめつつスプーンでアクをとりながら、雪風が答える。

「少尉殿に、御用でした?」

「ええ……いえ、用というほどではないのですが……」

「……座って待っては?」

 雪風は、目の前の、腰掛けるのによさげな石を顎で指して勧める。手は、フライパン代わりの飯盒の蓋とアク取りのスプーン、そこらの木を削って作った菜箸から離せない。

「……そうですね」

 明らかによそよそしい態度で、ドルマは雪風の斜め向かいに腰を下ろす。

――……まあ、そりゃそうだよな……――

 雪風は、心の中でため息をつく。

――隠す気ゼロでやらかしてる自覚、あるんだろうなぁ……――

 思いつつも手は止めず、そこそこ火の入った挽肉炒めを焚火から離すと、今度は内蓋で茹でていたジャガイモを取り出し、ホクホクのそれの皮をアチアチ言いながら剥き始める。

「お料理、か……」

 無言でその雪風の様子を見ていたドルマが、ぽつりと、こぼすように呟いた。

「料理って言えるほどのものじゃないですけどね、あり合わせで、でっち上げですから」

 剥いたジャガイモを適当に切ってから三徳包丁れえばていんの腹で潰し始めた――まな板も、ついさっき『れえばていん』で切り出した丸太の輪切りだ――雪風は、顔を上げずにドルマに返す。

「ドルマさんだって、何でも出来そうに見えますけど?」

「私は……」

 ドルマは、ちょっと恥ずかしそうに苦笑する。

「お料理は……お茶を入れるのはいいんですけど、餃子モモとかうまく作れなくて……不器用なんです」

 情けなさそうに、ドルマは肩を縮める。

「……使用人が全部やってたクチ、かな?」

「ええ、まあ……わかります?」

「なんとなく」

 雪風は、潰したジャガイモに塩と香草で味付けしつつ、ちょっとだけラードを混ぜて練り始める。

「ドルマさん、お嬢様って感じだから」

「……」

 どんな顔をして良いのか、なんと答えたら良いのかわからないのだろう、ドルマは、困ったような笑顔を雪風に返す。

「別に良いと思いますよ、今まで、その必要がなかったんだから」

 初めて、雪風はドルマに顔を向ける。

「その分、他の知識やら何やら、ドルマさんは勉強して来た、そうでしょ?」

「……本当に、そう思います?」

 ドルマの硬い声が、雪風に尋ねる。

「思いますよ?だって、実際ドルマさん綺麗だし、賢いし、礼儀作法もしっかりしてるし」

 もう一つの中蓋で茹でていたジャガイモをまな板の上に取り出しながら、雪風は即座に言い切る。

「何も学ばない、努力してこなかった、そうじゃないんでしょ?だったら、胸はって良いと思いますよ?限られた時間で、何でもかんでも出来るってもんじゃないんだから。言っちゃなんだけど、この時代のこの地域で、ナルブさんの片腕みたいな仕事出来る女性って、すごいと思う……」

 急に言葉をとぎり、顔を上げてからちょっとだけ何かしら考え込んだ雪風は、上に載ったジャガイモごとまな板をドルマに差し出した。一瞬戸惑ってから、ドルマはそれを受け取る。そのドルマに、雪風は、雑嚢ブロートボイテルから汎用ナイフを取り出して渡す。

「パパが良く言うんです、『二度目から始めることは出来ない』って。そのジャガイモ、皮剥いて、潰して、塩ふってちょっとラード入れて混ぜてください、あたしがやってたの、見てましたよね?」

「え?ええ……」

「もうそろペーター少尉殿も戻って来ると思いますから、それまで、ポテサラと、あと鍋のアク取りお願いします。あたし、そろそろ御飯出来るってユモ達呼んで来ますから」

 反論する暇も与えず、雪風は立ち上がり、

「ペーター少尉殿が来たら、コーヒー煎れといてもらってください。じゃ、よろしく!」

 一言残して、小走りに駆け出す。

「ちょ、え?」

 まな板とナイフを持ったまま、声をかけるタイミングを失ったドルマはその後ろ姿を見送る。

 見送って、見えなくなってから、呟いた。

「……二度目から始めることは出来ない、か……」


「……あれ?え?ちょっと、え?」

「……何をしているのですか?」

「わ!」

 混ぜているうちに過度に液状化し始めたマッシュポテトに狼狽するドルマは、ペーター少尉が戻ってきたことに気付いていなかった。

「え、あの、その……」

 何と答えたものかわからず、油断するとまな板から四方に溢れて落ちそうな液体マッシュポテトの始末も負えず、ドルマは、ペーター少尉を見上げる。相当に情けない顔になっている自分を、自覚をせずに。

「……ああ。そういう……ちょっと貸して下さい」

 ドルマの手元の光景と、散乱する剥かれたジャガイモの皮と、茹でたての芋の匂いで状況を察したペーター少尉は、ドルマの手から優しくまな板をかっさらうとその上の流動性物質を飯盒コッホゲシェーの蓋にあけ、手近な石に腰掛けつつ、蓋を焚き火にかざす、遠火で。

「良くあることです。芋の水分が多かったか、混ぜすぎたか……大丈夫、これくらいなら、充分食べられます」

 焦げ付かないように、蓋の中身を側に置いてあったカトラリーベシュテクでかき混ぜつつ、ペーター少尉は言って、ドルマに微笑む。

「しかし、ドルマさんがこんな所で料理とは……」

「……ユキさんに、頼まれたのです、けれど……」

 情けなさそうな目をしてペーター少尉に微笑み返してから、ドルマは少し俯く。

「……上手に出来なくて。ダメですね、私……」

 ちょっとだけかき回す手を止めてドルマを見つめたペーター少尉は、蓋の中身に視線を戻す。

「そういえば、ジャガイモはアンデス原産でしたか。チベットでもよく見かけますが、高地の気候に合っているのですね」

 かなりベシャベシャだったマッシュポテトが、徐々にとろみを取りもどしてくる。少しだけ味見して、ペーター少尉は呟く。

「……ちょっと、しょっぱい」

「ごめんなさい。お塩、入れすぎましたか?」

「いやまあ、この程度なら……付け合わせにもよりますし、って、お、スープですか」

 同じく遠火で煮込まれている、マーモットのスープにペーター少尉はやっと気付く。

「ユキさんがお作りになって……彼女、お料理、お上手なんですね」

「ドルマさんは、お料理はされないのですか?」

 ドルマの顔に浮かんだ情けなさ、悔しさのかけらに、ペーター少尉は気付けない。

「私は……家に居る頃は、家の者が大体やっていたので。ナルブ様の所でも、お茶を淹れるくらいしか……」

 あ、しまった。ペーター少尉は、虎の尾を踏んでいることにやっと気付く。

「それは……うん、その……」

 咄嗟に全開で脳を回転させ、ペーター少尉はなんとか言葉をひねくりだそうと格闘する。

「……まあ、人それぞれで、そうです、そうか、だから……」

 ある事に気付いて、ペーター少尉は飯盒コッホゲシェーの蓋を火から遠ざけ、近くの別のまな板というか木皿というか細めの丸太の切り出したものの上に載っていた、何やら香草らしき刻んだ緑のものをほんのちょっとつまみ、口にする。

「……うん。あのですね、ドルマさん、私の両親が学者だって話はしたと思いますが、実は母はあまり料理が得意ではありませんでした」

 その緑の何かをぱらぱらとマッシュポテトに振り入れ、ペーター少尉は再度、蓋の中身をかき回す。

「ジャガイモはドイツでも主食みたいなものですから、よく食卓に上がりましたが、父も母も味に頓着がなかったのか、味付けが濃いか薄いかであまりちょうどよかった記憶はないですね」

 もう一度、味見して、頷いてから、ペーター少尉は続ける、蓋の中身を緩くかき混ぜながら。

「それで、私が小さい頃はそうでもなかったのですが、私がある程度身の回りのことが出来るようになると、両親も仕事に没頭することが多くなり、一人で食事を取ることが増えまして。いつの頃からか、自分で食事を作るようにもなったのですが、最初にやったのはちょうどこんな、ソーセージヴルストを茹でて、芋を茹でて潰して。ソーセージヴルストはともかく、芋は火が通ってなかったり、こんな感じにドロドロになってしまったり、まあ、何度も失敗したものです」

 顔を上げたペーター少尉は、ドルマに向けて苦笑する。

「こんな野草を加える発想は、私には無かった。食べ付けない味ですが、これはこれで」

 かき混ぜていたスプーンの先を、ペーター少尉はドルマに向ける。その意図を汲んで、ドルマは腰を上げ、ペーター少尉に近づいてきて、スプーンの先のマッシュポテトを味見する。野ニラの辛みが、口に広がる。

「……辛くて、しょっぱい、です」

「濃い味付けですよね。ですが、そこの肉を和えると、丁度良くなるかも知れません。やってみましょうか?」

「勝手にしてしまって、構いませんの?」

「そのまま食べる感じではありませんから、何かに使うつもりで用意したのだと思います。少しくらい戴いても構わないでしょう」

 言いながら、ペーター少尉は雪風が火から下ろしておいたマーモット肉のみじん切り炒めを少々、マッシュポテトに混ぜ込み、かき混ぜる。

「……うん。良い感じです。脂のおかげでしょう」

 再度味見してから、ペーター少尉は一度拭ったスプーンで少量すくった肉入りマッシュポテトをドルマに差し出す。

「……お隣に座らせて頂いても、よろしいでしょうか?」

 立ったままだったドルマは、スプーンを受け取りつつ、聞く。

「おっと、これは失礼しました、どうぞ」

 ペーター少尉は、平たい石の上で腰をずらす。一人で座るには充分に大きい石だが、二人となると少々狭い。

 ぴたりと腰を寄せて座ったドルマは、座ってからスプーンを口に運ぶ。

「……本当ですね、さっきより、かなりマシです」

「パンに載せるか、何か生地で包むと良さそうですね」

「確かに。ミートパイシャパレにしても美味しいかも」

「要するに、です」

 飯盒コッホゲシェーの蓋を火から下ろして横に置きながら、ペーター少尉は言う。

「何事も経験、失敗もするでしょうが、失敗を恐れず色々考えて試して小さな成功を積み重ねる。それでよい、そんなに大きく考えることではない、失敗しても良い、そういう事ではないでしょうか」

「失敗……しても、いいのですか?」

 ドルマは、まるで何か悪戯して叱られるのがわかっている子供のような顔で、ペーター少尉を上目遣いに見上げた。

「いいと思います。程度にもよりますが。むしろ、失敗を恐れて何も行動しない方が罪深いと私は思います。失敗を隠すのはもってのほかです」

「……」

 ドルマは、顔を戻して、焚き火を見つめ、考え込む。

 いつの間にかすっかり陽は落ちて、赤い炎に照らされるドルマの淡く日焼けした肌の横顔に、ペーター少尉は目を奪われる。

「……私、失敗を恐れていました。いえ、今も多分、恐れてます」

 炎を見つめたまま、ドルマが呟く。

「チェディの事は大失敗。それからも失敗続きで……でも、そんな私でも……」

「失敗は、リカバーすればいい、それだけです。自分で出来なければ、助けを求めればいい。私自身、今回の調査隊運用は失敗の連続で、古参の下士官に何度も助けてもらいました」

「……私も、誰かに、助けてもらえますか?」

「私が保証します……少なくとも」

 一度言葉を切って、覚悟を決めてから、ペーター少尉はドルマの目を見て、言った。

「少なくとも、私は、あなたを助けると約束します」

 焚き火に照らされた、揺らめく二人の長い影は、しばし見つめ合い、一つに重なった。


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「……ってあんた、わざわざ呼びに来なくても念話通してくれりゃ良かったのに」

「んな事言ったってあたしやり方知らねーし。それにあたし、そんな野暮じゃないわよ」

「野暮って……あ。ああ、そういう……」

「少尉殿が戻って来る気配感じて、すっ飛んで来たんだから。だから、オーガストさんも、用意、ゆっくりでいいですよ」

「と言われましても、用意らしい用意などありませんが。しかし、なるほど、あの二人はそういうご関係でしたか」

「大変興味深いお話です。後学のため、是非詳細を知りたいところですが」

「出歯亀はダメ。じゃあ、ゆっくり行きましょうか。お腹も空いたし……」

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