第4章 第59話

「良い手際ですね……マーモットかな?」

「え?ああ、これ、これがマーモットだったのか。カピバラの仲間かと思った」

 あらかた解体の終わったマーモットの枝肉を一旦手近な木に吊してコーヒーを飲んでいた雪風は、少し離れた所にあるその毛皮と頭を見ながら、ペーター少尉の言葉に答えた。

「手際なんてよくないですよ、見よう見まねで。ただ、ここんとこ、こんなんばっかりなんで、慣れてきてはいますけどね」

 言って、ペーター少尉に褒められた雪風ははにかむ。数頭のマーモットを血抜きし解体した割には、付近には生臭さは殆ど漂っていない。乾燥した高地の大気がそうさせるのだろう、ペーター少尉はその理由を、そう考えた。もちろん、雪風が『獣の姿で』獲物を捕らえ、その場で即座に血抜きし、不要な内臓も捨てていた――肝臓などは『役得』としてその場で戴いた――事も大きな理由だなどとは、ペーター少尉が気付くはずも無い。

「あたしの田舎、今でも凄い山奥で。里帰りするとたまに熊とか鹿とか解体手伝わされるから……こんな所で役に立つとは思わなかったけど」

「熊や鹿、ですか?ユキ・タキ嬢フロイライン ユキ・タキのご親族は、狩人イェーガーなのですか?」

「狩人って程じゃないです、みんな普通の林業のかたわらに、趣味でやってるくらいです」

 言って、雪風は水筒のコップに注がれたコーヒーを飲み干す。

「……さて、続きやっちゃうか」

「何を、作るのですか?」

「とりあえず、夕飯用にスープを。まあ、具材も調味料も乏しいんですけど。それと、余った分は燻製にして、明日の朝食にでも回そうかなって」

「それは凄い」

「って言うほどのものじゃないですよ。あ、ペーター少尉殿も、夕飯、ご一緒しますよね?」

「私も?」

アレ・・、ダメでしょう?」

 雪風は直接言わなかったにもかかわらず、ペーター少尉はその言わんとするところを瞬時に理解し、胃がむかつくのを感じた。

「……ええ、よろしければ、ご一緒させていただきたいかと」

「じゃあ、三人前……あ、オーガストさん入れて四人前か。肉、残らないかな?」

 マーモットは大体体重が五キロ前後、可食部だけならその半分どころか、三分の一にも満たない。

「まあいいか」

 言いながら立ち上がった雪風は、どこから出したのか、手に持った大型ナイフ――ペーター少尉にはなじみのない『出刃包丁』に扮した『れえばていん』――で、マーモットの枝肉からすいすいと肉を剥がし始め、剥がしたそばからぶつ切りにして飯ごうコッヘルにぶち込む。

「……飯ごう、足りるかな?」

 本来は雪風とユモの二人分の飯ごう二個に肉を適量放り込み、しかしスープを作るにはちょっと鍋が足りないかもと思った雪風のつぶやきに、ペーター少尉が反応する。

「私のコッヘルも持って来ましょう、ちょっと待ってて下さい」

 言って、立ち上がって尻をはたいてから、ペーター少尉は小走りに崖下に向かった。

「あ、少尉殿ぉ!」

 その背中に、雪風は呼びかける。

「ついでに、お水、少し余計に汲んできてくれます?」


「失礼します……ペーター様は……いらっしゃらないようですね」

 ノックし、ユモと雪風の個室の入室許可を伺った後に扉の向こうから顔を出したドルマは、その室内を一瞥して、やや残念そうにそう言った。

「こっちには来てないわよ。図書室に居るんじゃなかったっけ?」

 何やら手を動かし、視線も手元に落したままのユモが、振り向きもせずにドルマに答える。

「退出されたと、モーセス師範ロードにうかがいました……こちらに寄られたわけではないのですね」

「来てないわね」

 自分の服、黒いワンピースの裏地、将来を見越して余裕を持たせてあるそれの一部を細長く、注意深く銃剣バヨネットで――洋裁ハサミなど、ここにはあるはずがない――切り出しながら、ユモはつっけんどんに答える。

 答えて、一息ため息をつくと、なんとなく、銃剣バヨネットから離した右手でワンピースの胸元奥のペンダントをいじる。

「……来てないけど、ちょっと前、コッヘルとか抱えて部屋から出てきたから、外でコーヒーでも飲んでるんじゃないかしら?」

 ユモは、顔をドルマに向け、ニヤリと笑う。

「火、熾すのに手間取ってるのかも。今行けばお呼ばれ出来るかもよ?」

「え……あ、はい、そうですね、私、外を見てきます」

 虚を突かれた表情だったドルマは、じわじわとユモの言わんとする事が理解出来たのだろう、踵を返すとぱたぱたと小走りに部屋を出て行く。

「……お優しい事ですね」

「そりゃね。恋する女は応援してあげたいじゃない?」

 胸元から軽い皮肉を飛ばしたニーマントに、ユモも返す。

「恋する女、ですか」

「そうよぉ。『魔女の館ヘキセンハウゼン』の魔女見習いとして幾多の恋バナを聞いてきた、このユモ・タンカ・ツマンスカヤ様の目に狂いはないわ」

 ユモの母、魔女リュールカ・ツマンスカヤが切り盛りする『魔女の館ヘキセンハウゼン』は、地元メーリング村ではよろず相談所兼占いの館としての営業も行っている。

「あんたが『ミスタ・メークヴーディヒリーベは何かしら部屋から持ち出して外に向かったようです』なんて『耳打ち』するから。あの少尉さんが外で出来る事って言ったら、コーヒー淹れるくらいしかなさそうだもの」

 言って、ユモは、ぽつりと付け足す。

「……ユキと鉢合わせなけりゃ良いけど」

「鉢合わせると、まずいですか?」

「どうかしらね……」

 ニーマントの素直な疑問に、ユモは頬杖をついて考える。

「ユキの事だから、滅多なことはないと思うけど……こっちが知ってることを、今はまだ知られたくない感じよね」

「なるほど……とはいえ、ミスタ・メークヴーディヒリーベが外で火を焚くのに悪戦苦闘したとしたら、遅かれ早かれユキカゼさんに見つかって、きっと手助けされてしまうでしょうね」

「で、そこにドルマさんが出っくわす、と」

「ミスタ・メークヴーディヒリーベが居るのなら、互いにボロを出すような事は控えると思いますが?」

「それもそうか」

「ご心配なら、こちらから念話で聞いてみては?」

「それこそ、目の前で不自然なことさせちゃうかもじゃなくて?いいわ、信用してしばらくほっときましょ」


「ペーター様、ここにいらっしゃいましたか……何を、していらっしゃるのですか?」

 不意にラモチュンに声をかけられて、水音でラモチュンの接近に気付いていなかったペーター・メークヴーディヒリーベ少尉はちょっとドキリとして顔を上げた。

「あ、これはラモチュンさん。いえ、水を汲んでいるだけですが……いけなかったですか?」

「そういうわけではありませんが。水を汲むだけなら……汲んだ水を、どうされるのかと思いまして」

「……コーヒーを淹れようと思いまして」

 ラモチュンの質問に、ちょっと考えてペーター少尉は答えた。マーモットの肉を煮るため、というのはここでは言うべきではない。

「そうですか……お話ししたと思いますが」

「部屋の中ではやりませんよ」

 ラモチュンの先を制して、ペーター少尉が答える。

「火は外で焚きます」

「結構です。本当は、嗜好品の類いはこの都にいる間は控えていただきたいところですが、ペーター様は経緯が経緯ですので。この都に、貴き宝珠マニ・リンポチェへの謁見を求めて来る他の方々と扱いが違うのも道理、許されるでしょう」

「それは、有り難い事です」

 ペーター少尉は、本心からそう礼を言う。この都では、コーヒー紅茶の類いは元より、バター茶プージャすら見かけたことがない。

 水筒の蓋を閉めながら、ペーター少尉は立ち上がる。

「では、私はこれで」

貴き宝珠マニ・リンポチェが、お会いになるそうです」

「……なんと?」

 顔を合わせず、呟くように言ったラモチュンのその一言を、すれ違いざまに聞いたペーター少尉は一瞬内容を理解出来ず、一拍置いてからようやっと聞き返した。

貴き宝珠マニ・リンポチェに、拝謁賜れるのですか?」

「はい」

 驚きと期待と、本人も意識出来ていないわずかな不安がないまぜになった表情で聞き返したペーター少尉に、ラモチュンは細い目をさらに細めて微笑み、頷く。

「それは……ええ、有り難い、光栄です。そうだ、他のみんなにも伝えなければ……」

「申し訳ありませんが、他言無用にお願いします」

 早速、ユモと雪風、オーガストの居室に向かって走り出しそうなペーター少尉の機先を制して、ラモチュンは忠告する。

「謁見のゆるしが出ているのは、ペーター様、あなたお一人です。他の方は、そもそも謁見の申し出をされていません」

「ああ……」

 確かに、そうだ。ペーター少尉自身は、奪われた書簡の件、発掘物の件もあって謁見を申し出ているが、ユモと雪風、オーガストは目的の違いからか、貴き宝珠マニ・リンポチェへの謁見は、少なくともペーター少尉の知る限り、要求していない。

「……わかりました。この事は、他言無用。了解しました」

「結構です。お手間をお掛けしますが、よろしくお願いいたします。お時間については、まだ微調整しておりますので、後ほど改めてお迎えに上がります……ああ、他言無用は、お連れの方々だけではなく、この都の全ての者に対してですので、よろしくご承知おきください」

「都の他の方にも、ですか?それでは……」

「はい」

 ラモチェンは、にこりと頷いて、答える。

「モーセス師範ロードや、ドルマにも、です」

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