第4章 第47話

「あ。来たわね」

 部屋の扉をノックする音を聞いて、ユモが引き戸を開ける。

「一体何を……いや、一体何をされているのですか?」

 食堂で突然耳元で聞こえたユモの声の件について真っ先に聞こうと思っていたペーター少尉は、部屋の真ん中で携帯コンロと固形燃料でライ麦パンコミスブロートをあぶっている雪風を発見し、絶句する。

「お昼食べ損なっちゃったから、ユキに作ってもらってるのよ」

 ペーター・メークヴーディヒリーベ一般親衛隊少尉と、その後ろのオーガスト・モーリー米陸軍軍医中佐を部屋に招き入れながら、ユモは何でもないことのようにさらりと言ってのける。

「いや、その……この区画は、飲食禁止では……」

 ユモと雪風がラモチュンから聞かされた内容は、ペーター少尉も、恐らくはオーガストもドルマから聞いているらしい。

「堅いこと言いっこなしよ。それにね」

 ユモは、まるで最高のイタズラを思いついた5歳児のような目で、困惑するペーター少尉の顔を見上げた。

「ダメって言われると、子供はそれをやりたくなるものよ?」

「ったく。こういう時だけ『子供』なんだから」

 手際よく、焙ったパンに缶詰のソーセージヴルストを挟み、缶の残り汁に乾燥野菜などぶち込んで火にかけ直した雪風が聞こえよがしに愚痴る。

「いいじゃない。実際、子供なんだから」

 雪風の横にすとんと座って、ユモも言い返す。

「へいへい……スープ、適当だから味は保証しないわよ」

「食べられれば何でもいいわよ」

「……それはそれで、なんか言い方腹立つわよね……」

 差し水し、塩とラードで味を調整しながら、雪風はぶつくさ言う。

「反論するだけ無駄です、少尉」

 口をパクパクしているペーター少尉の肩にポンと手を置いて、しかしすぐにその手を引っ込めつつ、オーガストが言う。

「口で少女に勝とうなど、ナポレオンの大陸軍グランダルメに一個小隊で挑む方がまだ気が楽というものです」

 何か言いたげに口を開きかけたペーター少尉だが、ため息をついて口を閉じた。

「……まったくもって同感です、中佐。今、思い知りました」


「して、我々を何故、呼んだのです?」

 少女達の簡単な昼食が一段落するのを待って、オーガストが切り出した。

「内密なお話しと察しますが?」

 自分の耳の中だけに聞こえたユモの呟きがニーマントの仕業である事を知っているオーガストは、それが相当に秘密を要する話し合いの要請だと、瞬時に気付いていた。

「……あれは、どういう手品なのでしょうか?」

 当たり前のようにその事・・・をスルーしているオーガストに対し、『不思議な現象』を初めて体験したペーター少尉は、どうにも引っかかりを感じているらしい。どうしても聞きたかった疑問を、口にする。

ユモ嬢フロイライン・ユモの声はあんなにはっきりと聞こえたのに、それを聞いていたのは私と、モーリー中佐のみ。周囲のチベットの方はともかく、ドルマさんにすら聞こえていなかったのは……」

「企業秘密よ」

 ぴしゃりと、ユモは切り捨てる。

「そのうちタネ明かしする事になる気がするけど、今はまだその時じゃないわ。それに、それは今はどうでも良い事よ」

 胡坐をかいた自分の足首を掴むように姿勢を直して、ユモは続ける。

「で、本題よ。難しい話と嫌な話、どっちを先に聞きたい?」

「難しい話を」

 タネ明かしを拒否されてなんとなく言葉に詰まってしまったペーター少尉を置いて、オーガストが即答する。ペーター少尉は、そのオーガストの顔、なんのわだかまりも感じずに話を先に進めようとする態度と、先ほどユモの声が聞こえた時にも全く狼狽を見せなかった――多少なりともペーター少尉は驚いてしまい、隣席のドルマに怪訝な顔をされた――様子を思い出し、気付く。

 オーガスト・モーリー中佐は、このからくりを既に知っているのだ、と。

 軽く疎外感を感じつつ、極力それを顔に出さないように気を付けながら、ペーター少尉はここは聞きに回った方が得策であると判断し、口をつぐんでいることにした。

「話自体は簡単よ。ユキ?」

「ペーター少尉が以前おっしゃってたエネルギー収支の件に関係する話です」

 ユモに振られて、雪風が話を引き継ぐ。

「この『都』には『清めの炎』っていう焼却炉があって、『都』の中の全ての汚物はそこで焼却処理されるそうです。聞いてました?」

「いや、私は……」

「……イリオンの記録に、同じ内容がありました」

 首を横に振るオーガストの横で、ペーター少尉は静かに言う。

「それも含め、地下都市の燃料は基本的に全てアルコールでまかなわれている、とも。先日、その事はお話ししたと記憶しています」

「はい。で、私達も案内人のラモチュンさんから、燃料はアルコールだって聞きました。もちろん、だとしたら、この地域の穀物生産量やらなんやらから言って、色々とつじつまが合わないわけですけど、問題はもう一つあって」

 雪風が、息を継ぐ。

「気が付いてました?廊下の明かり、アルコールじゃあの明るさは出ないって」

「あ……」

 ペーター少尉は虚を突かれて声を出し、オーガストは片眉を上げる。

「ランプやロウソクの明かりが明るいのは、含まれている炭素が熱で発光しているからですよね。炭素を含まないメタノールやエタノールではその反応は期待出来ない。キャンプでやったことあるんですけど、イソプロピルなら明るい炎だけど、燃費悪いし煤が出るしであんまり使い勝手良くないんですよね。しかも、ここの廊下の明かり、煤もついてないし、なんなら熱で灼けた感じもほとんど無いし」

「……つまり?」

 雪風の話の内容は理解したが、言わんとする事を想像出来ず、ペーター少尉が問う。

「あくまで推測ですけど。この地下都市で使われている燃料、というか熱源は、アルコールなんかじゃなくて、何か別の、燃焼反応を伴わない熱源、光源なんじゃないかって。それが何かはわからないけど……」

「……ヴリル・パワー……」

「……なのかも、しれません」

 やや呆然と呟いたペーター少尉に、雪風が頷いて答えた。

「少尉さんもおっしゃってましたけど、エネルギー収支的に確かにおかしいんですよ。さっき見ただけで百人以上がここに居て、空調だけで相当なエネルギー使うはずなのに、入る時に見た周辺にはそれらしい設備は何も無い。空冷じゃなくて地下水の水冷かもしれないけど、どっちにしてもエネルギー源はそこそこ膨大なはず。なんなら、地下で酸欠起こさない為の送風機だけでも結構なエネルギーを消費しているはずですし」

「なるほど、理屈ですね」

 顎を撫でながら、オーガストが呟く。

「言われてみれば、その通りです。ここを炭鉱と思えば、確かにそういった設備がないと事故を起こすでしょう」

 オーガストは、ユモと雪風の部屋の、天井付近にある通風口を見上げる。

「部屋の中も、廊下も、気温は一定している。この土地の外気温は日較差が大変に大きいのに、です。言われるまで、気にもしていませんでしたが……」

「……気付くべきでした。いや、私が真っ先に気付かなければいけなかったのに」

 ペーター少尉は、言って、肩を落とす。

「お二方より丸一日早くここに着いていながら、それに気付かなかったとは……なんたる……」

「目の付け所の違い、ね」

 意気消沈しているペーター少尉に、何でもないことのように、ユモは言う。

「あたしも言われるまで気にもしてなかったけど。ユキは根っからの理系頭みたいね、そういうの、気になってしょうがないんですって」

「親の因果が子に報いたのよ。ま、嫌じゃないけどね」

 胡坐をかいた膝に肘を置き、頬杖をついが雪風がぼそりと言ってから、ペーター少尉に笑顔を向ける。

「気にすることじゃないと思いますよ、少尉殿。あなたは指揮官なんだから、部下がそれに気付けばいいだけのことです。指揮官が全部出来るんなら、部下なんて必要ないんだから」

 てへっと、雪風は小首をかしげる。

「って、うちのパパが言ってました。だから、全部自分でやりたがる俺は上に立つ器じゃないって」

「あー。うちのパパファティの言ってたこと、同じ事かも」

 ユモも、雪風の言葉尻に乗る。

「いい指揮官ってのは、旨い飯食わせてくれて、その分働く気にさせてくれる人だって」

「お二人とも、良い親御さんをお持ちのようだ」

 オーガストが、感嘆混じりに言う。

「少尉の落胆もわかります、少尉も私もどうやら学者肌のようですから。しかし、だからこそ、チームで動く事、足りない点を補い合うことは大事だと思います」

「それは、そうなのですが……」

 ペーター少尉は、思いの外ダメージを受けているらしい。

「……パパが言ってた。挫折とか失敗するなら若いうちがいいって。歳くってから躓くと自分も周囲もダメージでかくてエラいことになるって」

「あんたのパパファティって、もしかして結構やらかしてるタイプ?」

「多分。しょっちゅうママにしばかれてた」


「とにかく、まとめるとですね、それがヴリル・パワーかどうかはともかく、この地下都市で使われているエネルギーは、熱を出さずに光だけ出したり、多分だけど光を出さずに熱だけ取り出せたり、なんなら自由に吸熱と放熱を選択出来る、マクスウェルの悪魔の権化みたいなインチキ極まりない代物じゃないかって事です」

 まだしょげているペーター少尉を半ば無視して、雪風は話をまとめにかかる。

「私は物理は得意ではありませんが……」

 顎をさすりながら、オーガストが確認する。

「……熱力学の法則を破っている、という事ですか?」

「恐らくですけど、燃焼とかそういう、化学反応以外の何かなんじゃないかと。それが何かは、もう……」

 雪風は、肩をすくめてお手上げポーズをとる。

――魔法を使えば、近い事は出来るわけだけど……どうも、そういう感じじゃないのよね……――

 うかつに口に出すわけにいかないので、心の中だけで、ユモは呟く。

――何か異質な放射閃オドは感じるけど、あたしの知っているどんな魔法体系にもそぐわないのよね……あたしが知らないだけ、って事かもだけどさ――

「……ユモ、どうかした?」

 普段だったらこのあたりで突っ込みなりなんなりくるはずの会話の中、思いの外静かにしているユモに気付いて、雪風が顔を覗き込む。

「……なんでもない!」

 少しだけ、自分が知らないことがまだある、まだまだ自分は足りていない・・・・・・事に思うところのあったユモは、雪風の問いかけに強く答え、自分の中の迷いを振り切る。

「とにかく!あんたの言うとおり、この地下都市はあたし達の常識の外にある事だけは間違いなさそうだって事よ。だから、ペーター少尉、子供に出し抜かれてからって落ち込んでる暇なんてないんだから!」

 半分くらいは自分に言い聞かせつつ、もう半分はペーター少尉に向けて、ユモは強く言い放つ。

「それに、もう一つ、嫌な話が残ってるし」

 顎に手を置いたまま、オーガストが片眉を上げる。

 ピーター少尉も、話の矛先が変わったことに気付いて、顔を上げる。

 その視線の先で、思いの外真剣な表情のユモが、雪風と目を合わせる。

 雪風が、ユモと目を合わせたまま、頷く。頷き返して、ユモは、ペーター少尉とオーガストに、向き直る。

「……単刀直入に言うわ」

 心なしか、ユモの声は低い。

「あんた達が食べた、さっきの食事だけど。あれ……」

 一呼吸、息を飲み込んでから、ユモは続ける。

「……人の肉、よ」

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