第2章 第11話
「それで、理由はともかくケシュカル君は崖から落ちて気を失った?そこに、お二人が、ええと」
「
「そう、ユモ嬢とユキ嬢、あなた方が通りかかった?」
「そんなところね」
チベット語から英語に切り替えて聞いたナルブに、バター茶のカップをテーブルに置いて、ユモも英語で答える――途中口を挟んだペーター少尉は、思わず
「怪我してたから、応急手当もしたわ」
「それは、我が国の民の為に、お礼申し上げます」
座布団に座ったままとはいえ、ナルブは、ユモと雪風に頭を下げる。あ、いえ、かなんか言って、反射的に雪風はお辞儀し返してしまう。
「それで、あたし達はこれからどうなるの?」
そんな雪風におかまいなく、ずけずけとユモが聞く。
「そうですね……本来なら、密入国者であれば官憲に突き出すのが筋なのですが、正直申し上げまして、国境で発見したならともかく、これほど奥地でとなると、そこまでの途中の役人は何をしていたのだということになります。私としては、土地の者の恩人を突き出したくもありませんし、事を大げさにしたくもありません」
「そういう事でしたら」
ペーター少尉は、ニヤリとしながら、言う。
「私は、随伴員の人数と構成の書類の修正を申請し忘れていたかも知れません」
「どうやら、そのようですね。そのようにして頂ければ、即日受け付けましょう」
「ナルブ様、ここではそれで良いとして、出国審査はいかがいたしますか?」
ナルブにお茶のお替わりを注ぎながら、ドルマが聞く。
「そうですね……私が一筆書きますから、少尉殿、それをお持ち頂いて、国境の審査官にお渡し頂けますか。何らかの『心付け』と一緒に」
「承知しました。お心遣い、感謝いたします」
――こんなにあからさまに、袖の下の交渉するんかい――
雪風はなるべく顔に出さないように心の中だけで嘆息し、隣のユモと視線を合わせる。ユモの目の中に、同じ思いを確認しながら。
――有り難い事なんだけどね……でも、部隊が引き上げる頃には、あたし達、居ないはずなんだけどね……――
「ところで、先ほど、『呼び寄せられた』とおっしゃいましたが、その真意を伺っても?」
地方行政の長としてのユモと雪風の扱い――要するに見なかった事にする――を確認した後、ナルブは改めてペーター少尉に尋ねた。
「はい。端的に申し上げますと、何らかの『見えざる神の手』によって彼女たちはここに使わされた、私にはそう思えるという事です」
「ほう?」
興味深そうに、しかしナルブは一言だけ相槌を打って、話の先を促す。
「閣下も御存知の通り、我々先遣調査小隊の目的は、この地でシャンバラ、あるいはシャングリラと呼ばれるものが実在した証拠を得る事です。都市そのもの、あるいは都市の痕跡でも発見出来れば素晴らしい成果と言えますが、今のところはその確証を掴むに至る結果は出せておりません。ですが、彼女たちが、我々のあずかり知らぬ何らかの現象によって、この地に現れた。それも、我々が調査を行うこの地に、この時に。これは偶然なのか?否、そうではない、私はそう思うのです」
一口
「仮に、我々と接触することが出来なければ、彼女たちはもしかしたら、この地で果てていたかも知れません。我々と接触し、我々に保護される。そこまで見据えた上で、何かを伝えるために、何者かが彼女たちを我々の手の届くところに、我々がここに居る今、使わした。私には、そう思えてならないのです。何故なら」
手に持ったカップをゆっくりと回しながら、ペーター少尉は、言った。
「探検家、テオドール・イリオンが、我が党の幹部に伝えたのです。秘密宗教の儀式を行う禁断の地下都市が、この地域のどこかにある、それこそが、我々が目指し求めるものであるからです」
ナルブは、難しい顔をした。無言で、話の先を促す。
「イリオンの供述は、その内容はあまりにセンセーショナルであり、ややもすると荒唐無稽、地名人名の要所がぼかされているおかげで、真偽について党でも議論があり、党の幹部でも七三で空想と捉える向きが多いようです」
結んだ口元を緩めないナルブと、その後ろに立つドルマに一度目を向けてから、ペーター少尉はカップに視線を落とし、バター茶を一口飲む。
「とはいえ、全くの荒唐無稽な嘘八百であるとも言い切れない。『チベットの奥地にシャンバラが実在する』そんな噂が絶えないのもまた、事実です」
カップから上げた視線をナルブに移し、ペーター少尉は言う。
「我が党は、多方面から検討した結果として、この地に我々を含む複数の先遣調査隊を派遣しました。今、本国で進められているであろうイリオンの旅行記の詳細版の執筆、これと我々の先行調査結果を併せて検討し、その結果によって本格的な調査隊の派遣を検討する手はずになっています。そうまでして我が党が欲するものについては、閣下は御存知で?」
「……いや、地質及び発掘調査としか聞いておりません」
ペーター少尉に聞かれたナルブは、一拍置いてから答える。
「左様ですか……我が党の目的は、確かにシャンバラに関する何らかの証拠を掴むことですが、では、何故そこまでシャンバラにこだわるのか、疑問に思われたことは?」
「それは、疑問には思っていました。何故、科学的に進んだドイツのナチス党がそのような『夢物語』の調査をされるのか」
今度は、ナルブは即答する。
「さもありましょう……時に閣下、『アーリアン学説』についてはどの程度御存知で?」
「さて、話には聞いたことはありますが、詳しくは……アーリア人とは中央アジアからヨーロッパ一帯に広がる古代人であり、お国の方々は、自身をアーリア人の末裔としていると聞きますが」
「おおむねそのような認識が一般的です。そして、我が党ではアーリア人は優生人種であり、それ以外の劣等人種は優生種たるアーリア人に支配されてこそ幸福になれる、大まかに言うと、そのように喧伝しています」
――その考え方が、これから悲劇を生むんだけどね……ううん、もう始まってるのか――
ユモは、顔に出ないように注意しつつ、思う。戦後生まれのユモ自身には、
「少尉殿も、そのようにお考えで?」
「党の方針に、党員として、
即答して、ペーター少尉は続ける。
「ですが、あくまで個人の見解として、私は思うのです。目の色肌の色、人に違いがあるのは不可避です。祖先の違いで、現在の人類に優劣があるというのも、甘んじて認めます。その上で私は、現時点で定義のはっきりしない『アーリア人種』という要素があり、それが優劣を左右するのであれば、逆にいっそ、全ての人類がその因子を持てば良い、全ての人類が等しく優生になる事こそ、人類に対する福音となるのではないか、と。『名誉アーリア人』などというお為ごかしではなく、真の意味でアーリア人となる事が可能であれば、それこそが我々が目指すべき目標ではないか、と」
「……それこそが人類の均一化を図る共産主義思想、あるいは革命思想に繋がるんじゃなくて?」
ここに来る道中での会話を思い出したユモが、つい我慢出来ず、口を挟んだ。
「それに、そういう強制的なのって、必ず反対する人が居ると思います、どんなに『良いモノだ』って言われても」
雪風も、ユモに続けて意見する。
驚いた目で二人に振り向いたペーター・メークヴーディヒリーベ少尉は、すぐに嬉しそうに微笑んで、答える。
「その通りです。強制的なそれは間違いなく反発をまねきます。それが『敵国』によるものならなおさらです。そして、人種の均質化というのは、ある意味究極の共産化かもしれません。いずれも、大問題です」
ペーター少尉は、二人の少女に向けていた視線をナルブに戻す。
「ですが、それは、我々が優生種たるアーリア人種を構成する因子を特定し、利用出来るようになってから考えれば良いこと。現時点で、我々は党が喧伝する『祖先がアーリア人と呼ばれるものであったらしい』という事以外、確証らしきものを持ちません。まずは、とにかくその確証を得ること。それをどう利用し、人類繁栄に生かすかはそれから考えるべきで、今手元にありもしないものをどう運用するかの皮算用は取り越し苦労にすぎないと、私は思っています」
ペーター少尉は、肩をすくめる。
「共産主義そのものについても、私は別に悪いものだと思っているわけではありません。ただ、均質化、画一化、そういったものは、人類の、ヒトの自由な発達を妨げる。家族あるいは血縁者による原始共産主義的なそれはむしろ大歓迎ですが、国家レベルとなると……」
ペーター少尉は、首を横に振る。
「とはいえ、資本主義に根ざした民主主義であっても、最善とは言いがたい……まことに、国家の舵取りとは難しいものです。であるからこそ、国民一人一人が善き方向に向いていて欲しい、外部からの強制など必要とせず、自発的に、善き総意が生まれるように……絵空事であるのはわかっています。ですが、今、私が行っている任務が、たった一歩、いえ半歩でもそれに近づくのに役立つならば、私の仕事のかいもあるというものです」
一息ついて、ペーター少尉はバター茶をすする。
「その意味で、ナルブ閣下、先ほどの
「……確かに、このお二人は、子供扱いしては失礼にあたる、それは私も感じました」
問いかけに応じたナルブの返事にしたりと頷き、ペーターは続ける。
「その彼女たちが、
――嘘ばっか。消費カロリーがどうとか言ってたじゃない――
ユモは、ペーター少佐の発言に、心の中で舌を出す。
――プレゼン慣れしてるなー。実力もあるんだろうけど、口先で昇進するタイプだわね――
雪風も、組織に求められる人材の一端を、ペーター少尉に見ていた。
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