第2章 第12話

「……やはりこの地にあったとされる『ヴリル・パワー』が関与している、あるいは『ヴリル・ヤ』と呼ばれた古代都市あるいは種族と関係している、私をここに派遣した我が党、我が親衛隊の上層部には、そう考える者がおりました」

 ペーター少尉は、本題に入る。

「我が党がシャンバラを探す理由の一つが、この『ヴリル・ヤ』の実在、あるいは『ヴリル・パワー』に関する痕跡の発見にあります。何故なら、『ヴリル・パワー』が手に入れば、現在我が国を、ひいては世界を悩ませるエネルギー問題はほぼ解消する、そう考えているからです。化石燃料を輸入に頼っている我が国にとっては、これは死活問題とも言えます……もちろん、そのようなものがあったとして、そうそう上手く利用出来るものかという議論はありましょう。ですが、それも先ほどの話と同じ、まずは見つけてみなければ始まらない、そして、一縷の可能性であってもそれがあるならば、探してみるだけの価値はある、党はそう考えているわけです」

 カップに残った冷めたバター茶を飲み干して、ペーター少尉は続ける。

「実際、それがどのようなエネルギーなのか、皆目見当がつきません。フリーエナジーだ、永久機関だ、そう言う者もいますが、私は全ての可能性を否定しない立場でいようと思っています。そこに、彼女たちが現れた。彼女たち自身にも説明の付けられない、摩訶不思議な現象によって。しかしながら、現に彼女たちはここに居るのです。このような年端もいかない少女二人が、ろくな装備も無しに歩いて国境を越えて密入国した可能性は、ほぼ否定して良いでしょう。であれば、その摩訶不思議な現象が実際にあったものと思わないわけには行きません。摩訶不思議な……そう、『ヴリル・パワー』のような、謎めいた、何かを」

 飲み干したカップに視線を落としてから、ペーター少尉はカップを置いて、姿勢を正す。

「閣下が質問された、『呼び寄せられた』の答えが、これです。あくまで仮説、推定、私の思い込みに過ぎません……『シャンバラ』、『アーリアン学説』、そして『ヴリル・ヤ』。不確かな、雲を掴むような話ばかりです。しかし、それらは何故かこのチベットの地に集中しており、そこに、彼女たちが現れた。今まさに、我々の目の前に。私には、これが偶然であるとはどうしても思えない。何者かが、彼女たちを手がかりに謎を解けと言っているように思えてならない。これが、私が思う『呼び寄せられた』の答えなのです……ああ、ありがとうございます」

 ひとしきり自説をぶったペーター少尉のカップに、ドルマがバター茶のお替わりを注いだ。礼を言って、ペーター少尉は酷使した喉を潤す。

「……なんとも、掴み所のない話ではあります。が」

 ナルブは、後ろのクッションに体をもたれさせながら、言う。

「はっきり分かりました。少尉殿、あなたは、近視眼的な利益ではなく、もっと大きなものを見ていらっしゃる……私は、誤解していたようです」

 身を起こして、ナルブは続ける。

「あなた方は、あなた方の国の利益だけを考えていると思っていました。いや、それが悪いわけでは無い、我が国の中央政府も、あなた方と取引することで我が国の利益になると考えてあなた方に調査を許可したのでしょうから。ですが、少尉殿は、国家単位ではなく、人類単位での幸福を目指していらっしゃる。このナルブ、お見それいたしました」

「いえ、私など、まだ何の成果も上げていない、思い込みだけの若輩者に過ぎません」

「その思いこそが大事なのです。その思いがあればこそ、いずれ少尉殿は何事か成す、私はそう思います……よろしい、意義に感じます、私にできる限りの協力をいたしましょう」

「ありがとうございます、閣下」

 言って、ペーター少尉は右手を差し出す。ナルブは、その手を取って堅く握る。


「……迷惑な話だわ」

 その大人達を細めた目で見ながら、ユモは呟いた。

「止しなさいよ」

「だってそうじゃない?何にもわからなくて一番困ってるのはあたし達よ?それを勝手に祭り上げられて、たまったもんじゃないわ」 

「止しなさいって」

 雪風の制止に、しかしユモは言葉を止めない。

「嫌よ。今言わないといつ言うのよ。少尉さん、あたし達は自分の家に帰りたい。それが目的、最優先なの。国も世界も、あたし達には関係ないわ」

 ぷいと横を向いて、ユモは付け足す。

「でも、あたし達を保護してくれて、それは本当に感謝してる。だから、礼には礼を持って返すわ」

「……ホントすみません、この子ツンデレだから、勘弁してやって下さい」

 雪風が、困った顔で大人達に軽く頭を下げる。

「だから、何よそのツンデレって」

「あんたみたいなめんどくさいヤツの事よ。でも、ユモの言ってることは、帰りたいのが一番ってのはあたしも同じです。何にもわからないっていうのも」

 困り顔で微笑んで、雪風は軽く首を傾げる。

「だから、科学的に調査して、なんかわかるんなら、それも良いかなって思います。そう言う意味で、あたし達に出来る事は協力します。一宿一飯の恩義もあるし……そう言う事よね?」

 ユモに振り向いて聞いた雪風に、ユモはフンスと鼻を鳴らして答える。

「……お茶のお替わりは、いかが?」

「あ、いただきます」

 ドルマの問いかけに、雪風はカップを差し出す。続けてユモにポットを向けたドルマに、ユモは、表情は硬いままで、それでも失礼のない態度でカップを差し出す。

「……いいコンビね……」

 ぽつりと、ドルマは呟く。

「腐れ縁よ」

 ドルマに目を合わせず答えたユモを見ながら、雪風は苦笑する。

「どっちかってーと、ケンカ友達だよね」


「……そうだ、早速ですが、それに関し、閣下に尋ねしたいことが」

「なんでしょう?」

「この写真をご覧いただけますか?」

 ペーター少尉は、持参した書類入れから数枚のプリントを取り出し、ナルブに渡す。

「……これは?」

 しばし写真を見つめてから、ナルブはペーター少尉に聞く。

「地質調査の過程で発掘したものです。完全ではありませんが、何らかの化石だと思っています。ただ、正体がわからない」

 肩をすくめて、ペーター少尉は小さく首を振った。

「最初は、古代の植物かと思いました。あるいは、海百合のような生物だと。過去の調査から、このチベットを含む一帯が堆積岩の地層である事はわかっています。海生生物の化石も見つかっていますから間違いはない。しかし」

 ペーター少尉は、別の写真をテーブルの上に置いた。

「この化石は、かなり最近の地層から出土しているのです。どうやらそこは一度崩落して年代特定が困難な地層らしく、時代がよくわかりません。そして、正体が、わからない」

 ペーター少尉は、更に別の写真を取り出し、テーブルの上に置いた。

「これが、今手元にある全てのパーツを組み合わせたものです。閣下、このあたりで、このような『何か』を見た、あるいは似たような何かの伝承のようなものはありませんでしょうか?」

 ナルブは、手に持っていた、ペーター少尉から渡された写真もテーブルの上に置いた。

 それらは、樽のような何かの先端に星形の何かがついた、あえて似ているものを探すならヒトデの乗ったウミユリ、いくつかの破片に砕けているもののおおよその形状はそのように見える写真だった。


「……バージェス動物群、みたいなモノ?」

 思わず、雪風は呟いた。

「何それ?」

 つい、素で、ユモが雪風に聞く。

「んーとね、カンブリア紀の生物大爆発の時期だっけかにアサッテの方向に進化して袋小路にはまった面白動物の一群、かな?」

 カナダのバージェス山の一角で奇妙な生物の化石が発掘されたのは1910年頃の事だが、これが未知の生物であると話題になったのは1970年代以降の事である。雪風にとっては『ヘンないきもの』の基礎知識だが、ユモにとっては未知の知識である。もちろん、ここに居る他の者達にとっても。

「ホントにあんた、変なこと知ってるわよね」

「親の因果が子に報いるのよ」

 感心六割あきれ四割くらいで感想を述べたユモに、雪風が返す。

「……すばらしい……」

 ペーター少尉が、ぽつりと呟く。あ、しまった。雪風は、思わず口に手を当てる。

「……しかし、時代が違います。確かに、このあたりの地層はカンブリア紀前後のものが多いです。とはいえ、これが出土した一体は、一度ならず崩壊した形跡のある地層でした。つまり、堆積した時期よりも、はるかに後の時代のものでまず間違いないでしょう」

「考古学的なことは、残念ながら私には専門外です。私は一介の地方領主に過ぎませんので。その意味ではお役に立てませんが……少なくとも、このようなものは見たことも聞いたことも……」

「ナルブ様、師範ロードなら何か御存知かも」

 雪風の仕草にはペーター少尉もナルブも気に留めず、写真の検討に集中し、しかし残念な結論に達しようとした時。ドルマが、一言、声をかけた。

「ああ、そうか、そうですね。師範ロードなら、何か御存知かも知れません」

「拙僧に、御用でしょうか?」

 太い声が、話を割った。声の主に一斉に視線が注がれる。

 見れば、下男の開けた扉の向こうに、実に立派な体格のラマ僧が立っていた。

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