第2章 第10話

「ユキ、お水ちょうだい」

 キャンプ地から街に向けて歩き出して最初の小休止で、ユモは大岩に腰掛けて足をぶらぶらさせながら、雪風の持つ水筒をねだった。

「はいはい……ほれ」

 苦笑しながら、雪風は左右に振り分けてたすき掛けにした自分のとユモの分と二つのM31雑嚢ブロートボイテル――中には水筒とビスケットクネッケブロート缶入りチョコレートショカコーラ、ドライフルーツ少々――から、ユモの分の水筒を取り出してユモに渡す。缶入りチョコレートショカコーラもつけて。

ありがとダンケ……なに?」

 お礼を言って水筒とチョコを受け取ったユモは、自分達を不思議そうに見つめるドルマの視線に気付き、何気なく尋ねた。

「あ、いえ。すみません、なんでもありません」

 自分自身、その視線が不躾だと思ったのだろう、ドルマは、軽く謝罪して続ける。

「ただ、ちょっと。お二人は、どういう関係性なのかと不思議になりまして」

「関係性?」

「はい。お二人は、失礼ですが、外見的にもお名前からしても、血縁者でも何でもないのは明らかだと思いますが、だとしたら、どのような関係なのかと」

「どんな関係って」

「ただのお友達、よね?」

 見上げて問うユモに、視線を合わせて雪風が答える。

「お友達?」

 小首を傾げて、ドルマが聞き返す。

「白人と東洋人なのに?一方的に荷物を持たせる関係なのに、ですか?」

「ああ……」

 言われた意味に気付かず一瞬きょとんとしたユモに変わって、先に気付いた雪風が答える。

「あたし達、そういうの、無いですから。荷物だって、この子が貧弱だからあたしが持ってあげてるだけ。関係性って言うなら、対等です」

「白人と、東洋人が?」

「関係ないわ」

 三度聞き返したドルマに、ユモが答える。ドルマの言葉の意味を遅れて理解し、少しだけ、声を荒げて。

「白人とかなんだとか、くだらないわ。そりゃ文化、国籍、宗教、いろんな違いはあるけど、自分以外の他人は大なり小なり自分とは違うんだから、違って当たり前、そんな事で優劣つけるヤツはそんな事にしか頼れないヤツ。あたしとユキは違う、互いに互いの長所も短所も認め合って、その上で役割分担してるのよ」

 一息、鼻息をついてから、ユモは続ける、ちょっとだけ不服そうに。

「荷物だって、認めたくないけどあたしが体力無いからユキに持ってもらってるだけ。その分の借りはいずれどこかで別な形できっと返すけど、仮にあたし達が本当の姉妹だとしたら、こういうのは当たり前でしょ?そう言う意味で、あたし達の間に役割分担はあっても優劣や順位、主従関係はないわ」

――なんたって、対等が条件の使い魔の契約フェアトラーク フォン フェアトラートだもの――

 ユモも雪風も、同時に、同じ事を思う。そして、そんなものが無くても、関係性は変わらないだろうけど、とも。

「……そういうもの、でしょうか?……」

「互いの違いって、嫌いになるための理由付けにしかならなくって、好きになっちゃうとどうでもよくなるって、ママもパパも言ってた」

「あんたの親が言うと説得力あるわよね」

「でしょ?あたしも、そう思ってるし」

 呟くようなドルマの問い返しに今度は雪風が即答し、ユモが茶々を入れる。

「そう……ですよね」

 何事か、自分に言い聞かせるように、ドルマが呟く。ユモと雪風の言葉の裏にあるものには、気付くはずも無く。

「……さすがは福音のお二人です。その通りだと、私も思います」

 それまで黙って聞いていたペーター・メークヴーディヒリーベ少尉が、話に入って来た。

「しかし、哀しいかな、現実はそういったしがらみで人々はいがみ合い、争いあってしまう……」

「違いを認める事と、仲良くなれるかは別の問題よ」

「まさに然り。しかし、そうであっても、とにかく第一歩は違いを認める事、そこから、ですね」

「そうね、それは確かだわ」

「……素晴らしいと思います。大変、開明的です」

 ドルマは、ユモとペーター少尉のやりとりを聞いて、言う。

「……そのような考え方が、皆に根付けば……」

「……理想的ですが、問題もあります」

 ドルマの呟きを遮って、ペーター少尉が言う。

「権威的で閉鎖的な為政者にはそのような主張は面白くないだけでなく、そのような考え方は往々にして革命思想と結びつきやすく、共産主義思想にすり替えられやすい。無垢な大衆に共産主義的思想が根付くとそれはそれでやっかいです……もちろん、共産主義そものもが悪いわけではないのですが」

「面倒くさいですよね……好きな人とは仲よく、そうじゃない人ともそれなりに、たったそれだけの事なのに」

「そうですね」

 雪風の一言に、苦笑してペーター少尉が答える。

「その為にも、国家や人種といった壁を取り払えると良いのですが」

「そうすれば、みんな、もっと自由になれます?」

 ドルマが、ペーター少尉に聞く。

「少なくとも、偏見という足かせのいくつかは外せるでしょう」

 傍らの、大半の言葉がわからなくて所在なげにしているケシュカルを見て、それからドルマの目を見て、ペーター少尉は答える。

「微力ながら、私は、そういう世界を実現したいと思っています……さて、そろそろ行きましょうか」


 小休止を挟むこと三度、日が高くなった頃に一行は街の入り口に到着した。

「……まあまあの街じゃない?」

 ヘトヘトなのを意地でやせ我慢していたユモは、あからさまに安堵の息を吐きながら、それでも強がって、言う。

 背後に標高7782mのナムチャバルワ山をいただき、前方はヤルツァンポ河が流れる、ごくごく小規模の扇状地。大部分が田畑でんぱたのその丘陵の、山側に広がるその街は地方都市としてはありがちな規模だが、一番高い位置に寺院が、そこから少し離れて一段低く建つ建物がおそらく領主の屋敷、その下に民家がまばらに、あるいは固まって広がる。

「ここ一体は水も緑も豊かで、古くから耕作が盛んだったそうです。似たような規模の集落があちこちに点在していますが、いずれもそこそこ豊かですね」

 ドルマが、ユモの言葉を受けて説明する。

「私は先に行って、ナルブ様に皆さんの到着を告げてきます。皆さんはゆっくりいらして下さい」

 そう言い残して、ドルマは上り坂をさっさと進みはじめる。

「ゆっくりったって……」

「どの道を登っても、最後は寺院にたどり着きます。ナルブ閣下の邸宅はそのすぐ側ですから迷いようはありません」

 こちらも、それなりに疲れは見えるがまだ笑顔を見せる余裕はあるペーター少尉が、げっそりしたユモに言う。

「さあ、もう一息です」

「……おんぶでもしてやろーか?」

「いらないわよ!」

 にやにやして言った雪風に、売り言葉に買い言葉で返したユモは、空元気をふりしぼって歩き出した。


 ナルブ邸の下男が一行を通した――護衛の隊員2名は次の間に通された――応接間で待つこと数分。

「ようこそいらっしゃいました。遠路はるばるお疲れ様でしょう」

 扉を開けて早足で入って来た身なりの良い中年男は、綺麗な英語でそう言ってペーター少尉に右手を差し出す。

「貴重なお時間を割いて頂き光栄です、ナルブ閣下」

 仕立ての良い織物のクッションから一挙動で立ち上がったペーター少尉はナルブの手を握り、やはり英語で挨拶する。

「して、こちらが?」

「はい。我々が保護した少年と、少女二人です」

 ナルブの問いかけに、ペーター少尉は振り返って座布団から腰を上げたユモと雪風、窓際で縮こまっているケシュカルに視線を流す。

ユモ・タンク嬢フロイライン ユモ・タンクユキ・タキ嬢フロイライン ユキ・タキです。あちらが、ケシュカル少年です」

「ユモ・タンクです。はじめまして」

「ユキ・タキです」

 ワンピースの裾をつまんで軽く膝を折って会釈するユモと、それを見習って真似するがイマイチ慣れていない雪風が、挨拶する。

「あ、えっと、お、俺、ケシュカルっていいます」

 一拍遅れて、窓際に立つ少年も、名乗る。場違いな雰囲気に押されながら。

「私が、この地域を預かるナルブです。……なるほど、まあ、積もる話はあとで。皆さん、お腹も空いていらっしゃるでしょう。大したおもてなしは出来ませんが、今、皆さんの食事を用意させています。それまで、お茶でもいかがですか?」

 タイミング良く、先ほどまでの地味だが動きやすい外出着から見栄えのする室内着に着替えたドルマが、茶器を持って応接室に入ってくる。

「……本場のバター茶プージャです、是非、ご賞味下さい」

 ペーター少尉も意味ありげに微笑んで、ユモと雪風にそう告げた。


「なるほど」

 昼食後のバター茶を嗜みながら、ペーター少尉の語る顛末を聞いて、ナルブは深く頷いた。

 その顛末とはつまり、地質調査のための測量中に不審な破裂音を聞いたペーター少尉と調査隊は、ペーター少尉以下一部の隊員で音源方向の捜査を実施し、二人の外国人少女と一人のチベット人少年を発見。しばらく様子を見た後に接触し、今に至る、というあらましである。

「そして、お嬢さん方の供述からも、所持品からも、どうしてここに居るのか理由が全くわからない、という事ですね」

「その通りです」

 慣れた様子でバター茶を飲みながら、ペーター少尉は答える。その様子を、ちびちびとバター茶を舐めながら、ユモは聞いている。

――あたし達が出現した瞬間は見られてない、って事か……――

 ペーター少尉の語る顛末に嘘偽りがないとして、そう判断したユモは、割と平気な顔で――慣れが要るわね、とバター茶を評価するユモに対し、変わった味の味噌汁と思えばこれはこれで、と雪風は評している――バター茶を飲む雪風に目配せする。以心伝心、使い魔の契約フェアトラーク フォン フェアトラートでユモと繋がる雪風は、ユモと視線を合わせ、その言わんとする事を理解して小さく頷く。

「彼女たち自身、如何にして自分達がこの地に呼び寄せられたのか、全く御存知ない様子。それが故に我々は彼女たちを遭難者として保護しました。聞けば、ユモ・タンク嬢フロイライン ユモ・タンクは我が同胞人、ユキ・タキ嬢フロイライン ユキ・タキは同盟国人。国際法的にも、我が隊で彼女たちを保護するのに全く問題は無いはずです」

「確かに……呼び寄せられた?」

 ペーター少尉の語る理屈に素直に同意したナルブは、その中にあった一言に気付いて、聞き返した。

「はい。私は、彼女たちは、何らかの大いなる力に導かれてこの地に現れたのだと思っております」

 ペーター少尉は、ナルブの質問に、何の迷いもなく答える。

「フムン……それに関しては、とりあえず後ほどゆっくり考えることにしましょう。して、そちらの少年は、少尉殿が駆けつけたときには既に倒れていたと」

「そうです。彼女たちの言によれば、盗賊団に襲われていたようだったとの事です」

 ナルブは、ペーター少尉の答えを聞いて、ユモと雪風に視線を移す。二人は、ナルブを見つめたまま、頷く。

「残念ながら、ケシュカル少年からは詳しい事は聞けておりません。私自身の言葉の問題もありましょうが、記憶の混乱があるようです」

「なるほど……」

 ペーター少尉の補足を聞いたナルブは、顎に手を当てて小さく頷くと、現地訛りのあるチベット語でケシュカルに聞いた。

「何があったか、覚えていますか?」

「……俺、よく覚えてません」

 萎縮した様子で座布団に座っていたケシュカルは、見るからに身を固くしてナルブに答える。地方知事の屋敷に来ることも、あのような――チベット的には――贅沢な昼食を摂ることも、こんな上等な座布団に座ってお茶を頂くことも、全く想定外の出来事なのだろう。

「俺、崖から落ちたんです。それは覚えてます。その後は覚えてません、目が覚めたら、白人ペーリンの、この人達……」

 ケシュカルは、ペーター少尉を指差す。

「……のテントの中でした。その前は……他の大人と一緒に、ずっと何かしていたんだと思います」

 一生懸命に記憶を手繰りながら、ケシュカルは答える。

「五人か六人の大人と一緒に。一人は、俺の兄さんです……多分、俺、山賊だったんです。けど、牛の世話や畑仕事もしてました」

「この地方では、食い詰めた農民が一時的に山賊になる事は珍しくないそうです」

 ペーター少尉が、ユモと雪風に身を寄せて耳打ちする。ケシュカルを見たまま、ユモと雪風は事情を理解し、頷く。

「それから、誰かと二人で崖の道を歩いて……あれは、誰だったんだろう?見たことない、不思議な人。村の大人じゃない……」

 ケシュカルは、首を振る。

「すみません、よく思い出せません」

「いえ、結構です。気を楽にして下さい」

 ナルブは、責めるでもなく、言う。

「……俺、罰を受けますか?」

「罰?何故?」

「だって、山賊だったから」

「君が山賊の罪で訴えられているなら、知事として私は君を罰しますが、今のところ誰からも訴えは届いていません」

 ナルブは、傍らに控えるドルマに目配せして、続ける。

「さあ、お茶でも飲んで落ち着きなさい。何か悩みがあったり、懺悔したいなら、私でも良いし、そうだ、この後、もうすぐ僧侶ラマが一人、ここにいらしゃいます。彼に懺悔するのも良いでしょう」

「ラマ僧が?」

 ドルマがケシュカルのカップにお茶を注ぐ間に、ペーター少尉がナルブに短く聞く。

「はい。私はこの地域の知事ですが、この件、外国人がみだりにこの地に入った事、我が国の者に接したことは、寺院としても見過ごせない事ですし、御存知の通り、寺院は我々の政治にとって大変重要です」

――つまり、坊主が政治の実権を握ってるって事か。いつの時代もどこの世界も、変わらないわね――

 ユモと雪風は、同時に同じ事を思い、心の中で嘆息した。

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