第1章 第7話

 10名程の分隊が四つ、さらに小隊長であるペーター・メークヴーディヒリーベ少尉を含めて総勢45名で構成する先遣調査小隊にあって、片言とはいえ曲がりなりにも現地語を使えるのはペーター少尉だけであった。

 突然飛び込んできた当番兵の報告に、ペーター少尉は気まずいところを見られた風でもなく返事をした。

「……分かりました、すぐ行きましょう。容態は?」

「は、健康状態に問題はなさそうですが、言葉の問題もあり、怯えているようであります」

「了解しました。ユモさん、ユキさん、すみませんが、少々お時間をいただけますでしょうか?」

「……よろしければ、少尉さん、ご一緒させてくれません?」

 ユモは、腰を上げながらペーター少尉に言う。言葉とは裏腹に、その態度には絶対に行くという熱意、断られることなど考えていない意思が明らかであった。

「……いいでしょう、あなた方は第一発見者でもあります。ご一緒においで下さい」

 一瞬、何かを考えたペーター少尉は、二人の少女の同行を許可した。


こんにちはタシー テレーお名前は何ですか?ツェン ラ カレ シュキ ヨー

 苦労してチベット語の発音を駆使しつつ、ペーター少尉が、ベッドの上で半身を起こす現地人の少年に笑顔で尋ねる。

「……白人ペーリン……が……増えた……」

 しかし、その笑顔のかいなく、むしろ禁忌とされる白人が増えた事で、その少年はさらに身をかたくしてしまう。

「ずっとこの調子で……どうしたものか」

「困りましたね、私もチベット語は片言ですし、ましてや方言となるとどうにも……」

 困惑している当番兵に、ペーター少尉も顎に手を当てて考え込んでしまう。

 チベット語は、地域により方言が多い事に加え、ラマ僧の教えによって一般チベット人は外国人、特に白人に警戒感を抱いている事はペーター少尉は知っていたし、その為に一般人との無用な接触は避けるようチベット中央政府からの要請があったことも確かだった。だが、西洋文化の常識で考えるペーター少尉にして、排他的、閉鎖的な異文化の常識を持つ少年を、どう扱うべきか、即座に答えが出なかった。

「……大丈夫よ、安心なさい」

 そのペーター少尉の横で、鈴の音のような少女の声がした。

「確かにあたし達は白人だけど、悪霊でも何でもない、あんたと同じただの人間よ」

 少しだけ驚いて、ペーター少尉は声の主を探し、視線を自分の左横やや下方に下げる。そこには、腰に手を当てて胸を張り、自信満々の笑顔で、しかし優しい視線を少年に向けるユモの姿があった。

「……同じ?」

「そう。同じよ。手が二本足が二本で目が二つ、どう?あたしとあんた、何が違う?」

 そう言って、ユモは笑う。

「……肌の色と髪の色……」

「そりゃそうよ。国が違えば、住むところが違えばそれくらいは違うわよ?それとも何?違う国の人間を見るのは初めて?」

 おずおずと、ゆっくり首を縦に振ろうとした少年は、急にはっと目を開き、強く首を横に振り直した。

「……初めてじゃない。思い出した。俺は、前に一度、白人に会ったことがある」

「なら、その白人は『悪霊』だった?」

「違う。その白人は、とても賢くて、ラマ僧に聞いたのとはまるで違った」

「ふうん……あたしたちがその白人と同じくらい賢いかは知らないけど、多分、あたし達もそのラマ僧とやらが言ったのとは違ってると思うわ。あんた、どう思う?」

「それは……うん、違う気がする。酷い匂いでも、酷く醜くもない。肌の色も髪の色も、着ている服も変だけど」

「そりゃそうよ、あんたの家族は、みんなあんたと同じ顔?ちがうでしょ?なら、家族でも違うなら、国が違えばもっと違う。違って当たり前。そうでしょ?」

「ああ……そりゃそうだ。あんたの言うとおりだ」

「理解が早くて結構よ。あたしは、ユモ。あんた、名前は?」

「……ケシュカル」

 少年が緊張を解き、名乗ったのを聞いて、ユモはペーター少尉に振り向いた。ちょっとばかりドヤ顔で。

「……奇蹟だ……」

 ペーター少尉はしかし、想像以上に感極まった様子で呟いた。


「ユモさん、あなたは母国語で少年に問いかけ、少年はチベット語でユモさんに答えた。私の拙いチベット語ですらなく。一体どうして言葉が通じたのか……」

「どうしてって、そりゃ……え?あ!」

 はっとして口を手で押さえたユモに、状況が理解出来ていない雪風が聞いた。

「え?何?どうかしてた?」

「えっと……どうしてでしょうね?真心が、伝わったのか、な?あはは……」

 何某なにがしか、自分が犯したミスに気付き笑ってごまかそうとするユモに、かぶりをふってペーター少尉は答えた。

 うっとりとした表情、潤んだ瞳をユモと、ユモの後ろに控える雪風に向けて。

「いいえ。それこそ、これこそが、神がお示しになった奇蹟なのでしょう……」


「……見落としてたわ……」

 自分達専用に仕立ててもらったテントの中で、特別に沸かしてもらったタライの湯で体を拭きつつ、ユモが口惜しげに愚痴る。

 チベット人の少年、ケシュカルの名前を聞き出した後、ペーター少尉とユモ、雪風はそのテントを退出した。

 地味に興奮し、もっと話をしたそうなペーター少尉の頭を冷やすためもあり、ユモと雪風は風呂かシャワーを浴びられないかペーター少尉に質問し、シャワーは無理だがお湯を用意する位なら何とかなる、との回答を得た。

 年端もいかない少女とはいえ、いやむしろだからこそ女っ気のない調査小隊の男衆の間で問題があっても困るという事で、調査部隊が帰還する前に事を済ませてしまおう、ユモと雪風はそう強く主張し、ペーター少尉も異を唱えるものではなかったために突貫工事で比較的綺麗で空間にも余裕のある資材テントの一つの片隅を開放し、タライにお湯も用意してもらった。

 タオルや石鹸も予備資材を借用し、これまで複数回の『時空跳躍タイムリープ』の中では比較的マシな環境で体を清めつつ、ユモは先ほど気付いた失敗、『言葉通じせしむまじない』の欠点について語った。

「あのまじない、基本的には一対一で使う前提だから、こういう、複雑な状況だと上手くないのね……盲点だったわ」

 そもそも『言葉通じせしむまじない』は、ヨーロッパ言語は大体なんとかなるがアジア言語はからっきしなユモが、日本語話者で英語ですらおぼつかない雪風と会話するために互いにかけたまじないである。

 『言葉通じせしむ』の名の通り、異言語間での会話を成立させるのがこのまじないの本質だが、実はこのまじないは言語を翻訳しているわけではない。あくまで互いの言語はそのまま耳に入るが、『伝えたい意図』が『会話したい相手』に『直接伝わる』為、相手はそれを自分の母国語として聞いていると錯覚するというものだ。

 なので、相手が理解出来ない、対応する概念や語彙を持たない意図は伝わらず、発声側の言葉がそのまま伝わるという問題点がある事は、早い段階でユモも分かっていた。

 今回新たに、それだけではなく「複数同時に、まじないのかかっていない別個の言語話者が存在する場合、その話者同士は意思疎通出来ない」という、考えてみれば当たり前の現象が起こることが判明した。

 具体的には、ユモの発話はまじないの効力でケシュカルとペーター少尉にはそれぞれ互いの母国語として聞こえた――そもそもユモとペーター少尉は同じ母国語、ドイツ語話者だが――が、ケシュカルの発話はペーター少尉にはチベット語として聞こえていた。つまり、ペーター少尉からするとユモとケシュカルは違う言語、ドイツ語とチベット語で会話が成立していたように聞こえていたのだ。

 ペーター少尉がチベット語を理解出来なければ、ユモとケシュカルは互いに母国語で言い合っていただけに聞こえていただろうが、曲がりなりにもペーター少尉がチベット語を習得していた為、会話が成立していたのを理解出来てしまった事が事態をより複雑にした。要するに、違う言語での会話を成立させる『見えざる神の手』が働いたのだと、ペーター少尉が誤解してしまったのだ。

「かつて、世界で言葉は共通でした」

 その時、ペーター少尉は言った。

「しかし、おごれる人をいましめる為、神は言葉を乱し、通じないようにしました……『エホバ降臨くだりて彼人衆かのひとびとたつまちたふたまへり……去來いざ我等くだり彼處かしこにて彼等の言語をみだし互に言語を通ずることを得ざらしめん』。御存知、創世記11章、いわゆるバベルみだれです……今、私の目の前でユモ・タンク嬢フロイライン ユモ・タンクが起こしたこの光景は、全くもってその逆です……これを奇蹟と言わずして、何としましょう」


「まさか、バベルの塔を持ち出してくるとはね……」

 覗かれるのも困るが、聞き耳立てられるのはもっと困る為、ユモが『言葉乱しせしむまじない』をかけたテントの中で、ユモの濡れ髪を拭いてあげながら、雪風が呟く。

「知っているのね雪風」

「一応ね、オタク知識の一環としてね……ああいう言い方されると、反論出来ないわよね」

「まさか、あたしが魔法かけました、なんて言えるわけないし」

「……なるほど、いやはや宗教、いや信仰というのは難儀なものですな」

 それまでだんまりを決め込んでいたニーマントが、ユモの胸元から感想を述べた。

「難儀の塊みたいなニーマントさんが、他人事みたいに言わないで欲しいんですけど」

「そうよ、まあ、ずっと黙ってたのは有り難かったけど」

 少女二人に八つ当たり気味に抗議され、しかし、ニーマントは歯牙にもかけない。

「それで、これからどうされるおつもりですか?ミスタ・メークヴーディヒリーベはいよいよお二人を歓待こそすれ手放す気はなさそうですが」

「……そうね。日蝕まで、行くとこあるわけじゃないし、歓待してくれるのは有り難いけど……申し訳ないけど、日蝕が起きたら有無を言わさずおいとまさせてもらうわよ」

 髪を拭いて貰いながら、ユモは細い体についた水滴を拭いつつ、ニーマントに答える。

「あたしたちの最優先は帰る事。でもまあ、礼を失しないようにはしないとね……はい、こんなもんかしら?」

「ありがと。そうね、礼儀は大事よね」

 ユモの長い髪を拭き終えた雪風に礼を言いつつ、ユモも独りごちる。

「あたしたちは、お嬢様フロイラインなんですもの」

 

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