第1章 第6話
「これは、イリオンが帰国後の早い段階で、我が党の幹部に語った話の速記です。内容は、イリオンがチベットに密入国し、ラマ僧その他と交流し、秘密の地下カルト教団と接触し、命からがら逃げ帰る……おおよそそういう話です」
ここで一旦言葉を切って、話が長くなると踏んだのだろう、ペーター少尉は、当番兵にコーヒーのお替わりを持ってくるように命じる。
「そもそも、チベットへの密入国自体、褒められたことではないのですが。とはいえ、我々のように政府からの許可を得て入国する場合、行動に制限が付くのは致し方のないこと。それを嫌い、政府あるいは権力機構が隠す何らかの秘密を曝こうとするなら、そのような手段を取らざるを得ないと考えるのも理解出来ます。その意味もあって、彼、テオドール・イリオンが帰国後、党から彼に秘密裏に接触があり、聞き取り調査が行われました。その結果を元に、私を含め『
「あれ?少尉殿は、
ふと感じた疑問を、雪風はつい口にする。
「はい、私は、
「あ、なるほど。納得しました」
「私同様、調査隊の隊員の多くは
さっきの曹長の事ね。ユモと雪風は、同時に、初対面の時の、いかにも軍人らしい仕草を見せた兵士を思い出す。
「さて、話の続きですが、実はイリオン自身はヴリルに関する知識は皆無と言って良かったと、私に与えられ得た命令書の資料にはありました。ですが、イリオンが接触した地下カルト組織は、アルコールを燃料として用いていたとの供述があります。イリオンへの供述から専門家が科学的に消費されるカロリーを算出した結果、どう少なく見積もっても、穀物生産に難のあるこのチベットでは、必要なアルコール量がまかなえない、命令書ではそう結論づけています」
「確認させて欲しいんだけど。地下カルト組織って、具体的にはどういうものなの?」
口をつぐんでいたユモが、良い機会だとばかりに説明を求める。
「イリオン曰く、反キリスト的な、悪魔崇拝的な集団、という事のようです。彼らが崇拝する神、あるいは悪魔の名は記されていません。イリオン自身からも、供述は得られなかったと資料にありました。ただし……おっと」
入室の可否を問う当番兵に許可を与えて、お替わりのコーヒーを人数分受け取ったペーター少尉は、当番兵が出ていくのを待って言葉を続けた。
「……著書には詳細な記述は無いのですが、本人の供述から、数柱の神あるいは神の使いが崇拝されているらしいことは分かっています。うち一つは複数の翼、複数の足、複数の手を持つ異形の古き神、どうやらこれが主神のひと柱であり、もう一つはその神に仕える強力無比な使い魔、そしてもう一つ、はっきりしないのですが、それらを上回る何か、クブ、あるいはキュブ、シュブとも聴き取れるようなのですが、そう呼ばれるもうひと柱の主神があるようで、多神教的な何かであることは間違いないようです。私自身キリスト教徒ですが、このような任務に携わる以上、無用な宗教的先入観は持たないよう心掛けています。しかし、そうでない一般人は、敬虔なキリスト者から見たら、異形の神を崇める多神教の他教徒は、どう見えるでしょうか?これは、大変に敏感な問題と言わざるを得ません。ましてや……」
一度、言葉を切ってから、ペーター少尉は言った。
「……そこで使われているエネルギーが『ヴリル・パワー』で、そこがシャンバラの入り口だとしたら?」
「……証拠は、あるの?そこが、シャンバラだって証拠は?」
一瞬の静寂の後、ユモの硬い声が、ペーター少尉に尋ねた。
「物的証拠は、ありません。それを探すのが、私の任務です」
「なんだ……」
「ですが、イリオンの供述を信じるなら、エネルギー収支の説明がつかない地下都市の存在は明らかです。一般人なら、ごまかされるかも知れませんが、あなた方のような聡明な視点の持ち主であれば……」
「待って。地下都市って、さっき、地下カルト教団って言ったのと、まさか、同じものを指してます?」
雪風が、ペーター少尉の言葉を遮って聞く。
「そうです」
「つまり、もしかして、地下カルトって、倫理的にアングラって事じゃなくて、物理的に地下、って意味でした?」
「倫理面でもいささか問題はありますが、物理的にも地下です」
「マジか……」
雪風は、椅子の背もたれに体を投げ出す。
「地下に都市レベルの何かが存在し、エネルギー収支の計算が合わず、おまけに何らかのカルト教団。怪しさ大爆発ね」
ユモも、妙に冷めた口調で意見する。視線をマグカップに落したまま。
「そのエネルギーの出所が『ヴリル・パワー』であれば、一応の辻褄は合う。カルトも、有史以前からの未知の宗教であればこれも辻褄が合う、倫理的に問題があるとしても。そして、そのような都市、あるいはコロニーに名前を付けるとしたら、古代より伝わる理想郷の名こそ相応しい……」
そこまで言って、ユモは視線をペーター少尉に向ける。その視線を受け取って、ペーター少尉は、
「まさしく、党の考えはそれです。その実在の証拠を掴むことこそ、私を含む先遣調査小隊に与えられた使命。そして」
ペーター少尉は、満面の笑みで少女達を見つめた。
「神よ、この幸運をお与え下さったことを感謝します。今、私の元に、あなた達お二人が現れた。これこそが、この地にシャンバラが、『ヴリル・パワー』が存在することの傍証に他ならないと、私は考えるのです!」
「……はい?」
ユモと雪風の間の抜けた返事が、ハモった。その二人に微笑みかけながら、ペーター少尉は続ける。
「あなた方が誰か、どのような使命を帯びた人物なのか、そこも大変興味はあります。しかしながら、最大の興味は、何故、あなた方が今、ここに現れたのか……一体、何故ですか?」
「いや、何故と言われましても……」
真顔で聞かれて、雪風は口ごもる。その様子を気にすることも無く、何かのスイッチが入ってしまったらしいペーター少尉は、上昇負荷掛かり気味のテンションで話を続ける。
「あなた方に神が与えたもうた
立ち上がり、やや上気した顔で天を仰ぎつつ、続ける。
「一見何の変哲もない荒野であるこの地、実際にはイリオンの記述供述から
ペーター少尉は、視線を二人の少女に戻す。
「そう!これこそが天啓!神の示された我々への福音!そして、あなた達こそが、神が使わされた天使、いや、私にとっては女神に等しい存在なのです!」
「少尉殿!現地人の少年の意識が戻りまし……た……あの……」
自分の言葉に酔ったのか、感極まってしまったらしいペーター少尉と、その圧に押されて引き気味の少女二人。そこに飛び込んできた、急を知らせる当番兵は、滅多に見ないような光景を目の当たりにし、言葉を失った。
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