第1章 第5話

「なるほど?」

 食後のコーヒーを嗜みながら、ペーター・メークヴーディヒリーベ少尉は確認する。

「わかったようなわからないような、不思議な話ではあります。整理しますと、ユモさん、あなたがその、何かの呪いのろいのかかった小箱、それを開けてしまった、呪いが発動し、あなたは自分の家から跳ばされた、と」

 軍用のマグカップからコーヒーを啜りながら、ユモは頷く。

「ユキさんは、理由はわからないけれど、とにかくユモさんに巻き込まれて、やはり跳ばされた。その後もお二人は何度か跳ばされ、あの」

 ペーター少尉は、雪風が腰に巻いていたガンベルトごと傍らに置かれたコルトM1911自動拳銃及び同じくコルトM1917回転式拳銃、並びに、立てかけられたモーゼルM1871、通称Gew.71ライフルに目をやりながら、

「銃も、護身用になんやかやで手に入れた、と。こういう訳ですね」

「かいつまんで言えば。細かく言うと長くなっちゃうし、細かい事覚えてませんし。なんでこうなったのかなんて、全然わかんないし」

 成人のゲルマン人兵士用の一食分はおろか、明らかに食べきれないユモの分まで『お手伝い』した雪風は、両手で持ったマグカップを口から離して、銃から少女達に視線を戻したペーター少尉に答える。

 嘘は、言っていない。かいつまんで、そう、かいつまんで、めんどくさいところを省略しただけ。根が素直な雪風は、故意に隠し事をしている事に、仕方ないと割り切ろうとしてもやはり後ろめたさを感じる。

「わからないのは、恥でも何でもありません。わからないという事実、それがわかった、そう理解することが重要です……しかし、なかなかに興味深い」

 マグカップを持ったまま立ち上がって、立てかけたGew.71の傍に近寄りながら、何故かうれしそうにペーター少尉は続ける。

「我々は一般親衛隊で、武装親衛隊ではありませんから、基本的には武器は持ちません。しかし、今般の先遣調査では、何があるか分からない。そこで、最低限の護身用として、数丁の小銃が支給されました」

 銃を見ながら――見ていただけで、手は触れない――ペーター少尉は、言葉を続ける。

「これと同じ、旧式の小銃を、です。新式のものは武装親衛隊と国防軍に優先して配備されますから、我々に与えられたのは倉庫で埃を被っていた旧式の小銃、別にそれは理解出来る話です。しかし、旧式とはいえ仮にも親衛隊の装備ですから、市井に流れるとは思いづらい」

 少女隊に、ペーター少尉は視線を戻す。

「もちろん、最近ではなく、先の戦争の後に市井に流れた分はあるでしょう。これはそれかも知れません、そこは否定出来ません。そしてこの、アメリカ軍の正式拳銃。これも、先の戦争中に鹵獲されたものがあるとしても、しかし、あなた方のようなお嬢様方の手にあるのは、酷く不自然です。つまるところ、私は何が言いたいかと言いますと」

 本心から嬉しそうに、満面の笑みをたたえながら、ペーター少尉は、言った。

「あなた方の言い分に、逆説的に大変説得力がある、という事です」


「……信じていただけた、という事、です?」

 雪風が、半信半疑で、ペーター少尉に聞く。

「はい。あなた方の存在は、私の仮説に説得力を与えるものです」

「仮説?」

 マグカップから目だけ覗かせたユモが、聞く。

「どんな仮説、学説?そもそも、少尉さん、あなた達はここで何の調査をしているの?石油でも探しているの?」

「残念ながら、この周辺は石油は期待出来ないようです」

 肩をすくめて苦笑しつつ、ペーター少尉が答える。

「他の調査隊からは、鉱床が期待出来る結果も得られていますが、そもそも私の目的はそこではありません」

 ペーター少尉は、そこで言葉を切って、コーヒーを一口飲む。

「じゃあ、何が目的なの?」

 マグカップをテーブルに置いたユモが聞き直す。ペーター少尉は、執務椅子に座り直し、飲み終わったマグカップを机の端に置き、答えた。

「……我々の、いえ、私の目的は、シャンバラにたどり着く事です」


「……シャンバラ?」

 一瞬虚を突かれ、すぐに眉根を寄せて、ユモはペーター少尉に聞き返した。

「あの、シャンバラ?」

「おや、御存知でしたか」

 ペーター少尉は、満足そうに微笑みながら、机上で手を組んだ。

「あたしの実家は古物商みたいなものだから、知識として一応は……」

「ねえ、シャンバラって、理想郷でいいんだっけ?シャングリラと同じだっけ?」

 雪風が、ユモの袖を引く。

「あら、あんたも知ってるの?」

「名前だけよ、パパの本棚にその手の怪しい本がね」

「……あんたのパパファティって、ホント変ね」

「お二人とも、シャンバラの名前は御存知と。素晴らしい……」

 嬉しさに頬を緩ませたペーター少尉が、二人のコソコソ話を遮る。

「……ならば、これからお話しする事も、きっとご理解いただけると思います」

「ここらへんの地下にシャンバラが埋まってて、そのお宝を目当てに掘りに来た……なんて話じゃない、って事ね?」

 ユモの皮肉に、ペーター少尉は笑って答える。

「ある意味では、大変なお宝と言えましょうか。少々入り組んだ話になります。まず、党が喧伝けんでんする『アーリア人仮説』については、御存知と思います」

「ゲルマン民族は優生種たるアーリア人の末裔である、簡単に言うとそう言う事よね?でも、本来のアーリアン学説は、言語学的にインドヨーロッパ言語に共通の源がある可能性を示唆しただけのもの、だったはずよね?」

 辛辣なユモの指摘に、ペーター少尉は笑顔で答える。

「よく勉強していらっしゃいますね。青少年団ユーゲントにも、この話を語れる同僚はおりませんでした」

「言ったでしょ?あたしは古物商の娘、知識だけはあるの」

 またまたご冗談を。雪風は、さらっとごまかすユモに舌を巻いた。

「では、相応の基礎知識がある前提でお話しします。確かにおっしゃるとおり、党の『アーリア人仮説』には色々と無理があります。また、『名誉アーリア人』なる概念など、根本的に学説と相容れないと言って良い」

「あなたは、否定派なの?」

 ユモの指摘に、ペーター少尉はかぶりを振る。

「政治目的で学説が利用されるのは世の常、それをどうこうというのは、一介の親衛隊員の分を越えます。党の意向にケチを付ける気はありません。ただ、より善い道はある、とは思っています」

「……より善い、道?」

 ユモは、雪風も、訝しむ。なんとなれば、彼女たちは、ナチス党がそのお題目で何を行い、どんな結果を招いたかを知っているから。

「そうです。まあ、その話は長くなりますからまた改めさせて頂きたい。要は、党の目的をより善く成す為には、本来の意味でのアーリアン学説が示す源の地の一つ、このチベットにあるとされるシャンバラを見つける必要がある、私はそう思うのです」

「そこに、世界を救うお宝がある、とでも」

 再度のユモの皮肉に、しかしペーター少尉の笑顔は揺るがない。

「その通りです」


「私がそう思うにいたるきっかけは、『ヴリル協会』における講演を拝聴した事によります。親衛隊全国指導者ライヒスフューラーの推薦のもと行われた講演でした。『ヴリル』については、ユモさん、御存知で?」

「……未知の地底文明『ヴリル・ヤ』の持つ神秘のエネルギー『ヴリル・パワー』。地上の災厄から地下に逃れたその民族は地下で神秘のエネルギーを発見し、現在の我々の地上文明よりはるかに進んだ科学文明を成し遂げている。地上の誰にも知られず。でも、それは『来るべき民族』という空想小説だったはずでは?」

「なんだ、空想なのか」

 軽く身を乗り出していた雪風が、残念そうに頬杖をついた。ペーター少尉は、軽く首を傾げ、視線で雪風に続きを促す。

「いえ、ちょっと疑問がありまして。いわゆる『誰もいない部屋に出たオバケを誰が見たのか』ってヤツ。そんな文明があったとして、既に死んだ文明なら遺跡だけしかないだろうけど、伝承が残るくらいなら、伝承を残せるレベルの文化に達した人類と何らかの接触があったって事で。それに、どんな大深度地下に築かれた文明だろうと、エネルギー収支の問題があるから、地表から観測不可能って事もないだろうなって。まあ、それも含めて人類の観測手段に対するステルスが打てる程度の高度文明なのか知れないけど、だったらすごいな、なんて思って」

 へへっ、雪風は、言って後ろ頭を掻く。

「……あんたのパパファティも変だけど、あんたも変なこと気にするわよね」

「うさい。だから、親の因果が子に報いたのよ」

「……驚きました。ユキさん、あなたはあまり御興味無いのかと。いやはや、同僚でもそこを指摘した者は皆無だったのですが」

 ペーター少尉は、帽子をとって髪を掻き上げると、背もたれに身を預けた。

「その通りなのです。いやはや、なんともはや素晴らしい。やはりあなた方は、神が私にお示し下さった奇蹟に違いありません」

「はい?」

 ユモと雪風の声がハモる。

「……順を追って説明しましょう。おっしゃるとおり、そこに地下文明があるとして、我々と接触も観測も出来ないのなら、それは存在しないのと同じ事です。とはいえ、滅亡した文明であって、遺跡が発見出来るなら、それはそれで考古学的に価値はあるでしょう。いずれにしても、実在するのであれば、なんらかの痕跡が発見されるか、あるいは不自然な現象が観測されるはず。我々の行っている調査とはまさにこれです。では、何故、この地で調査するに値すると判断出来たか。それは、この本に寄ります」

 ペーター少尉は、執務机の鍵のかかった引き出しを解錠し、ひと束の紙束を取り出した。『Ratfelhaftes Tibetチベットに関する推察』と1枚目に手書きされたその紙束は、何度も読み返されたのだろう、それなりに汚れ、痛んでいる。

「これは、テオドール・イリオンという探検家の手による、チベット探検記です」

 大事そうに紙束の表紙を撫でていたペーター少尉は、視線を紙束から少女達に戻し、言った。

「ただし、一般的な紀行文、というわけではありません」

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