第6話 立場の違い
入学式が終わり、教室へ移動となった後、程々に目立たない場所まで来てから駆け出した。
その瞬間後ろから「あっ、雲井さん!?」という声が聞こえてきたが、それは無視する。驚いた様子の真白の真横を通り抜けようとして、彼が私の手を掴もうとしたので「ごめんまたあとで!」と叫んでから彼から距離をとり、科学準備室まで一直線に走る。
ヒタヒタと、何かの音が聞こえる。
影がゆらめく。天井がギギギぃ……と、何かを引きずるような音が聞こえる。
「ごめん急いでるの! どいて!」
「うわっ!?」
「何だあの女……おい廊下は走っちゃ駄目なんだぞー!」
「ごめんって! 今は急いでるの!!」
足音が近づいている。
何かが来ている。分かっているんだ。
それは私や真白以外聞こえていないのかもしれない。
真白はきっと、私とは違い巻き込まれることはないはず。だから私が逃げないといけない状況なんだ。
【────みつけたぁ】
聞こえてきた声。いや、機械のような猫がわざと人の言葉を話しているように聞こえる幻聴か。奇妙な不協和音にも似た、嫌な音が響いた。
「ヒッ」
走りつつ後ろを見ればそこにいたのはあの時見た怪異。
人とは全く異なるのっぺらぼう。その異形なる者に私は顔を青ざめ冷や汗をかいた。
恐怖で足がうまく動かない。転びそうになって、ここで倒れれば死ぬしかないと分かっているからよろけても必死に耐えて走り続けた。
あとちょっと。
廊下を曲がってもう少しできっと、先生が指示した場所につくはず────。
「ようやく来たか。雲井」
「せ、せんせぇぇぇぇ!!!」
聞こえてきた声に、思わず涙が出てきてしまった。
私はきっと、酷い顔をしているはずだ。爆走する私に対し、先生は苦笑してきたのだから。
先生は何かが書かれた紙を数枚挟んだクリップボードを片手に持っていた。小脇に挟んでいるのはファイルだろうか。
「それで、のっぺらぼうとやらは?」
「き、来てます。廊下の曲がり角のとこ……もう顔がこっち覗いてる!!」
「ふむ……俺には見えないが……いや、きっといるのだろうな」
眉をひそめた神無月先生が私を見た。
「そののっぺらぼうとやらが反応したら俺に言え。いいな?」
「ふぁい?」
「返事は?」
「は、はい!」
そうして彼は見えないと言ったのっぺらぼうの方を見た。
私や真白以外には見えないはずのそれ。でも、ゲームでは選択肢によって友達と一緒に居て巻き込まれ死亡したってルートはたくさんあった。
見えていなくても、怪異にとって邪魔であればそれは死を意味する。
だからきっと、このまま私を守ろうとすれば神無月先生も巻き込まれて死ぬんじゃ────。
「紅葉秋音」
急に先生がのっぺらぼうの方に向かって言った。
そうしてチラリと私を見て、また口を開く。
「流星善竜郎。海野海里。名綱彰浩。山田江。小金井順子。朝比奈陽葵。元裏康。夕日丘夕陽。野々未清流。冬野白兎。田中明彦。桜坂春臣。戸田黒目────」
【────アッ】
「っ! せ、先生! 反応してます!」
「そうか。戸田黒目というのか、お前は……」
そうして、彼はファイルの方を手に持ち、開いた。
取り出したのは一枚の写真。古びたものだった。
「これがお前の顔だ。お前は三十年前に亡くなった夕日丘高等学校の生徒だ!」
【アッ、あぁ……ソウカ。これが……これが、自分か……これが、顔か……】
写真を見つめたのっぺらぼうが小さくなっていく。
黒い煙部分が霧散し、そこに出てきたのは小さな生徒だった。
私と同い年ぐらいの、可愛らしい男子高校生だった。
前世代が着ていた古い夕日丘高等学校の制服を身に着けて、そうして笑い────消えていったのだ。
その様子はとても幻想的で、現実とは思えないほど儚い光景だった。
呆然としていた私を神無月先生が呼びかけてくる。
「……どうなった?」
「は、はい。消えていきました。元の姿に戻って、人になって……きっと、本来の名前を思い出して、顔も取り戻したからだと思います」
「ならこれで正解か」
「っ────でもどうやって!? だって名前とか写真とか、そういうのは境界線の世界に行ってあの脱出ゲームの最中に入手しなきゃわからないはずじゃ……」
困惑する私に対し、先生は呆れたように言った。
「お前が言ったんだろう。百年ほど前から在籍していた夕日丘高等学校の生徒で、行方不明になった生徒が対象だと」
「いやでも前作の……ほら、妖精や冬野白兎の一件もあってか行方不明ってやたらと多かったですよね!? そんな膨大な名前をどうやってこの短期間で集めたんですか!?」
「いや、行方不明者については俺が高校生の時に何度か調べてはいたんだ。名前を覚えてはいたが写真について入手する手間がかかったがな」
「……そ、そのクリップボードは?」
「ただの書類だ。気にするな」
ちょっと待って、簡単そうに言ってるけどやってることとんでもないよ!?
写真とか入手するのどうやってやったの!? 自分で調べた!? 神無月先生の友達とかがやってくれたとかなの!?
そんな驚きと畏怖でいっぱいになったけれど……私はちょっとだけ、神無月先生に対して申し訳なくなった。
「……巻き込んでごめんなさい。神無月先生」
「急にどうした」
「だって、もしも先生が覚えてる名前の中で……あののっぺらぼうの正体が見つからなかったらきっと私も先生も死んでいたから……私は狙われてるけど、先生は狙われてなくて、私が巻き込んだ形で死んじゃうかもしれなかったからで……あうっ!?」
不意に額にデコピンしてきた先生が、私の方を見た。
「何を馬鹿なことを言っているんだお前は」
「ふぇ?」
「生徒を守るのが先生の役目だろ」
そう言った先生が、格好良く見えた。
やっぱりもともと美形なのもあって格好良いんだよなぁ。雑な部分あるけど。残念な部分もあるけど。
でも私にとって神無月先生は頼れる大人だ。守ってくれる大人だって信じられるから。
きっともう、大丈夫。
「……それに、もしも名前が分からなくても最終手段はあったからな、気にせず巻き込んで来い。妖精騒ぎでそう言うのは慣れてるからな」
「最終手段?」
「気にするな」
「あっ、えっと……はい」
そうしてふと、神無月先生は首を傾けた。
「境界線の世界にいたのっぺらぼうは一体だけだったのか?」
「へっ?」
「お前は時々のっぺらぼうの事を複数形で呼んでいただろう。つまり一体だけじゃなかったと思っていたんだが……違ったか?」
「あああああっっ!!!」
急に叫び出した私にびくっと肩を揺らした先生。
でもそんなことどうでもいいとばかりに、私は先生にすがりついた。
「ど、どうしよう先生! そうだよ。のっぺらぼうの数は最低でも二匹は出るんだよ!! ど、どうしよう! まだ来てないけど……あとで来ますか!? 来るとしても家とか!? うわぁぁぁん先生私今日このまま帰れません泊まらせてぇぇぇぇ!!!」
「落ち着け! あと俺を教師だと分かっていての言動か!? 不純異性交遊で社会的にもアウトだろうが!!」
「でも、でもぉ……」
グスグスと恐怖で泣き始めた私に対し、先生は深い溜息を吐いた。
「放課後は残っていろ。境界線の世界へ通じる鏡まで見に行く。お前もついて来い。何かあれば話せ」
「は、はい!」
「必要であれば行方不明者の名前と写真をお前にやる」
「ありがとうございます先生! ……と、そういえば聞きたかったんですけど」
「なんだ?」
「紅葉秋音とか……ほら、先生が高校時代の、私にとって前作ともいえる夕青のキャラクターの名前が出てきたんですけど……この世界では彼女たちって行方不明者なんですか?」
そんなことを言った私に対し、彼は複雑そうに首を横に振った。
「現実か夢かわからないような場所で、一時期行方不明になったというだけだ」
「そうなんですね!」
なるほどつまり夕青の全員生存ルートか。すごいなぁ。
そう私が思っていることも分かってしまったのか、先生はまた小さく溜息を吐いたのだった。
・・・
「雲井……さん、かぁ」
不思議な人だったなと思う。
鏡から通り抜けられるだなんて知らなかったからぶつかると思っていたのに、それを気にせず突っ走って通り抜けた彼女。
こんな僕を助けてくれた人。
「良い人だったね。こんな僕でも見捨てずに助けてくれるだなんて思わなかった。……雲井さんって好きな人とかいるのかなぁ。優しい人だったなぁ」
多分きっと、一目惚れに近いものだと思う。
可愛らしい見た目をしているのに、大胆な行動をしていて。優しくて良い人だった。
【鄒主袖縺九▲縺】
「……ああ、美味しかった?」
【縺?s】
「そっか。それはよかったよ」
雲井さんに向かっていく怪異を見て、僕の影が反応したらしい。きっと僕が雲井さんに手を出されるのが嫌だと分かったんだろう。
足元でぐちゃぐちゃと音を立てて、咀嚼しているのだろうか。
最初はのっぺらぼうが暴れまわって大変だったけれど、それら全てを丸く吸収し足元まで持っていき食べていく。その声は機械音に似たようなもの。その音の意味は僕にだけ理解できる。
だから、怖がられることがあった。
こんな僕を家族は見捨てた。高校に来れたのだって一人暮らしをさせるため。家族はこの入学式の合間に引っ越しするらしいし……。
高校卒業までの金だけは出すけれど、それ以外は関わるなって言われたっけ。
だからこそ、こんな僕を優しくしてくれる雲井さんが好きになったんだと思う。
そんな僕が好きになった相手を、僕の影も歓迎してくれたのかな。守る対象にしてくれたのかな。
「雲井さんに乱暴はしないでね」
【鬟溘▲縺。繧?ァ?岼?】
「駄目だよ」
そうして話していた刹那────背中に衝撃が走った。
「何ぼーっとしてんだよ真白ぉ! てめえコーラ買ってこいって言っただろうが!」
「えっ!? あっ、ごめん水城くん! すぐ持ってくるから!」
「早くしろよ! 一分で買ってこい十秒ごとに遅れたら蹴り入れてやっからな!」
「う、うん。分かった!」
走り出す僕に、背中から笑い声が聞こえてきた。
水城君と、その友達。不良な彼らは僕を都合のいいパシリと思っているんだろうけれどそれでもいい。怖がられるよりはましだから。
【縺ゅ>縺、繧峨?鬟溘▲縺。繧?ァ?岼?】
「駄目だよ。絶対」
僕は化け物なんかじゃないんだから。
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