第19話 事情

 失礼します、と断ってイーリエは俺を腕から触手に持ち替える。


 滝でカリダに止められる前に聞いたのは、『耽美食する食卓』の魔物にイーリエが以前から狙われているという話だったな。


 思い返しているうちにイーリエが俺を同じ目線にまで持ち上げ、顔を見て頷き、彼女の独白が始まった。




 わたくしたち【スキスキュラ】は、武芸の腕前や芸事の巧みさなど、それぞれが目指した道を行く自由な種族です。生まれたダンジョンから離れ修行の旅に出るのも、珍しいことではありません。


 わたくしの目指す道は『花嫁修業』。料理、洗濯、裁縫、掃除に礼儀作法。そして何より、わたくしと結婚してくださる方を見つけること。旅は必須でした。


 修行の旅の中、鍛えた腕前を披露する機会もあります。その結果、他のダンジョンから勧誘されれば、同意のもとコアを持つ支配種に話を通し所属を移ることも、同様にあります。


 わたくしも旅の途中で『耽美食する食卓』の方に<料理術>の技能を認められ、誘っていただきました。しかし、わたくしの本来の願いは『花嫁修業』。ひとところに留まって料理の腕を振るうだけでは、望みを果たせません。お相手にはご意向にそえないことを伝えました。


 ゼズ様もご存じかと思いますが、魔物は食事が必要ではありません。しょせん娯楽のひとつであり、<料理術>を持つ魔物は珍しく、『耽美食する食卓』の支配種が、食に異常な執着を見せることも有名でした。お相手は諦め切れなかったのです。


 旅の先々で先ほど撃退した【ストロール】が現われました。付きまとわれ、遠巻きに眺めるだけかと思えば待ち伏せされて、「お前は俺のスキルによって監視されている。早く俺たちのボスのもとに来い」。そういった恫喝を何度も受けました。


 わたくしが我慢すれば済むことならば良いのです。しかし、従わないわたくしに業を煮やしたお相手は、ダンジョンを標的にし始めようとしました。


「従わないならお前のダンジョンを滅ぼしてでも手に入れる」、大それて聞こえますが、実際にスキルによるわたくしの追跡は行われていますし、所属するダンジョンも遠方ではあるものの、魔力をたどれば簡単にわかります。


 【スキスキュラ】がいくら旅に出ると言っても、コアとの繋がりを切ることはいたしません。繋がってさえいれば事故に遭って死んでしまっても修行の成果は完全には失われず、時間はかかりますがコアのもとで復活するのですから。


 わたくしとダンジョンコアに繋がりがある以上、その脅しは効いてしまうのです。無関係な故郷のダンジョンの魔物たちに大きな迷惑をかけてしまうのです。


 もはやダンジョンを狙われないためには、一方的にコアとの繋がりを断つしかありませんでした。少しでも【ストロール】の監視スキルの範囲から外れることできたらと思い逃げ出して、ここにたどり着き……今に至るというわけです。




「イーリエは迷惑はかけまいと、『虎穴の湯』のコアとも繋がっていませんでした。トニコ様は気にするなとおっしゃられていたのですが」


 カンランが最後に付け足して、イーリエに掲げられているままの俺を見やった。


「申し訳ありませんゼズ様。わたくしの事情を明かさず、結果、騙すような形での結婚になってしまいました」


 深々と頭を下げ謝罪するイーリエ。表情は見えない。


「いいんだ。辛かったね」


 そんな姿を見せられて、俺はつい自らの境遇とも重ねてしまった。貴族であるフィーネが率いていた元パーティから3年間いじめ続けられ、やっとジョブを得て報われるかと思いきや、フィーネたちだけでなく国からも殺されそうになった自分。


 暴力や権力を使って人に言うことを聞かせようとする連中が現われたとき、自分が死ぬより、人に迷惑をかける方が嫌だったイーリエ。死んでも屈さないと抗った俺。


「イーリエは立派だよ。いままでよく頑張ったね。俺と一緒ならもう大丈夫だ」


 口から出てしまった言葉は、自分がかけてほしかった言葉だったのかもしれない。


「話を聞けてよかった。イーリエの力になりたいと思ったよ」


「……うぅっ!」


 感極まった様子でイーリエが顔を覆ってしまう。俺を掴んでいる触手も小刻みに揺れている。


 そんな薄桃色の触手を、少しでも彼女が落ち着くようにゆっくりとなでた。意外とぬめりはなく、ぷるぷるな感触にこちら側が安らいでしまいそうだ。


 しかし。


 おおおおおおお! と、背後から咆哮のような声が響き、思わず振り返る。


「よー言うた!!」


 湿った雰囲気を打ち消すように、『全自動按摩椅子』の上に仁王立ちしたトニコが続ける。


「ウチは今、猛烈に感動している! イーリエがこうもあっぱれな人間と結婚出来て本当にめでたいのじゃ!」


 誤解だ。さすがにここで誤解を解いておかないとまずいことになりそうだ。


「ちょっとまってくれ、魔物の結婚の定義を教えてほしい。人間の思う結婚とは、夫婦を社会が認め、出産や育児に至る家庭環境作りの一環だ。魔物の生活とは遠く感じる。俺とイーリエは使役と使役主の関係だが、魔物からすればそれが結婚にあたるのか?」


「難しいこと言われても、ウチも結婚が何か知らん。ノリで祝っといた」


 ノリで祝ってくれてありがとう。


 俺はイーリエに向き直る。


「もちろんこれから一緒にいたいという気持ちは変わらない。だけど、イーリエの思う結婚をきちんと聞かせてくれないか」


 泣きはらした目元をぬぐい、「はい」とイーリエが答える。


「昔の記憶ですが、人間の女性から教えていただいたのです。結婚とは想い合う2人の世間にも認められた最大の繋がりであり、互いに助け合って生きるための第一歩なのだと。わたくしはそれにあこがれ、結婚するために必要だと教わった料理や裁縫の腕を磨いてきたのです」


「そーいうことなら結婚で間違っとらんじゃないか! 繋がりはばっちり見えとるし、共に過ごすのも力を貸すのも使役なら当然!」


 なるほど。ダンジョンコアと魔物の繋がりのように使役主と使役魔物の間の繋がりも、魔物にはしっかり見えているのか。


 結婚じゃ! 結婚じゃ! とはやし立てるトニコの声を背に聞く。


 どうやら俺は結婚していたらしい。


「わかった。そういうことなら結婚だね」


 イーリエ以外の魔物に結婚という概念がない。そしてイーリエを連れて人間社会で活動することもないのなら、結婚だと認めることにデメリットもない。


「はい! 嬉しいです!」


 涙でうるんだ瞳にはにかむような笑み。


 ふわふわぷるぷると長い髪に長い触手が、薄桃色に揺れる。


 寮や城で見た誰よりも手製のメイド服を着こなしたイーリエは、下半身も上半身も中身もひっくるめて、恋する可憐な美少女だ。


「未だ至らぬ身ではありますが、よろしくお願いします」


 しっかりと両手をそろえて深くお辞儀をしてくれる。

 

 至らぬ身なのはこちらだというのに。


 一方的に打ち切れるダンジョンの繋がりと同じものなら、使役者との繋がりも打ち消せるのだろう。見限られないためにも強くなり、イーリエを『耽美食する食卓』から守り、ミュトの復讐にダンジョンを奪還しなければ。


 ん? ミュト?


「その結婚の話でいくと、ミュトとも結婚していることになるけど大丈夫?」


「あ! ……えーと、どうしましょう」


 完全に虚を突かれた表情で目を泳がせるイーリエ。


 ははははは!! なんじゃそれは! トニコが笑い始め、しばらく見守ってくれていたカンランも口に手を当てて笑っている。


 俺も初めて見たイーリエの姿と、トニコの大きな声につられて笑ってしまった。


「ふふふっ!」


 最後にイーリエも笑い出し、休養室は狙い通りに俺たちの心身を癒してくれた。

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