第17話 大扉

 水が、音が、空間が、ぐわんぐわんと大量に押し寄せては引き、引いてはまた押し寄せる中、俺は何とか意識を保っていた。


 沈みそうになりながらも落下する感覚には遠いことはわかる。どうやらイーリエは滝を乗りこなし、上手く下っているようだ。いや、そう思いたいだけか。


 息を止められる時間はそう長くない。しかし俺にはこの近道が今までのどんな道よりも永く感じて、何度も息が詰まりそうになった。




「ゼズ様! 大丈夫ですか!」


「滝に入る前に洗濯用の洗剤を被っておくんだったよ」


 適職の儀の日から変わっていない――ズボンだけは足と一緒に斬られて丈が短いが――儀礼服は旅で汚れていたから、ちょうど洗濯すべきタイミングだったのかもしれない。


「あ! 気づかなくてごめんなさい! ミュトさんもすっかり濡れてしまって。少々お待ちくださいね」


 一瞬意識が飛んでいたのか、全身ずぶぬれなことをのぞけば、何事もなく着水できたようだ。


 そのままイーリエは俺たちを連れて滝壺から逃れ、白く水はけのよさそうな石のタイルで舗装された岸までたどり着いた。


 カリダによればこの滝が最終試練。ここからはいかにも最奥という気配だ。


「ここならもう濡れないでしょう。いきますよ、<水魔法>!」


 ー――ップシュゥウ……


 奥に進む前に、着いた岸辺でイーリエが俺たち3人の衣服の水分をまとめて霧散させてくれた。空気の抜けたような音と共に、濡れた不快感から一気に解放される。


 凄いな。


 俺が水魔法を覚えていたとしてもここまでの魔法制御はできそうにない。スキルでは<料理術>と<裁縫術>しか見えなかったが、洗濯にもスキルがあるなら、間違いなく熟練レベルはあるだろう。


「物凄い技術だよ、ありがとうイーリエ。怪我とかもない?」


「ああ、わたくし感激です! 未来の結婚相手を想い磨いた技をゼズ様に褒めていただけるなんて! もちろん体の調子もばっちりです!」


「使役ね」


 今イーリエは使役によって全能力上昇、さらに強化魔法で力格と技格は、1つ星と星半分上がっている状態だ。慣れないと普段通りの動きすら難しいはずだが、技格が5つ星ともなればすぐに順応できるのか。それともイーリエの結婚への熱意の賜物なのか。


「あの酷い流れの中、ミュトも何事もなかった?」


「なかった」


 大きな傷から水がしみて痛いなんてこともなさそうだ。


「カリダさんは脅かしすぎなんです。水棲の魔物であれば降りるだけなら簡単です。問題は御二人をしっかりと抱えていられるかどうかだったので」


 危なかった。<力格強化>をかけておいて助かったな。


 イーリエは話しながらそのまま俺たちを連れて、洞窟の奥へと進んで行く。


 地下だからかすっかり暖かく、髪もすぐに乾きそうだ。


 この先は【ダイナセキ】の体表と同じに見える不思議な模様のタイルが、床にきっちりと敷き詰められているようだ。それに、あの灯り……あれは機械か? ランタンにも似ているが、にぶい金色のケージに入った光源が壁に埋め込まれている。


「この先はどうなってるの?」


 迷いなく進むイーリエに道を聞く。滝の音は大分薄れてきたため、静かに休める部屋などがあれば借りたいところだ。


「わたくしも入ったことはありません。ですが、トニコ様とジズマン様が居られるはずです」


「その2人って何度か話に上がったけど、どちらかがボスってことで合ってる?」


「はい。トニコ様が支配種、ボスとも呼ばれている方ですね。ジズマン様はトニコ様によってダンジョンの魔力を直接授けられた、準支配種、次期支配種あるいは中ボスにあたる方です」


 中ボス?! 聞いたことがないが、ダンジョンボスがそんな存在を簡単に生み出せるなら、これから俺たちが行うダンジョン攻略なんて不可能なんじゃないか? 


 ミュトの復讐、そして俺の足を治すために、ダンジョンを攻略しなければならない。こんな基本的な情報すら知らなければ、攻略なんてままならない。


「中ボスについて詳しく教えてほしい。たくさん生み出せるのかとかさ」


 わかりました、と前置きして答えるイーリエ。


「まず、支配種ひとりにつき準支配種もまたひとりだけです。ダンジョンの魔力集める時間に適任者の選定など、容易に行えるものでもありませんから、できて日が浅いダンジョンでは準支配種が不在なこともあるでしょう」


 水をはじく性質でもあるのか既にふわふわに戻った薄桃色の髪の近く、触手に抱えられたままの俺は説明に聞き入る。


「逆を返せば、未熟なダンジョン以外の大多数は全て準支配種を有しているとも言えます。それほどまでに、支配種に匹敵する力を持つ準支配種は何よりも優先させるべきダンジョンに欠かせない存在です」


 イーリエはその理由を続ける。


「直接的な戦力の大幅な増強に加えて、間接的にも新たな魔物や施設を生み出す条件になること、そうしたダンジョンの統治を一部任されることで、ダンジョンの発展に大きく貢献していく方だからです」


 ダンジョンが魔物や施設を生み出す……詳しい方法論は気になるが、ミュトがボスになるまで必要のない知識だろう。気になるが、いまは中ボスの話に集中しよう。


 少し考え目を伏せて、ふいに触手ではなく腕に抱えられているミュトと目が合う。表情は変わらないが、垂れた触覚の元気のなさにも変化がない。すぐ休めるからもう少しだけ耐えてくれ。


「ひとつだけ、準支配種にも欠点があります」


「それは?」


「それは、『支配種と準支配種は共闘できない』ということです。ちょうど『ダンジョンの呪い』と同じです。というよりも、これも『ダンジョンの呪い』のひとつと言ったほうがいいでしょう」


 ダンジョン内外で活動する際に、ジョブの効果やスキルを使用できるのは、5人以下でいるときだけ。これは魔物も人間も変わらない原則だ。その『人数制限』に加えて『戦力制限』も存在したのか。


 そういえば、ミュトのダンジョンに攻めてきたのも敵のボスともう1人と言っていた。これも桁違いに強い相手が2人いても『戦力制限』があるため、ボスと中ボスではないと判断したということなのだろう。




 「あれは壁? では、ない、ですよね」


 中ボスの情報を吟味していると、壁にも見える巨大な扉が見えてきた。

 

 歯車や配管? 銅か真鍮でできていそうだけど、それらが扉にびっしり埋めつくすように設置されている。


 完全に行く手を阻む形で現われた巨大で異様な扉だった。俺の知る機械文明ともまた毛色が違う。


 より近づいてみれば、その扉はこちら側に膨らんだ、丸みをおびている形であることがわかった。


「どうやって開けるんだろ、これ」


 ピーピーピー! ブッシュゥウウウ――z_!


 取り付けられていたランプが色を変え、扉自体から音が鳴り響き、配管の口から大量の蒸気が噴き出される!


「ゼズ様! お気をつけください!」


 イーリエがとっさに触手で掴んだ俺を庇い、辺りは完全に蒸気に包まれた。


 しばらくして蒸気が晴れ、扉の先に現れたのは――

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