第6話.レベルアップ

 1月16日、冬真っ只中の中京競馬場。


 次のレースまで時間が空いている為、騎手控え室で待機している。先週のフレアのレース後、花火はなび調教師の言葉を振り返ってみた。


「順調ならオークス……か」


 あれだけの素質があるのだから当然だ。


だが、


「乗れるかな。間に合うかな……」


 先週、フレアとの勝利の他に1勝挙げ通算19勝となった。だが、GIレースに乗るためには31勝以上という条件がある。オークスが行われる5月まで、間に合うだろうか。


正直、少し弱気になっていた。


「まずは自分の課題を克服する事からだな」


 室内に声が響く。顔を挙げると、ニコニコと穏やかな笑顔で立つとある人が居た。


「師匠……!」


 宮崎みやざき早波はやな調教師だ。数々の名馬を管理し、沢山のGIレースを勝ってきたまさに名伯楽。そして、璃乃りのが所属している厩舎こそ宮崎厩舎。宮崎調教師は、彼女の師匠という立場でもあるのだ。


「折り合い技術は見事だけどな、コーナーリング、ペース判断などなど。まだまだ課題は沢山あるぞ〜?」


「はい、自覚してます……」


 苦笑いしながら自分の課題を思い出す。数えたらキリがない。


「花火先生から、フレアという最高の馬の鞍上を任せられました。もちろん彼女はGIに手が届く素質を持っていると思いますけど、私はまだ……」


 胸の内にある不安を正直に師匠に話す。フレアという最高の相棒に巡り会えた。

だけど、自分でいいのだろうか?上手くエスコート出来るだろうか。


考えれば考えるほど、不安とプレッシャーに押しつぶされそうになる。


「最初はみんなそうだ。璃乃の両親だって最初はそんな感じだったんだぞ?」


 過去を思い出すように、宮崎調教師は言葉を続ける。


「結果とかこれから名ジョッキーに成れるかなんて、璃乃の努力でいくらでも代わる。素晴らしい素質を持っているのはお前もなんだから、もう少し自分を信じてみないか。不安なら今以上に努力すればいい。その為のサポートは我々がいくらでも全力でこなす」


 そう言うと今度は拳を握り、それを私に向けて突き出しながら再び話始めた。


「お前は1人なんかじゃない。一緒に頑張ろう」


 こぼれそうになる涙をグッと堪え、自分も右手に拳を作りそれを師匠に向ける。


「はいっ……!!」


 璃乃の力強い笑顔に宮崎調教師も小さく頷き、パドックへと足を進めていった。


◇◇


『先頭変わらないっ!キャロルレイナ快勝ゴールインッ!』


 その実況と共に、熱を帯びていた声援も段々と静かになっていった。


『卯月騎手、今年の3勝目。通算20勝です!』


段々と風が強くなってきた中京競馬場。


第6R・3歳新馬戦 芝1600m


 結果は、最内枠から好スタートを決めた7人気・ヌレイライブがハナを奪い、そのまま他馬を寄せ付けずに3馬身差を付けて逃げ切った。鞍上は璃乃だ。


「いいペースだったな、ナイス逃げ!」


 後検量を終わらせ、師匠と軽く反省会をこなしている。今日は自分でも分かるくらい、ほぼ完璧なペースで逃げれたと思った。14頭中7番人気と伏兵扱いだった為マークをほぼされず、自分のペースで行けた事が良かった。


「今日は展開的に有利でした。折り合いもちゃんと付けましたし、上のクラスでもこれでいけるなら大丈夫だと思います」


 細かくレースを解析して次へ繋げる。1つずつ、31勝という目標に近付いてきているのを実感した。


「まぁ明日は、言わなくても分かってるな?」


 宮崎調教師が話しかけてきた。いつもの笑顔ではなく、少し真剣な表情だった。


「はい。日経新春杯です」


 日経新春杯。改修工事の影響で、京都芝2400mから中京芝2200mに舞台が変更となっているGIIレースだ。


 璃乃はこのレースで、前走14番人気で3着と激走したフォルテナイトとコンビを組む。重賞レース2回目の騎乗だ。


 だが、璃乃を始め宮崎調教師や花火調教師などの競馬関係者は、このレースにかなり強い思いを持っている。


◇◇


 翌日、1月17日(日) 中京競馬場。


「うひゃあ~、やっぱ結構人多いな」


「まだ午前なのになぁ」


「でも、GIIにして人入りすぎじゃない?」


 3人の若い観客が会話をしている。どうやら競馬場に着いたばかりのようだ。眼鏡の男性が言うように、今日の中京競馬場にはかなりの人数の観客が訪れている。勿論、GIレースがある訳では無い。


「そりゃ、卯月ちゃんが出るからだろ〜」


「え?卯月璃乃の事?なんか関係あるの?」


 眼鏡の男と小太りの男が、パンフレットを見て辺りを見回すもう1人の男に問いかける。


「そうか、お前ら知らないのか……」


 パンフレットを閉じ少し間を置いて、静かに口を開いた。


「11年前、天才騎手・卯月うつき 恭一きょういちの生涯最後のレースが、日経新春杯だからな……」


◇◇


 同刻、中京競馬場 騎手控え室


 紺色の御守りのようなものを見つめ、ポケットに入れた後、深呼吸をする。何かを思い出すかのように静かに目が潤っている。


「お父さん……」


 卯月 恭一の娘・卯月璃乃は拳を握りしめ、目を一瞬閉じる。

「ふぅっ!」強く息を吐くと、次のレースの準備の為、立ち上がった。

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