第2話.判断の差

 前日に降った雨の影響で状態が悪い芝生。馬群が通り過ぎた後、芝がえぐれ土が飛び、騎手の勝負服も泥臭く汚れた。


 そんな阪神はんしん競馬場に、どよめきのような大歓声が沸き起こる。荒れた馬場の内側をただ1頭猛然と走り抜ける姿に、人々は夢を見た。


『内からなんとフォルテナイトォッ!』


 アナウンサーもガタッと立ち上がり、実況にも熱が入る。卯月うつき 早苗さなえの娘が、天才の子が気迫に満ちた姿で人気馬を差し切らんとしているのだ。


「ははっ!流石や璃乃りのっ!そんまま行ったれぇぇぇ!」


 スタンドで座って観戦していたスーツ姿の男。花火はなび 隆行たかゆき 調教師ちょうきょうしも立ち上がり、すぐ目の前に見える光景に震えが止まらなかった。自然と大声が漏れ、周りの人達に二度見をされる。


 ゴールまで残り二百メートルを切った。


「あとちょっと……!頑張って!」


 フォルテナイトの鞍上の心の声が漏れる。懸命に手綱を動かして追いかける。ステッキが1発、2発と飛ぶ。が、仁川の舞台はそう甘くは無かった。


「やっぱり鈍い……!耐えろぉぉ!」


 唇を噛み締め、もう一発鞭を入れる。


 フォルテナイトは伸びてはいるものの、前二頭の競り合いには微妙に距離が詰まらない。先程の勢いは半分程削られていたのだ。


『ここからの坂が正念場っ!仁川にはここから坂があるっ!』


 阪神競馬場の難所、ゴール直前に立ちはだかる高低差約二mの坂が馬達を苦しめていた。


 前二頭、人気馬・ヴィルライデントとビールドナイトの競り合い、内から徐々にフォルテナイト。大外からブルーファウンドもようやく追い込んで、それ以降は少し差が開いた。


 どんよりとした曇り空の下、空気を切り裂き泥臭く突き進む優駿達。完全に前四頭の争いになっている。


 熱狂に包まれた冬の仁川の舞台、大接戦となったこのレースでいち早くゴール板を過ぎたのは……


『大接戦だ大接戦だっ!並んだがっ!最後は外!ビールドナイトだぁぁっ!』


 走り終えた人馬が徐々にスピードを落とし、首筋をポンッと叩き馬を讃える。 激戦を制したのはビールドナイト・立岡たておか 圭介けいすけ騎手だ。四連勝で重賞じゅうしょう初制覇を飾った。その人馬から少し離れた場所、


「ふぅ〜お疲れ様、フォルテ。ありがと……!」


 重馬場をものともせず、一度は先頭に立ちかけた相棒に労りと感謝の言葉を伝える。鞍上には唇を強く噛み締め、拳を強く握り悔しそうな璃乃の姿があった。


(頑張ってくれた。けど、勝てなかった……)


 もう少し判断が早ければ……。


 終わった事はしょうが無いとはいえ、考えれば考える程、次々と後悔が溢れ出てきた。


「いかにも悔しいって顔しとるなぁ〜」


 穏やかながらどこか威圧感がある声が聞こえてきた。ふと顔を上げ、声が聞こえた方向へ顔を向ける。


「武田さん……!」


 声の主、十三番ヌレイスパークの鞍上・武田たけだ たけだ ゆう騎手だ。五十四歳ながら現在も大活躍している大ベテランだ。そして、この人こそ、先刻レース直前に璃乃に声を掛けた張本人だ。


「よぉ内を突けたな。いい判断だった!」


「武田さんが声掛けてくれてなきゃ出来なかったです!ありがとうございました!」


 大先輩のスタージョッキーと話せるのは素直に嬉しい。緊張を押し殺してハキハキと答えていく。


「まぁ、あんな荒れたとこ通れるんわフォルテぐらいやもんなぁ。勝てなかったのは悔しいと思うやろうけど、次に活かせばいい。頑張ってな……!」


「……っ!はいっ!」


 感激で泣きそうになりながらも、グッと堪えて返事をする。すると、何かに気づいたように武田騎手が再び声を掛けてきた。


「フォルテの力もあるけど、あれは判断の差やな」


 電光掲示板を見ながら話し掛ける武田騎手。少しずつ静まろうとしていたスタンドも、再び歓声が上がり沸き上がった。


 ◇◆


 1着 ⑧ビールドナイト(2分03秒5)

 2着 ③ヴィルライデント(クビ)

 3着 ⑭フォルテナイト(½)

 4着 ⑦ブルーファウンド(ハナ)

 5着 ⑬ヌレイスパーク(4)


 ◇◆


 大きな歓声を背に、フォルテナイトと卯月璃乃は三着に入線した。しかし、何度も着差を見る度に「あと一歩」という悔しさが込み上げてくる。


「絶対、いつか恩返しするからね。フォルテ……!」


 表情を和らげ大きく息を吐くと、再び力強くなにか決心したような笑顔へと変わった。相棒の首筋を優しく撫でながら。


「早苗ちゃん、恭一きょういち。見とるか、二人の競馬人生の結晶が花開くぞ……!」


 懐かしそうに、そしてどこか嬉しそうに独り言を言うと、璃乃の両親の姿を知るベテランは空を見上げながら微笑んだ。


 ◇◆


 激走したフォルテナイトと璃乃を迎えに行く為、早足でスタンドから離れていく花火調教師。彼なりに手応えを掴んだようだった。


 周りはまだザワザワとした雰囲気が流れている。


「あーんなに気性が悪いフォルテが、掛かりもせず素直になってイン突きで三着ねぇ。はははっ、やりおるわ璃乃も……」


 色々と頭に浮かべ鞍上に感心しながら、そして時折ニヤニヤしながら検量室前へと向かう。周りから見たらただの変な人だ。


「任せてみるか。天才の子に、天才の仔を……!」


 最終的に何か閃いたように、不敵な笑みを浮かべると駆け足で迎えに急いだ。


 ◇◆


 天才の子・卯月璃乃。重賞初騎乗結果。


 〇11R チャレンジカップ(GIII)芝2000m

 ⑭フォルテナイト 牡5(14人気3着)

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