灯る炎

第1話.視野を広く

『阪神競馬場、曇り、馬場状態は芝ダート共に重のコンディションです……』


◇◆


─阪神11Rチャレンジカップ(GIII)芝2000m─


 一番人気 ヴィルライデント(川上)

 二番人気 ビールドナイト(立岡圭)

 三番人気 ブルーファウンド(D.マック)


 十四番人気 フォルテナイト(★卯月)


◇◆


 曇り空の下、ひんやりとした空気が辺り一帯を覆う。幸い、雨は我慢してくれた。


 師走の阪神競馬場で行われるGIII、チャレンジカップ。今年はGIホースをはじめ豪華なメンバーが揃い、十六頭が十二月最初の重賞の頂点を狙う。


「ヴィルライデントが普通に勝つだろ〜」

「いやいや、ブルーファウンドが差し切るな」

「でもこの馬場だと分からんなぁ……」

「4コーナーとか直線入り口とか、だいぶ荒れてるぞ……」


 重賞という事もあり満員とは言えずとも、かなりの数のお客さんが入場し、このレースに熱視線を注いでいた。


 その観客が集うスタンドの目の前。スタート地点に置かれたゲートの後方では、枠入り合図がかかるのを待つ各馬が輪を描くように歩いている。


 いわゆる「輪乗り」だ。


「ふぅ……よしっ」


 ゼッケン番号十四番・フォルテナイトの鞍上にいる騎手は軽く深呼吸をし短く気合いを入れた。

 現役としてはまだ三人しか居ない女性騎手、そのうちの1人である卯月うつき 璃乃りのだ。

 デビュー二年目となる彼女は今日、重賞レースに初めて騎乗する。


(あ〜やばい……。これが重賞の緊張感かぁ)


 一味違った重賞レースの雰囲気が璃乃に纏わり付く。それと同時に緊張という大きな存在が、彼女の鼓動を早くさせていった。


 そして、もう一つ。天才女性騎手・卯月 早苗さなえの娘としてのプレッシャーが圧をかける。デビュー年で八十五勝を挙げ、GIも制し瞬く間に注目されると、引退するまでの七年間で九百七十八勝という偉大な成績を残した。


 その娘ということで当然メディアやマスコミは大注目。現役三人目の女性騎手としてデビューした璃乃は、デビュー年に七勝、二年目となる今年は現時点で八勝で計十五勝。母には遠く及ばない成績だった。


 何としてでも結果を残すという強い気持ちが、逆に彼女を追い詰めていった。


 高々とした音色が競馬場を包み込む。


 関西重賞のファンファーレだ。各馬が1頭、また1頭とゲートに収まっていく。

 奇数番の馬が枠入りを完了させると、璃乃とフォルテナイトも向かい始める。


 枠の中で静かに、残りの馬たちを待つだけ。

 いよいよだと思えば思うほど緊張感は増した。そして鼓動が恐ろしく早くなると共に、頭の中が真っ白に染まっていく。


(ははは……。ダメだ、緊張解けないわ……)


 心の中で苦笑いをし、手網を握り直す。その次の一瞬だった。


「璃乃ちゃん、視野を広くな。落ち着いて……」


 聞き間違いじゃないよな?


 最後の馬がゲートに入る直前、お隣の13番ゲートから声が流れて来た。チラッと視線を移したが、既に全馬枠入り完了。


「は、はいっ……!」


 空っぽになりかけた頭を回転させ、短く返事をして再び前を向く。



 ガッコン……!



 大きくなる歓声と共に、チャレンジカップはスタートした。フォルテナイトはまずまずのスタートを切ったが、出足が付かず最後方からの競馬となった。


(んぁ〜!花火先生の言った通りか……)


 僅かだが「あぁ……」という声が観客席から聞こえる。勝負してフォルテナイト絡みの馬券を買った人だろう。


『スタンド前の先行争い。最内枠から勢いよく飛び出して、アーモンブラッシュがハナを奪っていきます……』


 アナウンサーが落ち着いた声で、的確に実況をこなしていく。


 位置取りとしては、大方の予想通りの展開となりつつあった。

 伏兵であるアーモンブラッシュが逃げ、好位四番手から一番人気・ヴィルライデントが続く。それを二馬身後ろでマークするように三番人気・ビールドナイトが追走、馬群から少し離れた後方二番手から二番人気・ブルーファウンド。最後方からフォルテナイトだ。


 千メートルの通過は六十二秒ちょうど。


 そのフォルテナイトはというと、三コーナー手前でまだ最後方。前とはかなり差があった。


 予想以上に行きっぷりが悪いフォルテナイト。最後方となっているが、懸念されていた折り合いはしっかりと付いている。フォルテナイトのマイペースで走れているのは、璃乃も分かっていた。


『おぉ各馬、馬場の内を避けて外へ回しているぞっ』


 レースの勝負所。


『アーモンブラッシュ既に追っている!!しかし外から!楽な手応えでヴィルライデント来た!』


 三、四コーナー中間点。前方の動きがやや激しくなってきた。残すは四コーナー、そして最後の直線だ。

 スタンドからの歓声が徐々に徐々に大きくなりやがて大歓声へと変わる。


(やっぱライデントの手応えが違いすぎる……)


 後方からレースを運ぶ璃乃も、前の争いは見えていた。手網を動かし、後退してくる1頭の馬を交わして進出する。


(阪神の内回り……外回して間に合うか!?)


 比較的短い直線で、外に回した所で末脚は届くのか。このまま馬群と同じ進路を取れば更に外へ膨れ、かなりの距離ロスになるのだ。

 仕方ないか。と、一瞬だが「諦め」という言葉がよぎる。


(所詮、私は私か……)


 いや、まだ直線があるだろうがっ!!まだ諦めない。最後までだっ!!鞭を抜き、左ムチを一発いれる。


『視野を広くな、落ち着いて……』


 不意に、ゲート内での言葉が脳裏に蘇る。そして、思い出すかのように小さな声が自然と零れ出た。


「花火先生、確かフォルテナイトは道悪に強いって……」


 数十分前の風景を思い出す。

 パドックで足を上げて貰った時のことだ。


『こいつは道悪にはすげぇ強いけん、思い切っていけよ〜?それから……』


 走馬灯のように二つの事が繰り返し脳内に響く。

 次の一瞬、璃乃の右手が激しく動く。不敵な笑みを浮かべながら。


『さぁ!!最後の直線に入って参りました!!』


 前の方では、早めに抜け出したヴィルライデントとそれをマークしていたビールドナイトが競り合っている。大外に持ち出してブルーファウンドもきている。


『前の2頭の争いだがどっちだ……おっとっ!』


 スタンドからも、ドッとしたどよめきのような大歓声が響き渡る。


『内に進路を取った!!なんとフォルテナイト凄い脚っ!さぁ末脚切れるのかぁぁ!?』


 他馬が荒れた馬場の内側を嫌い外へ持ち出していく中、ただ一頭猛然と内から追い込んで来た。

 その馬は他でも無い、鞍上に「天才の子」を乗せたフォルテナイトだった。

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