第二章「幸せの味」
第21話 匂いにつられて
夜の深まる深夜0時頃――
二人のサラリーマンが並んで暗い夜道を歩いていた。
一人は、メガネを掛けたくたびれた男性で、もう一人は、それより幾分か若々しい男性だった。
どちらも仕事帰りなのか口数は少ないが、メガネの男性が弱った口調で話し出した。
「……最近、嫁がよそよそしくてさ」
「喧嘩か?」
「いや、覚えがない。 聞いてみてもはぐらかされるばかりで俺が話しかけても上の空だし……」
「……」
浮気だろうなと話しを聞いていた若々しい男性は思ったが口には出さなかった。
メガネを掛けた男性は、ポツポツと語り続ける。
「大事にしてきたつもりだったんだけどなぁ……最近は、娘も派手なメイクをして朝帰りだし。 注意しても「ウザイ」「キモい」で会話が終わるから何の意味もない……」
ははっと力なく笑い、男性のくたびれた表情がさらに影を増す。
「昔は家族の為って思って働いてたのに、今じゃそう思い込まなきゃやってられない自分が居るんだ……だって必死で稼いだ金はホテル代やら夜遊びで消えてるなんて現実を直視したら、俺……」
「おい、落ち着けよ。 飲みに……んっ?」
「おっ?」
その時、とても良い匂いがしてきた。
香ばしい肉の焼ける匂い。
その匂いは、仕事のせいで夕飯をとれていなかった二人とって胃袋をダイレクトに刺激する毒に等しかった。
気づけばきゅるるーと腹の虫が鳴り、必死で匂いの出所を探していた。
「どっからだろ?」
「あっ! あれじゃないか!?」
メガネの男性がある方向を指を差す。
そこに目を向けると、一件だけ明かりの点いている西洋風のオシャレな装いをした建物が見えた。
駆け足で建物へ近づき、看板を確認する。
「レストラン……『カーニバル』?」
「こんな店あったかな?」
彼らにとってこの道は、会社への通勤路だ。
だから毎日のように通るが、こんな西洋風の建物のレストランは記憶にない。
首を傾げる二人だったが、また肉の焼ける良い匂いがした。
それが彼らの思考を惑わせる。
「……腹も減ったし入ってみるか?」
「……予約がいるかは聞けばいいしな」
二人は匂いに釣られるように扉を開き、店内へ入っていく。
中は、決して広くはないが西洋風のオシャレな装いをしていて、電球色のオレンジの光がそれを一層引き立たせている。
更にこちらから見えている厨房では、コック帽を着けた、堀の深い整った容貌の男性がフライパンを振るって料理していた。
どうやら匂いの元は、ここかららしい。
他の客は、居ないようだった。
「「……」」
入ったはいいがどうしたものか分からず立ち尽くしていると、入口脇から声が掛けられた。
「いらっしゃいませ。レストラン『カーニバル』へようこそ」
声を掛けてきたのは、給仕服に身を包んだ金髪の綺麗な女性だった。
彼女は優雅な笑顔を作ると続けて言った。
「お客様は、2名様でよろしいでしょうか?」
「はい。あの予約とかはしてないんですが……」
「大丈夫ですよ。只今お席にご案内しますね」
給仕の女性は、そう言って二人を店内の席に案内するとお冷やとおしぼり、メニュー表をテーブルに置いた。
そして店の説明をしてくれる。
「当店は、肉料理に自信を持っておりますので、御賞味頂ければ幸いです。御注文の際は、私をお呼びください。では、ごゆっくり」
彼女はそう言い残し、頭を下げるとまた入り口の脇に下がる。
二人はそれを確認し、メニュー表を開いた。
そこには、自慢と言っただけあってたくさんの肉料理が載っていて、ステーキやハンバーグといった定番は勿論、トンカツや丼物、パイ包みといった料理もある。
宣伝写真はないが、焼かれる肉の匂いとメニュー表に綴られた文字だけでヨダレが出てきそうだ。
「どれにする?俺は、やっぱりステーキかな」
メガネの男性がワクワクした口調で言う。
さっきまでのくたびれた表情が幾分か明るくなっている。
「そうだな、俺はハンバーグに……ん?」
だが、若々しい男性の方はメニュー表を眺めている内にある奇妙な違和感に襲われた。
「?」
「……どうした?」
「あっ、いや、何でもない。頼もう」
男性は違和感を感じながらも、折角元気になったメガネの男性に水を差すような事は言えず、また違和感の正体にもはっきりと気づけなかった。
彼らは、給仕の女性を呼ぶと料理を注文する。
メガネの男性はガーリックステーキ、若々しい男性はトマトとチーズのハンバーグをそれぞれ注文した。
彼女は注文を受けるとメニュー表を回収し、笑顔で「少々お待ち下さい」と言って厨房へ消えていった。
「楽しみだな!」
「そうだな……」
メガネの男性はもう料理にしか興味がないみたいだが若々しい男性の方は、違和感が気になって適当な相槌を打った。
(なんだろう……簡単だけど重要な事があのメニューに書いてなかった気がする)
メニュー表は既に回収されてしまったので頭の中で覚えている限りのメニュー名を思い出そうとする。
だがその思考も肉の匂いによってかき消された。給仕の女性が注文した料理を持ってきたからだ。
「お待たせしました。熱いのでお気をつけてお召し上がり下さい」
「おお、美味しそうだ……! 早く食べよう」
「あ、ああ……」
違和感はあるが、目の前でジュウジュウと音を立てながら焼かれる肉を見ていると警戒心も緩む。
ナイフとフォークでハンバーグを切り分け、それをトマトソースと一緒に食べてみた。
噛んだ瞬間、柔らかい肉が溶けて肉汁が口内に染み渡り、濃厚なトマトソースとチーズはそれを邪魔する事なく絡み合う。
素晴らしい味だった。
ファミレスのハンバーグなどこれを知ったらおもちゃにしか思えないほどの味だ。
暫くの間二人は、黙って目の前の肉を食べ進め、あっという間に平らげてしまった。
「旨かった……」
「ああ……」
食べ終わった二人は、放心したように呟く。
そこへ、給仕の女性がポットとティーカップを持ってやってきた。
「失礼します。 食後の紅茶は如何でしょうか?」
「頂きます。 お前は?」
「貰うよ」
彼女は二人の前にカップを置くと、ポットの中身を注ぐ。
湯気の立つ飴色の液体が、カップを満たす。
それを口元へと運び、一口飲んで息吐いた。若々しい男性は改めて店内を見渡して思う。
(良い店じゃないか。 静かで落ち着くし、料理は旨いし、店員さんは綺麗だし。 聞いた事がなかったのは、深夜営業だからかな?)
食事前の疑念は消え、すっかり寛いでいる。
そうこうしていると再び、給仕の女性が来て、食事に使った皿を下げてくれた。
「如何だったでしょうか、当店の肉料理は?」
皿を下げ終わると彼女は、笑顔で二人に聞いてくる。
「美味しかったですよ。 また来たいです」
「俺もです」
彼らがそう答えると女性は、より一層嬉しそうに笑顔を作り言った。
「ありがとうございます。 でしたらお客様方は今、幸せという事ですね?」
「はい? ま、まぁそうですね……」
「そうですか!そうですか! では……」
ザクッ!
いきなり給仕の女性がテーブルに置かれて二人の手を返しのついたナイフで貫いた。
そのあまりに自然で手馴れた動きに、刺された事を理解する事さえ時間を要したが、テーブルクロスを伝って落ちる赤い血と痛みが現実だと教えてくれる。
「あっ……!あっ……!」
「ぐっ……!」
若々しい男性の方は、直ぐにナイフを引き抜いて逃げようとしたが、その前にもう片方の手もナイフで刺し貫かれた。
激痛が彼の脳内を埋め尽くす。
「ぐあああっ!」
「いけませんよ、逃げようだなんて。 お代はきっちり払って頂きます。 ちなみに当店のお代は、お客様の恐怖と苦痛になりますのでご了承下さい」
「た、助けて! 誰か!」
メガネの男性が助けを求め叫ぶ。
だが近づいて来たのは助けではなく、悪意だった。
厨房にいたシェフがズンズンと歩いて二人のテーブルまで来ると手にした包丁でメガネの男性の眼球を容赦なく刺した。
「ああああっー!!!」
絶叫が店内に響く。
それを見た給仕の女性がクスクスとあざ笑いながら言った。
「勿体ないですよ、レオナルド」
「問題ない、マルティナ。 どうせ使わない部位だ」
シェフは、そう言ってもう片方の目にも包丁を突き入れる。
再び絶叫が店内に響き渡った。
それを聞きながら若々しい男性は、違和感の正体に気がついた。
(そうだ……! あのメニュー表には……)
だが気づいた所で何もかもが遅かった。
給仕の女性とシェフの背後から黒い影が吹き出し、悪意が店内に充満していく。
男性達にそれは見えなかったが凍えるような人外の悪意だけは、死の瞬間まではっきりと感じ取れていた。
悪霊探偵 エビス @ebisu01
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