第19話 迷い

「悪霊探偵……」




呆然と私が呟く。




「まぁ正式な呼び名は退魔師とか、欧米ならエクソシストとかになるんだが、現代でそんなの名乗ってたら間違いなくヤバい奴扱いされるだろ? だが探偵なら立派な職業だ。 悪霊を探して祓ってても調査で押し通せる」




出雲が説明してくれるが、そうじゃない。


そういう事ではない。




「なんなのよ……」




「柊さん?」




「なんなのよ、もう……」




私は頭を抱えて、俯く。




いきなり悪霊なんて言われても、退魔師だなんて言われても理解が追いつかない。




いや、理解というより私の中の常識が追いつかないと言った方が正しい。


昨日まで信じていた世界が音を立てて崩れていくようだ。




本当なら否定したい。だけど出来ない。


何故ならこの目ではっきりと視てしまったからだ。




黒い影悪意』を。




それが確かな形をもっていた、凍えるような悪意を放つ『黒い手悪霊』を。






そしてそれを祓ってくれた、白熱する怒りを纏う、白い鬼の姿を――






「すみません、もう少し順を追って説明するべきでした。 ただ、こちらもかなり状況が変わっていまして、せめて、あなたが如何に危ない状況なのか説明させて下さい」




阿部が私の傍に寄り添って言う。


その言葉に頭を抱えていた手を離し、顔を上げた。




相変わらず無表情な、それでいて少しだけ心配しているのが察せられる顔が目に入る。




「……分かった。 でも一つだけお願いしても良いかしら?」




「何でしょうか?」




「どんな事でも全部、あんたの口から聞きたいの。 それなら納得は出来ると思うから」




どうせ否定出来ないなら、それはこの男から聞きたい。


私達を救ってくれたこの男から。




阿部が尋ねるように出雲に目配せすると彼は、肩を竦めて半歩後ろに下がった。


邪魔はしないという意味だろう。




阿部はそれを確認し、話し出した。




「先程お渡しした記事に載っている人物は、柊さん達を拐った立花で間違いありません。 ただし、人間の立花は遭難事故の際、悪霊によって殺されてしまったのだと考えられます。 以後、その死体はずっと悪霊の隠れ蓑として利用されていたのでしょう」




「隠れ蓑って……?」




私が聞くと、阿部は少し間を置いてから続ける。




「悪霊が発する悪意は、『黒い影』として視る事ができます。 そして悪霊にとって、それを抑える事は非常に困難なのです。 人間でいう所の三大欲求に近いですから。 しかし、抑える事は出来なくても我々退魔師の目を欺く方法はあります。 それは死体に入る事です」




「!?」




「他人の心が読めないのと似た感じでしょうか。 死体に入られると退魔師でも『黒い影』を視る事が出来なくなります。 そうやって奴らは悪意を隠して人間社会に溶け込むのです。 しかし、あなたの目には……」




「死体に入った悪霊の『黒い影』も視えてしまう」




阿部の言葉を先に言う。


それに彼が頷いた。




「悪霊達からすれば柊さんの目は、自らの存在を脅かす脅威です。 故に、バレたらどんな手を使ってでもあなたを殺そうとしてきます。 どんな手を使ってでも、です」




どんな手でも、という部分をやたらと阿部は強調してくる。




まるで




「ですから、もし今後『黒い影』が視えても決して反応しないで俺に教えて下さい。 お願いします」




◆◆◆




柊さんを病室に送り届けてから、屋上へ戻る。


送り届ける時、彼女はだいぶ落ち込んでいるように見えた。




当たり前か。




いきなり悪霊だのなんだの言われれば誰でもああなる。


その上命を狙われ、常に隣人が悪霊かどうか警戒しないといけないのだから明るくなれという方が酷だろう。




むしろ取り乱したりしないだけ冷静なのかもしれない。




「戻りました」




「ご苦労さん」




屋上に戻ると手すりに身を預け、煙草を咥えた出雲さんが出迎える。




「病院ですよ」




「見りゃ分かる。 カタイこと言うなって、バレやしないさ」




「知りませんよ、怒られても」




「……んな事より、あの嬢ちゃんだ。 様子はどうだ?」




露骨に話しを逸らしてきたが、確かに追及しても仕方ないので話に乗っかる。




「落ち込んでいるように見えました。 ただ、それにしては冷静だったと思います」




「肝が据わってるって事かね。 しかし参ったな……お前が女の子と二人切りだったから軽い気持ちで茶化しに来たってのに、こんな事になるとはな……」




煙草の煙を吐き出しながら出雲さんが遠くの夕日を見る。


暫くそうしていると唐突に彼が口を開いた。




「どうすんだ?」




「どうする、とは?」




「決まってんだろ、あの嬢ちゃんに協力して貰うのかどうかだよ」




「……」




「似てるから無理か?」




「……」




「確かに容姿は似ている、しかも同じ目だ。 でもあの嬢ちゃんは、優良ゆうりじゃない。 お前もあの頃とは違う」




「……」




「俺の知る限り、「キョウト」のババアを除けば日本の退魔師でお前以上の奴はいない。 今なら嬢ちゃんを守っても勝てるんじゃないか?」




どうだろう?




どれだけ強くなっても、どれだけ怒りに身を任せても、




結局、退魔師に出来るのは、祓う事だ。


守る事ではない。




今回だって、たまたま彼女達が取り返しがつかなくなる前に間に合っただけ。




運が良かった、それだけの事だ。




「相手は、確認出来るだけでも数百年は生きている最上位悪霊の一角だ。 一人じゃ限界がある。 このままだとまともに戦う機会すらやって来ないぞ」




分かっている。


そんな事は、分かっている。




俺の脳裏にあの日の光景が思い出される。






吊り上げられ無惨に切り刻まれた、父と母が、




その血が滴る中、無数の男に襲われ壊れていく優良の姿が、




それを地に伏し見ているしかなかった自分と、笑って俺を見下ろしていたあの悪霊を。




「……」




それでも、俺には柊さんに何か話す決心はつかなかった。




いつもそうだ。


迷ってばかりだ、俺は。




その様子に出雲さんは何かを強要するような事はせず、再び煙草の煙を吐き出した。




「……まぁ、『命装めいそう』とまでとは言わないが、最低限の生命力の使い方は教えておいても良いだろ。 自衛にもなるしな」




「……そうですね」




話していると夕日も落ち、夜の闇がやってくる。




先の見えない暗闇は、迷ってばかりの俺を嘲笑う様にも思えた。

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