第13話 痛み

立花は鉄扉を閉めると椅子に縛られている私達の元へと歩いてくる。


背中には大きなリュックを背負っていて、手には工具箱を持っていた。




「うっ……」




奴が一歩迫ってくる度にあの黒い影も濃さを増しながら近づいてくる。




私は、出来るだけ"それ"が見えている事を悟られないようにしていた。


何故かは分からないがそうしておかないと直ぐに殺される気がした。




そのお陰もあり、特に不審に思った様子もなく立花は私達の傍まで来た。




そして脇にあった木製の机を真ん中に設置し、工具箱の中身を机の上に並べ始める。




ハンマー、ペンチ、ニッパー、錐、釘、万力、ハサミ……




夏海の足を見れば、それらの道具で何をするつもりなのか嫌でも予想がつく。






逃げたい。






はっきりとそう思った。




だけど身体に巻かれたベルトが私を椅子に縛り付けて離さない。




それに、仮に外せたとしても夏海を置いては行けない。


あの足では歩くどころか立ちあがる事さえ無理だ。




(どうする……!? 考えるのよ……! まだ何か……何かあるはず……!)




必死で頭を回して打開策を探す。




スマホは?――


ドアを見つけた時に落としてしまった。




叫んでみる?――


ここまで念入りに身動きを封じていて口を塞いでないのはおかしい。


きっとここは、叫ばれても良い場所なんだ。




役に立つものは?――


何もない。




考えれば考えるほど絶望的な状況だということが分かってしまう。




(駄目だ……! 諦めるな……! まだ……何か……! 何かが!)




だが私が良い案を思い付くより先に、立花が机に道具を並べ終えたみたいだった。


奴は並べた道具を眺めると心底残念そうに呟く。




「まさかこうなるとはねぇ。 なかなか、思うようにはいかないものだよ」




工具の中からハンマーを手に取り、それを夏海の方へ向けた。




「全部君のせいだよ、夏海ちゃん」




「うぇ……! ぐすっ……!」




「柊ちゃんに教えてあげるといい。 何でこうなったのか」




促された夏海は嗚咽を漏らしながら語り始めた。




「わ、私ね……あの日、管理人さんが荷物を持って非常口の方へ行くのが見えたの……だから、手伝おうと思って、追いかけたら……」




「あのドアを見つけたのね」




私の言葉に夏海は頷いた。




「入ってみると梯子があって、降りたら牢屋みたいな部屋の中にひ、人が……! 血も出ていて……それで警察に知らせようとしたんだけど……」




そこで立花は夏海の方へ歩き出した。


「ひっ!」という声と共に夏海の話が途切れる。




そして彼女に代わって立花が喋りだした。




「間一髪だったよ。 もし夏海ちゃんに気づくのが遅れてたら面倒な事になっていた。 まぁ、君の行方不明も大騒ぎになったから、どのみち面倒な事には変わりないがね。 さて……迷惑を掛けられた責任はどう取って貰おうかな」




そう言って立花は夏海の椅子の周りをゆっくり周回する。


彼女はその様子にビクビク震えながら懇願した。




「許してぇ……! 誰にも言いません……! 許して下さい……!」




「駄目だ。 あのマンションはもう使えない、あまりにも目立ちすぎた。 柊ちゃんはともかくだって直に乗り込んでくるだろう。 そうなれば私は苦労して作った『腹の中』を一つ失う事になる。 その責任は重いよ」




「うぇぇ……! やだぁ……! 痛いのやだぁ……!」




「……?」




夏海は泣きじゃくっていて気がついてないが、私は今の立花の発言に違和感を覚えて眉をひそめた。




(って誰の事……? 警察? でも警察なら警察って言うわよね……もしかして立花が警戒している奴って……!)




私の頭の中にある男の顔が浮かんでくる。


それは、昨日私にマンションと管理人に近寄らないよう言った男だった。




(もしかしたら……)




まだ助かる可能性はあるのかもしれない。


策とも呼べない人任せの考えだが。




そのためには、とにかく時間を稼がなければ。




「やめてぇ! 許してぇ!」




「駄目だって。 足は壊したし、次は指にしよう。 出しなさい」




「やだ! やだぁ!!」




どうやら立花はあのハンマーで指を叩き潰すつもりらしい。


手を広げさせようとしている。




夏海は必死でそれに抵抗してるが、縛られて自由を失った身体では長く抵抗出来ないだろう。




このままでは夏海の指は潰される。




(っ……!!)




私はそれを止めようとして――






声が出なかった。






確かに考えはある。


上手くいけば夏海を助けられる。




夏海だ・け・は。




だけどその時、私はどうなっているだろう?


少なくとも、無事で済むとは思えない。




脳裏に机の上に並べられた工具がよぎる。


恐怖が私にあと一歩の言葉を出させない。




何かが欲しい。


私に覚悟を決めさせるもう一押しが。




そう思っていると夏海の叫び声が聞こえた。




「助けてぇ! 香織ぃ!」




その叫びを聞いて、ハッと顔を上げる。




既に立花は夏海の指を広げさせ、その指にハンマーを振り下ろす直前だった。




私は躊躇わず鋭い口調で言った。




「止めなさい!!」




「……」




「ふぇ……!」




それまで黙っていた私が、突然声を発したせいか立花の手が止まる。


夏海も涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔をこちらに向けた。




私は再度言う。




「止めろって言ったのよ。 聞こえたでしょ?」




「……勿論だよ。 それで? 君の言う事を聞く理由が私にあるのかな?」




「あるわ」




「ほほう……?」




立花は振り上げていた腕を下ろし、私の方に歩み寄る。


そして、ハンマーの柄で私の顎を持ち上げ顔を覗き込んできた。




私も立花の目を睨み返す。




奴の目はドロっと濁りきっており、人間というより爬虫類とか魚類みたいに感じた。




どうにも気味悪さと得体のしれなさを感じる。


それでも目は反らさなかった。




立花が静かに尋ねてくる。




「教えてくれるかな? その理由とやらを」




それに私も静かに答えた。




「いいわよ。……まず、あんまり夏海ばっか苛めてると長持ちしないわ。 察するにあんた、人を拐う為にわざわざマンションまで作ったんでしょ? つまり、あんたにとって他人を痛ぶるのはそれだけ重要って事。 あのマンションが使えない今、簡単に死なれるとマズイんじゃない?」




「……」




「夏海は見るからに弱ってる。 やり過ぎれば、簡単に壊れるわ」




そこまで言うと立花の雰囲気が変わった。




ニヤニヤと邪悪な笑みを浮かべ、私の顎からハンマーを離すと、今度は見せびらかすように目の前で弄び始めた。




「……だがねぇ、これを振り上げた手前、格好がつかないよ。 どうしようかな」




「ふんっ……分かってんでしょ? ここに居るじゃない。 元気で壊れにくそうなのが」




「誰の事かなぁ?」




より一層邪悪に立花の顔が歪む。


もう人間とは思えない。




いや、顔だけじゃない。




立花の背後で漂っている黒い影は歓喜するかの如く蠢いている。




それでも、私は言葉を続けた。




「私よ。 私が夏海の代わりになるわ。 あんたが夏海にやりたい事は、全部私にやったらいい」




瞬間、黒い影が歓喜の爆発に沸いた。




私の全身に纏わりつき、身体中を這い廻る。


触れられる度にその部分が死んだように冷たくなるが、我慢した。




ひたすら立花から目を反らさず耐えた。




やがて立花が口を開く。


どんな恐ろしい事を言われるのか身構えているとその口から出たのは、




「……素晴らしい」




「えっ……?」




「素晴らしいよ! 柊ちゃん!!」




まさかの称賛だった。




そして立花は、ハンマーを地面に捨てると困惑している私の頭を撫で回してくる。




「イイ、イイよ!! 誰かの為にその身を捧げる気高さ! 想像以上だ! 素晴らしい覚悟だ! そんな君を好きに壊して良いなんて……! 味に拘る連中はまったく理解出来なかったが、今なら理解出来る!! 君が痛みに泣き叫ぶ様が見たい! 君の覚悟がぐちゃぐちゃに踏みにじられて私に『止めて下さい!』と懇願する所が見たい!! 君の恐怖と痛みを味わいたい!!!」




興奮に犯されたように口走りながら、立花と黒い影は私を撫で回していたが、唐突に天井を仰ぐと、自らの指先を口に突っ込み、指を噛んだ。




「ふぁめだ……!! ふぉさえれろ……!! はぁ……簡単に壊すな……!! こんな上質な味、二度と出会えないかもしれないんだ……!! やるならじっくり……肉体も精神も余す所なく……!!」




意味不明な事をブツブツと呟き続ける。




暫くそうしていると、少し落ちついたのか仰いでいた頭を下げた。




そして私を見ると言う。




「柊ちゃん……ううん、香織ちゃんにお願いがある」




「お、お願い……?」




何故か名前呼びになったが、いちいち構ってられないのでスルーして聞き返すと立花が頷く。




「大した事じゃないんだけど、君には出来るだけ悲鳴を我慢して欲しいんだ。 スパイスというか……風味付けというか……ともかく、やってくれるならご褒美を上げよう。 もしこれから与えられる苦痛に悲鳴を上げずに耐えきれたら夏海ちゃんを解放しようじゃないか」




――解放――




立花はワケ分からないがその言葉には心が動かされる。


私が耐えれば夏海は救われる。




「……嘘じゃないでしょうね」




「勿論だ。 それで……やるかい?」




「やるわ」




即決だった。




私の答えを聞いた立花は満足そうな笑い、地面に落としたハンマーを拾いあげた。




「それじゃあ右手の親指からいこう。 手を広げて指を出すんだ、香織ちゃん」




言われた通りひじ掛けの縁に手を広げる。


やたらと指先の方の縁が広いのはこの為だったのか、と納得がいった。




立花が期待したような目で私を見て、ゆっくりとハンマーを振り上げた。




(ああ……)




それを見て声には出さないが心の中で恐怖の声を漏らす。




当たり前だ。




本当は怖い。




指を潰されるなんてどれだけ痛いのか想像もつかない。


やるとは言ったが悲鳴を上げない自信なんて到底ない。




あるのは、覚悟だけ。


それだけは決まっている。




理由は簡単だ。




(夏海に頼まれたから……)




そう、頼まれたんだ。




『助けて、香織』って言われんだ。




それなら仕方ない。


だって、あんたに頼まれたら私は断れない。






何故なら私にとってあんたはそういう存在だから。


あんたに頼まれたら答えはいつも決まっているんだ。






あんたが一秒でも痛い思いをしなくて済むなら私は……






頂点までハンマーが持ち上がる。




それを見ていた夏海が突然「あっ……あっ……」と壊れた人形みたいな声を上げ始めた。




そんな彼女に向かって軽く微笑む。




心配しなくて良いという意味を込めて。




ブン!という音と共に一気にハンマーが振り下ろされ、寸分違わず私の親指を直撃する。




「~~~ッ!!!!!」




爪が砕け、激痛が全身を貫いた。




痛い……痛い……!




痛い! 痛い!! 痛い!!!




勿論、覚悟はしていた。


きっちり身構えていた。




それでも痛みは私の想像の遥か上をいく。


ただひたすらに叩かれた指が痛い。




それ以外、考えられない。




拘束されてなかったらとっくに椅子から転げ落ちている。




悲鳴を上げなかったのなんて殆ど偶然だ。


痛みで息をするのも忘れて、上げるだけの余裕がなかっただけだ。




でも、




(これで…………! 一本目ぇ…………!?)




まだ手の指は九本あるのだ。


この痛みが最低九回は続く。




(む、無理……! 無理よ……! もう無理……!! お願い……許して……)




たった一発で心が折れそうになる。


何もかも投げ出したくなる。




だけど、そんな私の正面から声が聞こえた。




「が、がおりぃ……ごめんなさい……ごめんなさいぃ……!」




泣きながら謝る夏海の声。


それで私の頭は僅かに正気に戻った。




「はぁ……はぁ……! ふぐっ……! き、気にすんじゃないわよ……! こんぐらい……何ともないから……!」




息も絶え絶えに何とか言葉を絞り出す。


強がってるのは誰の目にも明らかだろう。




それでいい。




何度だって強がってやる。




「ほ、ほら! 早く次の指も潰せば!?」




そう言って強がれる内に私は指を差し出す。




その拍子に潰れた自分の指が見えた。




砕けた爪から出血し、赤くなっている指。


形もおかしくなっている。




きっと次の指もこうなる。




それでも私は手を広げ、立花に指差し出した。


それを見て奴は、感極まった声を出す。




「ああ……素晴らしい……! 君は……本当に極上の人間食材だよ……!」




そう言ってまたハンマーを振り上げる。




「今度は、右手の人差し指だよ」




頂点までハンマーが持ち上がる。




そしてまたブン!という音と共にハンマーが振り下ろされ、寸分違わず私の人差し指を直撃した。

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