悪霊探偵

第3話 焦燥

夏休みが始まって三日が経った。

その間に休み期間中の課題はできるだけ終わらせて、あとは買ってきた市販の問題集と格闘している。

まぁ、私なりの暇潰しだ。夏海からの連絡もないし。

(いや、待ってる訳じゃないけど…！ 約束した以上気になるというか…それだけよ！)

いっそこちらから連絡してやろうかとも思ったが、あれだけ断った手前、私から連絡するのはどうにも恥ずかしかった。

だってめちゃくちゃ楽しみにしているみたいじゃないか。

絶対からかわれる。

(あいつにだって予定があるし… そもそも部活もやってるし… 連絡なんて待ってればいつかくるし…)

「香織、ちょっと買い物に行ってくるわね。 何か欲しいものある？」

問題集を片付けながら、心の中で言い訳を繰り返していると、部屋の掃除を終わらせた私の母、柊（ひいらぎ）詩織（しおり）が聞いてきた。

私はやっていた問題集から顔を上げ、ちょっと考えてから答える。

「アイス。 バニラのカップの奴がいい」

「あー、アレね、分かったわ。 他にはある？」

「あとはいいわ。 気をつけて」

「はーい」

返事をした母は玄関へと向かった。

私も問題集に意識を向け直す。

その時、家の固定電話が鳴った。

「はいはい、誰かしら？」

玄関へと向かっていた母がリビングに引き返して受話器を取る。

「もしもし、はい…あっ、お世話になっています。 はい、はい、えっ…？ わ、分かりました…！ 代わりますね…！ 香織！ ちょっと来て！」

電話に出た母が慌てた様子で私を呼ぶ。

「なぁに、お母さん？ …大丈夫？ 誰からなの？」

なんだか母の顔色がさっきより悪い。

聞いてみると、母は受話器を握ったまま言った。

「私は大丈夫。 それより夏海ちゃんのお母さんからの電話なんだけど…あの子、家に帰ってないみたいなの…」

「えっ？」

「それで行き先の心当たりがないかって…」

夏海が帰っていない？ どういう事だ？

意味が分からない。何かの間違いだ。

「貸して！」

「あっ、香織…！」

私はお母さんの手から受話器を引ったくり電話に出る。

「もしもし…！」

『あっ、もしもし。 香織ちゃんですか？ 夏海の母です。 突然ごめんなさい』

電話口から聞こえてきたのは落ち着いた大人の女性の声だった。

何度も聞いたことがある。

間違いなく夏美のお母さんの声だ。

自分の心臓の鼓動が早くなる。

「いえ、大丈夫です。 それであの…夏海が居ないってどういう…」

「えっとね… 昨日部活に行ったきり帰ってこなくて… 何処かの家にお邪魔してるんじゃないかと思ってあの子の友達に電話をしてるんだけど…』

「昨日から…！？」

室内の時計に目を向ける。

現在の時刻は、１１時半を少し過ぎたくらいだ。

昨日、部活がいつ終わったのかは分からないが、もし正午に終わったのなら行方が分からなくなって既に１日経とうとしている。

「な、夏海のスマホは…！？」

『掛けてみたんだけど…電源が入っていないみたいで…』

「あっ…！」

自分の心臓の鼓動がさらに早くなるのを感じる。

嫌な予感がして冷や汗が背中を伝った。

「バ、バレー部の部員はどうなんですか？ 誰かの家に泊まってるなんてことも…」

話ながらそんな事はあり得ないと分かっていた。

何故なら、夏海は連絡を入れずに泊まるような子ではない。

決して親に心配をかけるような子ではないんだ。

『それも聞いたけど 昨日駅前で別れてそれっきりだそうよ。 誰の家にもお邪魔してなかったわ…』

「……」

夏海のお母さんの声がやたらと遠くから聞こえる気がする。

私の脳内にある二文字が浮かんできた。

ネットやニュースの中にしかなかったその単語。

それは誘拐。

「け、警察に…！ 夏海が…！」

声が震え、考えが上手くまとまらなくなる。

そんな私を宥めるように夏美のお母さんが言った。

『お、落ち着いて。 朝の内に夫と相談して捜索願いは出したわ。 警察も探してくれている』

「そうですか…！ それじゃ後はえっと…」

それなら…あとはなんだ。

どうすればいいのだ？

私に出来る事は…何だ？

『香織ちゃん…』

良い考えが何も浮かばず言葉に詰まっていると、夏海のお母さんがか細い声で言う。

『もし夏海から連絡があったら教えて欲しいの… お願い出来る…？』

「は、はい！ 勿論です！ 私からも連絡してみます！」

『ありがとう、香織ちゃん… あの子を見つけたら直ぐに伝えるから…』

「はい…」

そこで夏美のお母さんとの電話は切れた。

私が受話器を置くと、直ぐに母が口を開く。

「香織、夏海ちゃんは…？」

「警察が探してるみたい。 だから大丈夫よ、必ず見つかるわ…必ず…！」

母に答えるというよりは、自分に言い聞かせるように呟いて、心配そうな母の横を通り抜けてリビングに戻る。

そして置いてあった自分のスマホを掴み、祈るような気持ちで夏海に電話を掛けた。

(出なさい、夏海…！ 今なら笑い話で済むから…)

だが応えてきたのは無慈悲な機械音声だった。

『貴方のお掛けになった電話は現在、電波の届かない場所におられるか、電源が入っておりません』

「クソっ…！」

通話を切って再度、電話を掛ける。聞こえてくる音声に変わりはない。

『貴方のお掛けになった電話は現在、電…』

「出なさいよぉ！」

また切って電話を掛ける。

何度も、何度も、電話を掛ける。

その度に何度も機械音声が応えた。

『貴方のお掛…』

「出てよぉ・・・！」

懇願しながらも震える手で通話を切って、電話を繋ぎ直そうとする。

その手を母が握って止めた。

私からスマホを取り上げ机に置くと、そっと自分の胸に抱き寄せる。

「香織…今は待ちましょう。 夏海ちゃんは大丈夫よ、ね？」

優しくて温かい母の声色に少しだけ不安が紛れる。

だけど不安の奥底にこびりついた黒い考えは消えてくれない。

もしも連絡できる状態なら夏海は必ず連絡してくる筈だ。

それが無いという事は彼女の身に何かあったんだ。

連絡も取れなくなるような何かが。

でも、それが分かった所で私に出来る事はなにもない。

警察が動いている以上、任せるしかない。

祈るしかないのだ、私の親友の無事を。

だが、現実は無情だ。

警察の捜査も空しく、一週間経っても夏海が見つかる事はなかった。

テレビでも大々的に報道されて情報を募ったが、有力なものはなかった。

そして何の手掛かりも得られないまま捜査は打ち切られ、世間の関心も段々と他の出来事に移っていった。