第2話 親友

「香織ー!助けてぇ!」


期末試験まで二週間と迫った放課後、


クーラーを効かせた自宅のリビングで勉強していると、夏海がすごい形相で我が家に駆け込んできた。


「勉強分かんないよぉ! また、あ、赤点…! このままだと留年…!」


どうやらよっぽど切羽詰まっているらしい。

出迎えた私の肩を掴んでガクガクと揺さぶってくる。


「うごっ…! ちょっ、お、落ち着きなさい! 肩抜ける!」


私は夏海の手を掴み、止めさせる為に叫ぶ。

その言葉に彼女はハッとした様子で肩から手を離した。


「ご、ごめんなさい…! 痛かったよね…」


夏海が頭を下げて謝罪する。

こちらの機嫌を損ねたと思っているのか、今度はやけにオドオドとした態度になった。


そんな彼女に肩を擦りながら言う。


「もういいわよ… んで、どこが分かんないの?」


「す、数学… 授業は聞いてたんだけど一度分かんない所が出ると後も分かんなくて…」


「あー… はいはい、だいたい分かったわ」


「香織ぃ…!」


夏海がすがるような声を上げる。

その様子を眺めて、ため息を漏らした。


「勉強道具は持ってきたんでしょうね?」


「う、うん。それはもちろん…」


「じゃあ早く入んなさい。 ここじゃあ暑くてたまんないわ」


「えっ?それって…!」


「復習だと思って付き合ってやるわよ」


我ながら本当に甘いと思う。


今回は阿部を超える為に無視すると決めてた。

助けるつもりなんてなかった。


だけど頼られるといつもこれだ。

中学の時も、高校受験の時もそうだった。


こうやって勉強を教えてた。


結局、私には夏海を無下になんてできない。

頼られれば応えてあげたいし、困ってるなら助けたい。


親友とはそういうものらしい。


「うわぁん…! ありがとぉ、香織ぃ…!」


泣き出した夏海が私の胸にへばりついてお礼を言ってくる。

その行動に苦笑いを浮かべ、彼女の頭を軽く撫でた。

そして泣き止んだ彼女をリビングへと連れていくと、さっきまで使っていた自分の参考書を片付けて彼女が勉強出来るスペースを作る。


片付けている時、一瞬だけ阿部の無表情な横顔が脳裏に浮かんだが頭を振ってかき消した。


(今は夏海が優先、あいつは邪魔なだけ…)


そう自分に言い聞かせて夏海に勉強を教え始めた。


特に数学を重点的に。


「また公式間違えてるわ。 さっきと同じ所だから気をつけなさい」


「うぇぇ… 難しいよぉ…」


「でも、テストの範囲だと絶対にこういう問題文でしか出題されないから、公式覚えちゃいなさい。数字が変わっても当てはめるだけで良くなるわ」


「は、はーい…」


そんな風にして二週間、


期末試験まで放課後、休日と付きっきりで夏海に勉強を教え続けた。


そして暑さが増してきた7月、全ての期末試験が終わり答案結果と順位が配られた放課後、私は夏海と共に駅前のファミレスに来ていた。

彼女は席に着くなり期末の結果が書かれた小さな紙を見せびらかしてくる。


「やったー! みてみて、全教科赤点回避! 学年順位もちょっと上がった!」


チラリと視線を向け、出されたお冷やに口をつけながら興味無さげに言う。


「あっそ」


「かるっ!」


直ぐに彼女からツッコミが入るがどこ吹く風とばかりに無視する。


そんな私の態度に夏海が喚いた。


「弟子が結果を出したんだよ! 褒めて! 師匠として褒めて!」


「誰が弟子よ…結果なんて分かりきってたわ。 あんた、答案が返ってくるたびに小躍りしてたじゃない」


「うっ…!」


「あれを見たら良い点だったのは明らかよ。 夏休みの補修にも呼び出されてなかったしね」


「ううっ…!」


「そもそも、誰が教えたと思ってんのよ。 あんたがどれくらいの点数を取るかなんて、ある程度予想出来てるっての」


「うううっ…!」


私が一言発するたび、あれだけテンションの高かった夏海がどんどん縮こまって俯いていく。

言った通り点数自体はさして驚く程のものではない。


赤点よりちょっと上、それが今の夏海の実力で取れる限界だ。


「まぁ・・・」


「?」


だけど彼女が頑張ったのもまた事実だ。

私は、テーブルに置かれた夏海のテスト結果が記された紙を手に取る。


それを見て僅かに微笑んで告げた。


「これは私の予想よりずっと良い点数よ。 それはあんたの頑張り・・・ この二週間本当に良くやったわね」


「か、香織ぃ~!」


俯いていた夏海がガバッと起き上がり、テーブルを越えて私に抱き着こうとしてくる。


それをおでこにチョップを入れて阻止した。


「いったい!」


「ことあるごとに抱き着いてくるのは止めなさい… これだから褒めるのイヤだったのよ」


夏海を撃退して、一息つく。

すると彼女がおでこを押さえて急に笑い出した。


「えへへ…!」


「どうしたの? 頭でも打った?」


私は料理のメニュー表を開きながら夏海に尋ねる。

すると彼女は若干納得できない雰囲気を出して答えた。


「やったのは香織なんですけど…まぁいいや。 それよりこれで夏休みだよ! どこ行こっか!?」


「ああ、そういえばそうだったわね」


もうそんな時期か。

忙しくてすっかり忘れていた。


「そうだよ! ねぇねぇ、どこ行く!? 水族館とか、遊園地とか… あっ、そうだ! 私、見たい映画があるんだ!」


「ふーん… いってらっしゃい」


「何で!? 何でこの流れでそんな事言うの!? 一緒に行こうよ!」


「いやよ。だって暑いもの。私より部活の仲間で行ったら良いじゃない。バレー部でしょ」


勉強こそ苦手な夏海だが、運動神経はそこそこ良い。

中学からバレー部に入部し、三年時には全国大会に出場してるほどだ。


高校でも同じくバレー部に入っている。

遊びにいくなら部活の仲間と行ったらいい。


そう思ってたのだが彼女は首を振って否定する。


「それはそれ! バレー部のみんなとはもう何処へ行くかは決めてあります! 今は香織とどこに行くか話してるんだよ!」


「えぇ…じゃあ自宅で…」


「この引きこもり!」


煮え切らない私に夏海が叫ぶ。


失礼な女だ。


「せめてインドア派って言って欲しいわ」


「呼び方なんてどうでもいいよ! 外に出て! 私こんな子に育てた覚えはないよ!」


「そりゃあ、育てられてないし。 あっ、すみません。 バニラアイス一つ下さい」


夏海を適当にいなしつつ、呼び出した店員に料理を注文する。


「あんたは?」


「…同じもので」


注文を受けた店員が去っていく。

待っているあいだ暇なのでスマホを取り出す。


そしてネットニュースを見ていると夏海が思い出したように口を開いた。


「阿部くんでしょ?」


「ぐっ! ごほっ、ごほっ!」


唐突にあいつの名前が出てきた事で、びっくりしてむせてしまう。


「やっぱり…」


その様子に夏海は何か察した表情になる。


「げほっ… や、やっぱりって何よ…!? というか何でいきなりあいつの名前が…」


「え、だって付き合ってるんでしょ?」


「……はぁ?」


困惑している私を尻目に夏海は続ける。


「だって阿部くんの事めちゃくちゃ目で追ってるじゃん。 あれは私じゃなくても気づくよ。 正直、男の趣味悪いなぁと思ってたんだけど、夏休みは彼との時間を優先するんだね…!」


「待ちなさい…!」


「大丈夫だよ! 私、応援してるから! 香織は黒髪ロングの正統派美人だし… ただちっちゃいのと、口と目付きが悪いのと、あと、えっと…」


「待ちなさいって言ってるでしょ! というか後半悪口じゃない! 背が小さいのはどうにもできないし、口も目付きも別に悪くないわ!」


「ともかく応援してるから!」


夏海が元気いっぱいな笑顔で私にサムズアップをする。


ヤバい…!

どうやらこの友人は変な勘違いをしている。

なんとしてでも誤解を解かなければ。


「まず第一に私と阿部がその…付き合っているとかはないわ…」


「えっ、好きなんじゃないの?」


「そんなわけないでしょ! 誰があんな無表情男なんか…!」


「じゃあ好きでもないのに四六時中見つめてるの?」


「それは…」


そこで私は言葉に詰まった。

阿部が学年一位だから意識しています、と言っても良いのだろうか?


それを言っても誤解されたままな気がする。

だが他に良い言い訳も思いつかないので正直に言う事にした。


「それは、阿部が…あいつが成績で学年一位だからよ…だからそういう意味では意識してるのでしょうね」


私の答えを聞いた夏海が硬直する。


「マジで…? 阿部くんが? 香織より?」


「マジよ。 先生にこっそり確認したから」


あいつの試験結果が知りたくて、中間以降、教師のご機嫌取りにせいを出していた。


本来、私達が通っている『東青とうせい学園高校』は、プライバシーの保護だとかで全体の試験の順位を公表していない。

配られるのは、答案用紙と自分の点数、学年順位が分かる小さい紙、さっき夏海が見せびらかしてきた紙だけだ。


前回の中間では、阿部のそれがたまたま見えたから順位を把握できた。

でもそれがいつも上手くいく保証はない。


だから、確実な方法として教師に聞いたのだ。


その結果が、


「あいつが一位よ。 また負けたわ」


私は自分の結果が書かれた紙を渡す。

それを見た夏海は目を丸くした。


「相変わらず私が取ったことのない点数が並んでるんですけど・・・」


「そこじゃなくて学年順位を見て」


私に言われて順位の欄を見た夏海が呟く。


「二位…」


「ね。 あいつ、今回はいったい何点取ったのかしら?」


ガン見しても今回は結果の紙を見ることができなかったし、教師も詳細な点を教えてくれなかったので、あいつの総得点がいくらなのかは不明だ。


少なくとも私が全教科九割五分ぐらいだからそれ以上なんだろう。


「あ、あの…!」


「あ、一応言っとくけどあんたのせいじゃないから」


何か言いかけた夏海より先に言葉を発して黙らせる。


「間違いなくあんたのせいじゃないわ。 というかあんたに付き合った程度で私の成績がどうこうなるわけないでしょ。 地力が違うのよ、地力が」


結果の紙を夏海の手から取りあげ、鞄にしまう。

そうしていると注文したアイスがやってきた。


早速、スプーンで掬って一口食べると口の中で濃厚な甘さと冷たさが広がっていく。


「香織…」


夏海がまだ何か言いたげに私の名前を呼ぶ。

それにアイスを口に詰め込みながら答えた。


「ふぁやくふぁべなさい。 ふぉいしいわよ」


「何言ってるか分かんないよ… ふふっ、ありがとね」


「ふぁんかいった?」


「なーんにも! いただきます!」


そのあと、私達は他愛ない話をしながらアイスを食べた。

食べ終わると店を出て家路につく。


その道中でもどうでもいい話で盛り上がった。


「美味しかったね!」


「そうね」


「また来ようね!」


「いいわよ」


「夏休み何処行く!?」


「家」


「ダメじゃん!」


鋭いツッコミを入れる夏海に向かって私は冷静に言った。


「むしろ何でいけると思ったのか知りたいわ」


そんな風にしているとやがて夏海の家が近づいてきた。


彼女の家はオートロック付きのマンションでここら辺ではかなり良い物件らしい。

私も何度か遊びに来てるがその度に「良いマンションだなぁ」と思う。


「おばさんによろしくね」


「うー!」


唸る夏美を置いて別れを告げると、さっさと自分の家への道を歩き始めようとする。


だが一歩踏み出した瞬間、夏海に肩を掴まれた。


「夏海?」


「本当に嫌…? 一回もダメ?」


ちょっとだけ泣きそうになりながら夏海が聞いてくる。


それを見てホントに卑怯な女だと思った。

毎度そうだが、泣けば私がなんでも応えると思っているんじゃないか、この女。


はっきり言ってやらないと。


「…まぁ、あんたの奢りなら一回ぐらい付き合ってやるわ」


私の返答に夏海の顔がたちまち笑顔になる。


「う、うん! 約束…! 約束だからね!」


「はいはい… それじゃあね」


私は後ろ向きに手を振って、自分の家への帰り道を歩きだす。


茹だるような暑さに顔をしかめ、滴る汗を拭いながら自分の発言を後悔した。


(あーもう、何言ってんのよ、私… 外に出ないって決めてたのに…)


夏海の事だから必ず連絡してくるだろう、それも一回で済むとは思えない。


彼女が満足するまで、下手すれば夏休み中ずっと付き合わされる恐れがある。


(だけどそうなったらそうなったか…)


認めよう。


どうせ私は夏美にゲロ甘で、さっきみたいに彼女に頼られたら断る事は出来ないのだ。


私にとって夏海はそういう存在。


ドジで、おっちょこちょいで、すぐ調子に乗る、私の大事な親友。


「しょうがないわねぇ… 付き合ってやりますか」


誰に言うでもなく夕焼け空に向かって呆れたように呟く。


たったそれだけの事なのに、茹だるような暑さが僅かに緩んだ気がする。

心なしか、帰る足取りも弾んでいた。


それはこれから始まる夏休みへの期待の表れだったのかもしれない。













だけど夏休みが始まって三日後、私は夏海が行方不明になった事を知った。

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