悪霊探偵
エビス
第1話 阿部と言う男
大通りから外れた薄暗い路地裏、制服姿の少年がその中を歩いていく。
眼鏡をかけ、ボサッとした黒髪の冴えない少年だ。
見かけは普通の学生にしか見えない。
だがただ一点、普通の学生とは違う所がある。
それは彼の目だ。
丸ぶち眼鏡の奥、そこにある目だけは、冴えない容貌とは裏腹に爛々と輝いて路地裏の先をじっと見つめていた。
やがて少年は歩みを止め、道半ばで立ち止まる。
何かを待っているようだ。
暫くすると少年が進んできた反対方向の路地裏からスーツ姿の男性が歩いてきた。
別にスーツ姿の男性など珍しくはない。
ただし、その男性がやって来た方向は行き止まりで、彼の首がない事実を除けばだが。
当たり前だが首から上がないのに動ける人間はいない。
確実に死んでいる状態だ。
にも関わらずスーツ姿の男性は路地裏を進み、大通りへ出ようとしている。
他の誰かが見ていたら腰を抜かしている状況だ。
あるいは自分の目を疑っているかもしれない。
しかし、
「首のない男性…依頼通りですね」
少年はこの異常な状況にも全く狼狽えていなかった。
表情は一切変わらず無表情で、発せられた言葉にも抑揚がない、淡々としている。
その様子に首のない男性が纏う雰囲気が変わった。
悠々とした雰囲気から一転して、禍々しい黒い影が首もとから溢れだす。
そして人間とは思えない速度で、一気に少年との距離を詰め、彼の首に手を伸ばしてきた。
だが、
「祓います」
少年は焦った様子もなく呟くと、手を前に向ける。
すると何処からともなく、一振の刀が出現した。
柄も鍔も白、刀身は白銀に輝く、美しい刀だった。
少年はそれをしっかりと握りしめ、向かってきた男性に真っ向から振り下ろす。
閃光のような一瞬の煌めきの後、首のない男性は縦に真っ二つに切り裂かれ、黒いモヤとなって霧散した。
少年は周囲を確認し、この一連の出来事が誰にも見られていない事を確かめると、踵を返して来た道を戻る。
手に持っていた筈の刀は、現れた時と同様にいつの間にかなくなっていた。
そうして路地裏から出た少年は、何事もなかったかのように大通りの人混みに消えていった。
◆
「はぁ…」
茹だるような熱気に思わずため息が漏れる。
下敷きをうちわ代わりに使って扇ぐが、送られてくるのは熱気ばかりで涼しくはない。
それでも扇がないよりはマシなのだが。
チラリと教室に備え付けられている温度計を見ると三十五度を指していた。
(嘘でしょ…! まだ六月始まったばかりなのに…)
今、世界全土を襲っている異常な熱波。
気温の低いヨーロッパでも熱中症による死人が出ているし、どこかの国では湖が干上がってしまったそうだ。
当然私、
連日の気温は三十度を超え、とうとう三十五度まで達した。
この調子だといったい夏本番は何度になるのだろうか?
どう考えても酷暑なのは間違いない。
(夏は絶対外に出ない… クーラーがんがん効かせて家に籠ってやる…)
心の中で誓っているとやっと終業のベルが鳴った。
「それじゃあ、今日はここまで。 テストに出るかもしれないから、しっかり復習しておけよ~」
そう言って担当教科の先生が教室から出ていく。
それに吊られるように何人かの生徒も教室を出ていった。
多分、他クラスに行ったんだろう。
残念ながらこのクラスだけはクーラーが故障中で動いていない。
だから休み時間になると他クラスに友達がいる人はそこに逃げ込むのだ。
だが、私にそんな友達はいない。
居るのは、
「香織~! あっついよぉ!」
デカい声を出して、明るめな茶髪をポニーテールにした女子が私の席にやってきた。
私の親友の
彼女は、下敷きで扇いでいる私に気づくと直ぐに背後に回り込んできた。
「ふぅ… いい感じだよ、香織。 もっと強くてもいいよ」
「ふざけんな」
夏海の頭を下敷きで叩く、それも面ではなく縦で。
それが思ったより良いところに入ったのか、夏美が頭を抑えてうずくまった。
「痛った~! 何で叩くの!? 私は涼しい、香織も涼しい、みんな幸せじゃん!何が気に食わないの!?」
「私で楽しようとしてるとこ! 暑かったら自分で扇ぎなさい!」
「ヤダ! 香織の風がいい! 扇いでぇ~!」
夏海は再び背後に回り込むと今度は私に抱きついてきた。
更に叩かれないよう、下敷きを持っている私の手をしっかりと掴む。
抵抗するが力が強くて引き剥がせない。
「離しなさい…!この…!」
「ダメダメ、ほら扇ぎましょうね~」
「くっ、こいつ…!」
夏海は掴んだ私の手を動かして強制的に扇がせ始めた。
「へへっ、口ではなんと言っても身体は正直ですなぁ、香織さん」
「うっさい…! あんたの方が色々デカいんだから仕方ないでしょ…!」
「いや、これは私がというより、香織がちっちゃいだけ…」
「それ以上言ったら戦争だから」
「イ、イエッサー・・・!」
「そこはマム… いや、もういいわ…」
暑くてツッコミを入れる気力も湧かない。
抵抗を止めて、夏美のされるがままにされる。
暫くの間そうしていると夏海が言った。
「それにしても…こんなに暑いと集中できないよねぇ。 さっきの授業全然聞いてなかったよ」
「大丈夫なの?あんた中間ヤバかったでしょ」
たしか、赤点だらけだった筈だ。
めちゃくちゃ青い顔をしていたのを覚えている。
それを指摘すると夏海は一瞬固まり、私に対して媚びた笑みを浮かべた。
「喉元過ぎればってやつで… それに私には香織様がついてますし」
どうやら私に教えて貰う予定だったらしい。
だけど私は、そんな彼女を突き放すように言った。
「言っとくけど私は何もしないわ。自分の事で精一杯だから」
「えぇー!お願い!そこを何とか!」
「嫌よ。成績落としたくないし、それに…」
「?」
「何でもない。 ホラ、もうすぐ次の授業が始まるわ。 戻んなさい」
「うぅっ…」
夏海は未練がましい声を上げるが、流石に時間には逆らえなかったみたいだ。
予鈴が鳴ると大人しく私から離れ、トボトボと自分の席に帰っていく。
その背中があんまりにも哀れで、つい口走ってしまった。
「…せめて授業をちゃんと受けて、分かんない所をはっきりさせなさい。 一から十までなんて流石に教えないから」
その言葉で泣きそうだった夏海の顔がたちまち笑顔になった。
「ありがとー! 愛してる、香織!」
「教えないわよ」
「ありがとうございます!香織様」
何故か敬礼をして夏海は自分の席に帰っていった。
さっきのイエッサーといい、彼女の中でそういうのが流行ってるんだろうか?
(まぁ、どうでもいいか。それより、私よ!私! あんな簡単に教えるとか言っちゃってどうすんのよ!?)
今回は夏海が泣こうが喚こうが無視するつもりだった。
そうしないといけない理由があったのに…
ガタッ
私が自らの甘さに頭を抱えていると、隣の席から椅子を引く音がした。
横目でチラチラ様子を伺うと、さっきまで机に突っ伏していた彼が頭を上げていた。
ダサい丸ぶちメガネに、整えていないボサボサの黒髪、よく寝てないのか目元にはうっすらと隅が出来ている。
お世辞にもカッコいいとは言えない、むしろ冴えない部類に入る男子、それが前回私を抑えて学年一位になった
彼は教科書を机に広げると無表情で授業が始まるのを待っている。
(こいつ… ホント、何考えてんのかしらね…)
入学してからずっと隣の席だが、彼が自分から誰かと会話している所を見た事がない。
休み時間は机に突っ伏しているし、授業が終わればそそくさと帰ってしまう。
そんな態度だから今では完全に腫れ物扱いだ。
勿論、私だって好き好んで関わりたいとは思わない。
だけど、偶然見えてしまったのだ。
配られた中間試験の結果、彼の用紙に記された『学年一位』という表記を。
最初は見間違いだと思った。
それだけ私は自信があったし、入学時もトップで新入生代表だったからプライドもあった。
でも私の結果は『学年二位』、トップとは10点差だった。
あの日以来、彼を意識している自分がいる。
断じて恋などではない。そんな甘いものではない。
沸々として、ドロドロとしたものがごちゃまぜになった感情で名前は分からない。
ともかく、阿部を見るたびにそういったものが私の中で渦巻いていた。
「授業始めるぞ~! 全員席に着け~」
その声で我に帰る。
既に教壇には教師が立っていて、休み時間が終わっていた。
私も机から教科書を出して準備するが、慌てていたせいで消しゴムが机から滑り落ちる。
「あっ・・・!」
咄嗟に手を伸ばすが間に合わずに机の下に消えてしまう。
だが消しゴムが地面に落ちる前に阿部がそれを空中で掴んだ。
「…どうぞ」
彼はボソッと呟き、私の机に消しゴムを置いてくれる。
「あ、ありがとう…」
私もぎこちないお礼を返してそれを受け取った。
たったそれだけの事。
それなのに私はその光景が気になって仕方ない。
(なに… あの反応…?)
とんでもない反応速度だった。
消しゴムを取ってくれただけだが、その動きは人間には到底無理なような…
「柊?どうしたちゃんと聞いてるのか?」
「えっ?」
気がつけば教室中の目が私に注がれていた。
訳が分からず混乱されるしていると、教師が言った。
「教科書十六ページ、五段落目だ。お前の番だぞ」
「あっ、す、すみません!」
指摘されてようやく理解した。
昨日の課題だった和訳の発表だ。
書き込んだノートをだして大急ぎで読み始める。
それが終わると少しだけ笑い声が聞こえた。
微笑ましいものを見る笑い声、
多分、夏海だ。
吊られて他の誰かも笑った、また他の誰かも、教室が微笑ましいものを見る笑いに包まれる。
決して嘲笑ではないのだが恥ずかしさで顔が赤くなる。
きっと阿部にも笑われているだろう。
そう思って隣をチラリと見てみる。
だが、阿部は笑っていなかった。
相変わらずの無表情で虚空だけを見つめ、その目に私は映っていなかった。
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