第7話

 少し浅はかだったのかもしれない。

例えば、家を出る前にスマートフォンで実際に診療所が開いているかを確認しておくべきだった。


 もうどうしようもないので救急車を呼ぶために、ポケットからスマートフォンを取り出す。

そして119を押そうとした瞬間だった。


 「どうした?

わしの家の前で慌てふためく少年よ。」


僕は直ぐに後ろを振り向く。


そこにいたのは風貌こそ老紳士になり、色素の抜けた髪が増え、シワだらけになったが、僕が昔見た通り、優しい顔のここの診療所の医師だった。




 「これでもう大丈夫じゃ。

まあ、儂が出来ることはとりあえずしたという方が正しいかもしれないがのう。


意識こそ無いんじゃが、呼吸自体は落ち着いておるし体温もそこまで高い訳では無い。

意識消失も一時的なものでおそらく元気になるじゃろう。

百パーセントではないがの。」


何が入っているのかはよく知らないが、僕が症状の説明をして点滴をさした後、ブロッサムさんをベッドに寝かせ、僕たちはかつて診療室だったと思われる部屋で彼女を横目に話すことにした。


 彼、春日山かすがやま 秀則ひでのりさんは僕の父の師匠であり、医師でもある。


年齢は確か僕が小学生の時に五十代半ばだったはずなので今は六十代だろうか。


数年前までここで診療所をやっていたはずなのだが、なぜやめてしまったんだ?

よく、医者が天職だと父と喋っていた記憶があるのに。


いや、やめたのなら医療器具を持っているのはおかしいから、別の場所で診療しているのだろうか。


 「国境なき医師団と言うのは知っているかの?」


彼は患者を起こさないためか、少し小さい声で語る。

なんなら起こして安心させて欲しいぐらいなのだが。


単語自体はどこかで聞いたことがある。

何かの授業で習ったのかcmでも見たのか、定かではないが記憶のどこかにその言葉はあった。


「まあとは言っても、儂はそこに所属してるわけじゃあないのじゃが、何かの枠組みに入るのは億劫なもんでの。

要するに言いたいことは海外の、特に貧困で悩むような人を儂個人で治すような、そんな活動をしているんじゃ。


救うを押し付ける、とでも言おうかのぉ。

ああ、そこの模倣とは言わないでくれ。

理念を評価してるんじゃ。

枠組みにははいらんがの。」


「そんなことを。」


 彼は人を治しているのだと、医者を辞めてなどいなかった。

晴れやかな、誇りを持った表情だった。

医療器具をもっていたのも、辞めていないのなら当然のことだ。


熱中症対策の物も、きっと携帯していたのだろう。

そのような医療の支援を受けるのは、多くが開発途上国のような、富裕層が多いとは言えない国なのだから、エアコンが殆どの世帯に普及しているとは考えにくい。

必然的に患者数は増える。


 「にしても、亮朔くんに彼女が出来ていたとは、君は今高校生くらいかな、最後に会ったのは小学校三年くらいじゃったか、今は百八十センチくらいあるんじゃないか?

時が過ぎるのは早いのう。」


彼はこのような状況など、何回もあったのだろう、緊張感のないことを喋りだす。

僕は無駄に硬くなっているのだろうか、助かるのか心配になり続けていた。


 とはいえ、無視するわけにはいかない。

緊張は沈黙を肯定する理由になりはしない。


「彼女じゃないですよ、知り合いです、知り合い。

高校生は合ってますけどね。

二年です。」


彼は少し笑顔で、僕の言葉に頷いた。

どんなことを思ったのかは分からないが、悪いことではないと思う。


 「裕亮ひろすけくんは元気か?」


僕の父の名前だ。

秀則さんは、僕の父の師匠である。

元々は、彼も診療所を開く前は大学病院で勤務していたので、そこで僕の父の上司だったのだ。


僕も口に出したくないのだが、事実を彼に告げる。


「僕の父は死にました。」

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