【四十】デキステル総帥

 トウマは夢を見る。それは未来。全てが白に染まった世界に、レイリーだけが立っている。レイリーは左右を見回す。すると遠くに、木製のベンチが見えた。木が一本だけ立っていて、その木陰にベンチと、そしてラベンダーの花が咲いている。


 ベンチの方へ一歩近づくと、ベンチに誰かが座った。マウアだ。その黒髪には少し白髪が交じっている。レイリーが見たことの無い、年老いたマウアだった。彼女は穏やかな表情で、読書をしている。木漏れ日がページを捲るように落ちている。


 もう一歩近づくと、誰かの声がした。聞こえた様な気がしたが、誰の、どんな台詞かは聞き取れない。気がつくと、ベンチの傍に一人の男がいた。短く揃えた金髪は少し白髪が交じっていてて、まるでマウアとお揃いの様だった。顔は見えない。その男はマウアの肩にそっと手を乗せる。するとマウアは顔を上げてにっこくりと微笑んだ。マウアが肩の手にそっと自分の手を添える。お互いの指には、銀色の指輪が塡められていた。


 レイリーが歩みを止めると、二人はこちらに背を向けて歩き去ってしまった。二歩も踏み出すと彼らの姿は消えてなくなり、ベンチも木もやがて何も無くなった。





  —— ※ —— ※ ——





 振り返ると、今度は車が走っていた。海岸線を背景にオープンカーが走っている。気がつくと、レイリーはその運転席でハンドルを握っていた。今や骨董品の、ガソリンで駆動する車だ。コンピュータ制御が無いので挙動がデリケートだった。少し緊張して、小刻みにハンドルを振るうと車体が揺れた。すると歓声が上がった。振り向けば、助手席にはユニファウがいた。


 彼女は、フロントガラスの縁に手を掛けて立ち上がっていた。車体が左右に揺れる度に、眩しい笑顔を向けてくる。楽しんでいる様だった。周りには他の車は何も無い。レイリーはユニファウを楽しませる為に、アクセルを踏み込んだ。歓声が心地良い。


 レイリーはハンドルを握る指に、銀色の指輪が塡められているのを見つけた。助手席に振り向くと、ユニファウに指にも同じ指輪が塡められているのが見えた。その手を、ユニファウが差し出す。レイリーは運転しているのも忘れて、その手を取った。温かい。


 そして車は突如現れたトンネルへと入り。全てを漆黒へと包み込んだ。





  —— ※ —— ※ ——





 気がつくと、レイリーは一人で赤い世界に立っていた。朝日では無い。夕陽のような赤い色が世界を染め上げている。手を見ると指輪は無かった。近くには安楽椅子があった。妙に疲れたレイリーはそこへと向かう。たった十歩程度なのに、まるでマラソンをしたかの様な疲労を憶えた。よっこいしょと安楽椅子に座ると、まるで腰に根が生えたかの様に感じられた。もう立ち上がれない。きいきいと安楽椅子が揺れる。


 レイリーの手には、いつの間にか手鏡があった。それで顔を覗くと、老人の顔がそこにあった。ああ、なるほど。道理でやけに安楽椅子が気持ち良い訳だ。揺れる度に、レイリーの思考が弛緩していくのが分かる。三度、四度と揺れる頃には、もうレイリーは深い眠りについていた。





  —— ※ —— ※ ——





 世界はいくつもの可能性の集合体である。平行世界と言い換えてもいい。レイリーがマウアと結ばれる可能性。マウアとは結ばれない可能性。ユニファウと結ばれる可能性。そして独り死んでいく可能性。その無数の可能性の内の一つ一つを、人は選択して生きていく。選ばなかった可能性を見ることは無い。幾つかの例外を除いては。


 世界には多くの人間が生きて、日々選択している。そうする内に、世界も幾つかの可能性に分かれる様になった。例えば、産業革命が起きなかった可能性。世界大戦が起きなかった可能性。小惑星落下で滅亡した可能性。核戦争で滅んだ可能性。その世界の可能性を、世界群と呼ぶ。


 世界群は人と同様、選択しなかった可能性である他の世界群とは触れあうことは無い。幾つかの例外を除いては。


 ある時。異変が起こった。近い将来、ある二つの世界群が衝突する軌跡を描いていることが判明した。つまり幾つかの例外、その一つが発生したのだ。その世界群の科学者たちは複雑な軌道計算の末、一つの結論に達した。世界群同士の衝突を防ぐ術は無い。そして二つの世界群が衝突した場合、生き残るのは強い可能性を持つ世界群の方である、と。


 彼らは自らを「シニステル」又は「デキステル」と名乗り、そして抗争を開始した。自らの世界群の可能性を高め、そして相手の世界群の可能性を減する為に。





  —— ※ —— ※ ——





 トウマは再び白い世界にいた。夢では無い。現実の世界だ。だが正確には視認しているのではない。トウマの肉体の感覚で認識できる様に「変換」している。そうでないと目覚めた時に理解出来ないからだ。


 何となく分かる。ここは通常の四次元時空間では無い。時間軸を三次元に広げた、時間が三軸、空間が一軸の時空間だ。復元されるまでの僅かな間、トウマはその空間を漂っていた。


『なるほど。平行世界の住人だったとはね』


 トウマは得心した。詳しい原理はまるで分からないが、漫画とかでは時々目にする話だ。シニステル総帥の発見が難しかったのも、つまり通常は「デキステルの世界」側にはいないからだろう。


『ここまで君が目覚めるとは、ちょっと想定外だったかな』


 目の前にはシニステル総帥がいた。トウマに襲いかかってくる様子は無い。フォボス転送は成功した。もう勝敗は決したのだ。あとはフォボスの落着を見届けるだけだ。


『目覚めるって……ああ、何となく分かってきたよ』

『そう「シニステル」と「デキステル」は近傍世界群なんだよね。だから結構似ている。だからボクが「シニステル」にいるってことは、「デキステル」にも相応の存在がいる』

『それがオレってことか』

『そう。君が将来の「デキステル総帥」さ』



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