【三十六】火星大戦 其の一
火星の朝日は青い。地平線から顔を出した青い太陽が、赤茶けた大地をその透き徹った青い光で照らしていく。オリュンポス山は高さ二万七千メートル。頂上部分には半径約七十キロにも及ぶカルデラが形成されている。その深さは三キロ。青い光が山体を駈け上り、カルデラの底まで達するには少々時間がかかる。
カルデラの底は大きく六つの地殻に分かれていて、その周囲を外輪山がそそり立っている。中央部は比較的平坦で、外輪山に近くなるほど標高が高く、そして地形も緻密になっていく。トウマたちはそのカルデラの、ほぼ中央に現れた。将来、中央都市が建造される地点である。
トウマは青い朝日の眩しさに一瞬目が眩んだ。そして息が出来ることに驚く。気がつけば、自らが発する青い光が全身を覆っている。火星には極薄い二酸化炭素の層しか無く、気温もマイナス百四十度からプラス三十度まで変化する厳しい環境だ。しかしトウマは今、まるで早春の様な爽やかな空気を吸い、青い朝日にはほんのりとした暖かさすら感じている。
周囲を見回せば、皆、光に包まれていた。ヒメは緑、ジュウロウとキョウコは黄、十二神将と呼ばれたメンバーは藍色だ。ヒメとジュウロウは戸惑いながら、深呼吸したり、身体のどこかに異常がないかどうかを確認している。他の面子は慣れたもので、特に意に介することなく次の行動へと移っている。
『ちゃんと息出来ているな』
ホムラが近寄ってくる。声は聞こえない。念話だ。足が地面を蹴る度に、ふわりふわりとその身体が浮き上がる。火星の重力は地球の三分の一。トウマが試しにジャンプしてみると軽く身長の高さまで跳び上がれた。そのまま近くにあったコンテナの上へと着地する。
周りには、円筒を横倒しにした様な人工建造物とコンテナが幾つか設置されていた。いずれもキョウコが事前に運び込んだものである。円筒形の建造物はニュースで見たことがある。試験生産されたという、火星環境で活動する為の居住棟だ。コンテナには各種資材が収納されている。いずれも万が一長期戦になった場合への備えである。
だが、それを利用する必要はなさそうだった。不意に、トウマの上に影が落ちる。いやトウマだけではない。この場にいる全員、いやオリュンポス山全てを覆い尽くす影が落ちてきていた。
空を見上げれば、太陽を覆い隠すような形で巨大な小惑星が浮かんでいるのが見えた。ジャガイモの様な形状。それは火星の衛星の一つ、フォボスであった。その縁は紫色の光に覆われ、ゆっくりと確実にその大きさを増していく。通常の大きさでは無い。既にフォボスは軌道を離れ、落下し始めているのだ。
『やっぱり来たんだね、デキステルの諸君』
巨大な念話の波が、トウマたちを圧した。空気を震わせたのではないのに、耳が痛くなる様な錯覚を覚える。その念話は、落下しつつあるフォボスの方から伝わってきた。少し間を置いてから、フォボスの前に人影が現れた。
遠くて顔は見えない。しかしその人影はやはり紫色の光を発していた。まるで心臓の鼓動のように脈打つ光の明滅は、フォボスを覆うされと同期していた。そして更にその外側に、藍色の光を纏った十二の人影を従えている。トウマは察した。あれが、敵の親玉なのだと。
『ああ、すまない。力の調整が上手くいってない様だ。……これで聞こえるかな?』
今度はごく優しい声が脳裏に届いた。男性とも女性とも似つかない、中性的な響きだった。
『ああ、何か言いたいことがあるなら聞いてやるぜ。遺言としてな』
ホムラが強い念話を飛ばす。相手の顔はここからでは見えない。だが少し困った顔をした、そんな気がした。
『やっぱり邪魔しに来たんだよね』
『当たり前だ。このまま世界滅ぼされてたまるかっての』
『どちらかというと、世界を救いに来たんだけどね』
『は! そりゃ自分勝手なことで。そんな道理が通るかと思ってるんか』
『……じゃあ仕方が無いね。ボクたちは、ボクたちの信じる道を行くよ』
『最後に、アンタの名前聞いておこうか?』
『ボクに名前はないよ、残念ながらね』
そう言ったシニステル総帥の顔は、少し寂しそうな笑顔を浮かべていた。
—— ※ —— ※ ——
『トウマ!』
『あれが、敵の総帥なのか……?』
『ああ、そうらしいぜ』
トウマの元にヒメとジュウロウが集まってくる。軽い重力に体勢を崩したヒメをトウマが抱き留める。遅れてキョウコも傍に寄る。
『トウマ、お前は例のヤツを試せ! キョウコ、あとは頼んだぞ』
『あいよ』
ふわりと、ホムラの身体が浮かび上がる。それは火星の重力を離れ、一気に空へと舞い上がっていく。ホムラだけでは無い。他の十二神将のメンバーも空を駆け上がる。それに合わせるかの様に、シニステル総帥を囲んでいた十二の光、四天八部衆が降下を始める。合計二十四の藍色の光が、火星の空で衝突した。
—— ※ —— ※ ——
『よっと』
キョウコはトウマたち三人と共に空間転移した。跳んだ先は外輪山の頂上だった。トウマたちは自分たちの位置を確認すると、切り立った崖の縁まで近寄る。先程までいた中央部までは、少なくとも三十キロは離れている。フォボスが落とす影の下で、二十四の光点が乱舞しているのが辛うじて見える。
逆に、フォボスはよく見えるようになった。太陽の方角から登り始めたフォボスは、その大きさを増しつつある。落下しているのだ。同時に、包み込んでいる紫色の光が強さを増していく。まるで太陽に変わって、この火星を照らすかの様でもある。
シニステルがフォボスを落とそうとしている先は今の火星では無い。前世、未来の火星へだ。あの紫色の光が、フォボスを時間転移させる力、シニステル総帥の異能力の発露だと思われた。落下の加速度を得つつ未来へと時空転移させれば、そのままの落下速度で未来の中央都市直上へと出現する。そうすればもう防ぐ手立ては無い。
『一応聞くけどさ、あれをどっかに跳ばすことは出来ないよね?』
トウマがフォボスを見つめながらキョウコに聞く。
『んな無理に決まっとるやろ。あんなでかいもの、どないせいっちゅうんや』
『ですよね』
では、そのでかいのを移動させるばかりか、未来へと跳ばそうとしているシニステル総帥とは一体何者なんだ。異能力はどれも人間離れした能力だが、それにしたって常軌を逸している。そして今トウマがやろうとしているのも、無理難題だといえた。準光速弾投射砲の全長は三十キロ。長さだけでいえばフォボスより大きいのだ。
だが、少なくとも同等のことをやっている、やろうとしている人間がいる。なら可能性はゼロでは無い。トウマはそう思い直すと、じっと目を閉じ集中しはじめた。ゆっくりと青い光が発露する。
そのトウマの右手をヒメがそっと握る。そして左手はジュウロウが握った。二人も目を閉じると、それぞれ緑の黄色の光が舞い上がる。三色の光は螺旋のように絡み合って、空へと登っていく。
『お……』
キョウコは少し呻いて、三人から距離を取った。舞い上がる三色の光、それは交じり合って紫色へと変色していく様に見えた。
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