【三十二】初恋至上主義者か


 ヒメと合流したトウマはクリスタルタワーを出て、駅前のファミレスで昼食を摂った。取り留めの無い雑談をしながら、ぶらぶらと商店街を冷やかす。駅ナカの商店街は空調が効いているので快適だ。ヒメのウインドショッピングに付き合いつつ、トウマも長袖のシャツを買った。そろそろ秋物を用意する時期だ。衣類品だともう夏物のバーゲンは終わっている。そこだけはもう秋である。


 思ったより早く陽が傾いてきた。トウマはヒメを家まで送った後、自宅までの帰り道を遠回りする。特にどこか行く当てもなかったので、普段は通らない方向へと曲がっていく。気がつけば高校へと辿り着いていた。校庭を覗き込むと、相変わらずサッカー部を筆頭にした運動部員たちが部活動に励んでいる。校舎に見れば、先週まではあった囲いが無くなっている。爆破された校長室の修繕は終わっていた。


 あれから随分経った気がするが、まだ一ヶ月も経っていない。全く一体何が起きているのだろうと、まだ飲み込めてない。前世、異能力、そして世界の命運を賭けた抗争。なんだかこう、ふわっとしか実感出来ていない。でも事実なのだ。


 部活動の様子を眺めていると、どこか懐かしく感情が芽生えてきた。あと一週間もしない内に夏休みは終わる。その時、自分はあの中に混じっていけるのだろうか。そう考えると、どこか躊躇いにも似た寂しさを感じる。


「せーんーぱーいッ!」


 突然、そんな寂寥感を吹き飛ばすような声がトウマの鼓膜を叩いた。ふと我に返ると目の前、高く張られたネットの向こう側に褐色の少女がいた。サッカー部のマネージャーで後輩の、葛城マコだ。彼女はその白く整った歯を見せて、ちょいちょいと手招きした。


「よっ、はっ、とっ」


 サッカーコートの端へと招き入れられたトウマは、マコのリフティングを眺めていた。足、胸、膝、頭とボールが跳ねる。上手い。彼女は今でこそマネージャーだが、確か中学の時は女子サッカー部だったはずだ。運動神経は相当良い。頭で弾かれたボールがトウマの足元へと来る。トウマは右足、左足とボールを宙で捌き、再びマコへと蹴り返す。


「なに黄昏れてるんですかー、先輩?」


 そう言われてトウマは気がつく。ああ、なるほど。オレは今、後輩に心配される程度には弱っているらしい。いやそんなことは無いよ、と言い返す気力が無いのを実感して、トウマは素直になった。


「なあ、葛城は何でオレのこと好きになったの?」


 マコは目を丸くする。膝で上げたボールが明後日の方向へと飛んでしまう。マコは慌てて追い掛け、とりゃーと差し出した足先で辛うじて拾う。


「いやー、そういうコト聞きますかねー。ま、そういうトコロ、嫌いじゃありませんけど」


 二度ほどリフティングしてから、ボールをトウマに返す。そしてトウマが代わりにリフティングしている間に、マコが顎に指を当てて考える。


「そうですねー、やっぱりサッカー絡みですかね。先輩のボール追いかける姿が綺麗だったから、かな」


 今からだと一年半前になる。マコは当時は中学三年生。去年のインハイの県予選を観戦に行った。劣勢だった。しかしそのキーパーは相次ぐ敵チームのシュートを全て防ぎ切り、そこからロングパスからのカウンターを決めさせた。マコはそれを見て「ああ敵わないな」と思った。そしてマコは女子サッカーを辞め、進路先をさきたま市立高校に変更した。そのキーパーがトウマだった。


「でも、今でも先輩のことは好きですよ」

「サッカー辞めたのに?」

「んー、なんて説明したら良いだろ。結局、今の何を好きか、なんじゃないですかね? 人間なんてどんどん変わっていくし、変わったらその時々で結論出してくしかないんじゃないかなーと」

「そういうものなのか」

「そうですよ。最初に好きになった人しか好きになっちゃダメなら、この世の恋愛の大半は死滅すると思いますけどね。初恋至上主義者か!」


 ふわりと返されたボールを、マコは強めに蹴り返す。綺麗なシュートフォーム。トウマはそれを両手でキャッチする。「ナイスセーブ!」マコがはしゃぐ。


「私だって中学の時は『サッカーでオリンピック出たるでー』ってガチでやってましたけど、今じゃごらんの通りマネージャーやってますし。『燃えてた君が好きだったんだ』って言われても、ああそうですかとしか言えないですよ」


 小走りで寄ってきたマコがにっこりと微笑む。サッカーボールを手渡しで受け取り、上目遣いでトウマを見上げる。傾いた陽が赤くなり始めている。サッカーコートの方では今日の練習が終わった様だ。部員たちが片付けを始めている。


「どうですか、少しは私のこと好きになりました?」

「そうだな。ちょっと好きになった」

「あーもう。そういうこと言っちゃうのはダメですよー。げんてーん!」


 肘鉄を食らわすマコ。そしてそのまま手を振りながら、部員たちの元へと走って行く。トウマはちょっとだけ晴れた気持ちで、その後ろ姿を見送った。





  —— ※ —— ※ ——





 ちらりとカーテンを捲ると、窓の外はすっかり暗くなっている。家の外の街灯が自宅前の道路を照らしている。人気は無い。ジュウロウは机に視線を戻す。タブレット端末とノート、筆記用具が散乱している。夏休みの宿題を消化していた最中だった。しかし進捗は芳しくない。


 ふと気を緩めるとぼんやりと考え事をしてしまう。のそりと、マウアの記憶が頭を出す。ジュウロウは手を見つめるが、光は見えない。ようやく最近は思い出したぐらいでは発光しなくなった。それにほっと安堵の溜息をつく。


 困った。本当に困った。ジュウロウの中には今、ジュウロウとしての気持ちとマウアとしての気持ちが入り交じっている。もし仮に、並列しているのなら話は簡単だろうと思う。マウアの気持ちを切り離せば良いのだ。そう簡単に行くか分からないが。


 しかし入り交じっているとは、つまりジュウロウが親友としてトウマの心配をすると、ぐいっと突然マウアの感情が吹き上がってくるのだ。それはちょっと、いや大分ジュウロウとしては困る。それは本意ではない。と言い切りたいところなのだが、そこが前世の記憶というのはややこしい。本人ではあるのだから。


 あれか。結婚して幸せにやっているところに、突然初恋の人と再会して昔の気持ちを思いだしてしまった。強いて言えばそんな感じなのだろうか。ジュウロウとしてもマウアとしても恋愛経験が少ないので想像でしかないが。


 夏休みももう終わる。それまでにはこの感情にケリを付けたい。しかしその目途すら立たずにいた。


「……ん?」


 机の上のスマホが震えた。SNSのメッセージが着信した様だった。ジュウロウはスマホを手に取り、メッセージを確認する。


『明日遊びに行こうぜ。三人で』


 それはトウマからのメッセージだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る