【二十八】心音
なんて声を掛けたら良いのか。トウマは言い淀む。ヒメのマウアとしての記憶は偽物で、実際にはユニファウだった。恋人同士になったはずなのに、その前提が足元からガラガラと崩れてしまっていた。
ヒメのことが好きか? そりゃ好きだ。でもそれに前世の影響が全く無かったかと言われると、喉の奥から声が出てこなくなる。
「しかし参ったな。まさかヒメがユニファウだったとは」
「今は、そんなこと考えなくていいから」
ヒメはトウマの手を掴んだ。ゆっくりと引き寄せ、そしてその頭を抱いた。トウマの後頭部の髪をヒメの細い指がゆっくりと梳く。
「ちょ、ヒメ?!」
「安心して。私は、ずっと傍にいるから」
ヒメは目を閉じ、ゆっくりと呼吸をする。トウマはそのままの体勢で固まっている。二人とも無言で、室内には時計の針が回る音がやけに大きく聞こえる。お互いの呼吸音。トウマの頭はヒメの胸に密着している。トウマはヒメの心音が聞いていた。
「トウマだけの罪じゃない。私たちの罪だよ」
ヒメの言い聞かせるような優しい声に、トウマの瞳孔が開く。身体が震える。今まで押し殺していた思いがぶり返す。トウマは人を殺した。殺したのだ。それが例え正当防衛だったとしても。宙を彷徨う指先が細かく震える。
しかしその震えは、包み込む温かな体温とラベンダーの香りによって少しずつ和らいでいった。そういえば、トウマは思い出す。前世でも同じ事があったな。初めて人殺しをして傷ついていたレイリーを慰めてくれた。その時慰めてくれたのはマウアだったが。
トウマは無意識に両腕を伸ばして、ヒメの背に手を回す。二度三度と、指先が背に食い込む。ヒメは黙って、ちょっとだけ頭を抱く腕の力を強めて頬ずりをした。
—— ※ —— ※ ——
ジュウロウは静かに瞼を開いた。白い天井と埋め込み式の照明が見える。ああ、検査室の天井かとすぐに思い出す。どれぐらい寝ていたのか。予定であれば一時間程度のはずだが、室内を見回しても時計が見当たらないので分からない。
しかし睡眠薬というのは怖い。服用するとすとんと記憶が途切れる。でも実際には、寝るまでに若干のタイムラグがあるのだ。つまりこうだ。まず服用する。すると記憶はここまで。その後コップを戻して看護士と会話して、ちょっとスマホを操作して、ゆるゆると検査器具を装着してからベッドに横になり、就寝する。その記憶が一切ないのだ。その録画映像を見せられた時には、本当にぞっとした。しかし検査の為には仕方が無い。このデキステルという組織を信用するしかない。
検査室は殺風景だ。部屋の中央にベッドがあり、その周囲には幾つかの検査機器らしきものが置かれている。検査機器から伸びる線の先端には固定具がついていて、ジュウロウの手首や足首、胸やこめかみに密着している。心電図を計る機械に似ている。ジュウロウの着衣は白い貫頭衣だった。
部屋の三方には窓が並んでいる。この検査室を監視する為の部屋が取り囲んでいるのだ。窓の外には、医師に似た白衣の人たちが慌ただしく動いているのが見える。しばらく天井を見つめていると、監視室との間のドアが開いて看護士が入室してきた。短髪の眼鏡を掛けた若い女性だ。小さなワゴンを押している。
「はあい、ちゃんと目覚めてる?」
「はい、すっきりしてます」
看護士はニッコリと微笑むと、ジュウロウに繋がれた検査機器の固定具を手早く外していく。全部外されてようやくジュウロウは起き上がれた。ベッドの端に腰掛け、首を回す。ぽきぽきと音がする。看護士は「それ、癖にならないようにねー」と注意しつつ、検査機器を片付けていく。
彼女が押してきた小さなワゴンの上には、ポットとコップが載せられている。水分補給用だ。ジュウロウはコップの半分に水を注ぎ、飲む。この部屋は少し乾いている。飲み干すと、思わず溜息が出た。
「一つ、聞いてもいいですか?」
「いいわよー。あ、恋人は募集してないから。愛人なら考えてもいいわよ。
揶揄うように片目を閉じる看護士。出会ったころは戸惑ったジュウロウだが、この一週間で彼女のノリに大分慣れた。はははっと軽く受け流す。
「前世と、性別が違う人っているんですか?」
「うん。でもまあ、珍しいっていえば珍しいわね。日本で確認されたのは初めてかな」
「何か問題とかって無いんですか?」
「んー、今のところそういう報告は無いわね。……何? もしかして男の子が好きになっちゃったとか?」
ジュウロウは強めに首を振る。看護士は不満そうに舌を出す。
「別に男の子とが好きでもいいんじゃない」
「いえ、そういう訳ではないので」
「まあこれは仮説の仮説になるけど、性別の自認自体は肉体に依存するだろうという見方が主流ね。つまり霊魂に性別は存在しないと」
検査機器の片付けを終えた看護士は、ジュウロウの隣に座る。
「にも関わらず、転生者の性別が前世と一緒のケースが多いのはなぜか? それは前世の因果に引っ張られているからと言われているわ」
「前世の因果?」
「そう。私たちは多分、未来の破滅を防ぐ為に転生した。その為に前世の記憶を残している。その因果よ」
「でも、それだとオレは女になるんじゃ」
「もし前世の貴方が、男になりたいと願っていたら?」
「それは……」
男になりたいと願った記憶は無い。しかし、レイリーに守られるだけの自分がイヤだとは思っていたのは確かだ。まさか、それが?
「え、なに。やっぱり男同士が良いって? ちょっとお姉さんに詳しく話しなさいよ」
看護士がぐいっと身体を密着させてくる。何やら興奮しているのか、ジュウロウの腕をがしっと強く掴む。ジュウロウは慌ててその手を振り払い、距離を取った。何か寒気を感じたのだ。
「あはは、冗談冗談。サンプルが少なすぎて正確なところは不明。貴方もあまり悩まないことね」
看護士はジュウロウの仕草に満足したのか、うんうんと頷いた。白衣のポケットから棒状の機械を取り出す。ICレコーダーだった。看護士は片手に持ったまま電源を入れる。
「さて、それじゃあ本題ね。今回、何か思い出したこと、ある?」
「……はい、思い出しました。『マウア』が最後に計算していた、結果のこと」
音は聞こえなかったが、窓の外がざわついたのを感じた。
「シニステル総帥は近い将来、衛星の時空転移を実施します。それが中央都市に落下する」
「それはいつ、どこで?」
「九月十一日。場所は、中央都市の直上」
ジュウロウは空を見上げた。天井しか見えないそこに、ジュウロウにだけは赤い星が見えていた。
「火星、オリュンポス山です」
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