【二十七】涙涸れ果てた後に
ヒメは泣いた。自分の中のマウアの記憶は実は偽物であって、本当はユニファウだった。それが分かった、分かってしまった瞬間から、自分が何をどうしていたのか、はっきり思い出せない。とにかく胸の中がぐちゃぐちゃだった。ようやく気がついた時には自室のベッドの中にいて、やはり泣いていた。悲しみや絶望に涙していたとはちょっと違う。何より希望が辛かった。
そう。あれは確かに希望、願いだった。それもヒメ自身とユニファウの二人分の、ようやく叶ったはずの願いだったのだ。一度は無くした宝物をようやく手に入れ、でもやっぱり取り上げられてしまう。偽物の人形を引き釣りながら、暗闇の中をただ泣きながら彷徨う自分。どこかの小説で「人は絶望では傷つかない、希望によって殺されるのだ」という文言を読んだが、正にその通りだった。
そんな時に限って、前世の記憶が蘇ってくる。もちろんユニファウの記憶だ。レイリーのことを、ただ見ているだけしかないユニファウ。世の中が混迷して行く中、レイリーとマウアのお互いを助け合う姿をじっと黙って見つめていた。
平和な時であればあったであろう、遊園地にデートに行ったりデパートにショッピングに行ったりと言った、そういう場面は無い。徹夜で研究したり、テロに巻き込まれたり。でも二人は常に寄り添っていて、その姿がただ羨ましかった。
ヒメは、ユニファウは馬鹿だなと思う。二人の前から去ればいいのに。新しい人を探せとまでは言わないけれども、せめて二人の傍から離れれば、そう傷つくこともないのに。傷ついているのは、半分はユニファウ自身のせいでもある。
そう思いつつも、でもヒメはユニファウを最後まで否定できなかった。その恋が実らないことと、レイリーの元を去ることがどうしても繋がらなかったのだ。その感情は、その行く末とはまったく関係なく生まれてくるのだろう。行く末と連動すれば楽なのに。でも、ただそこにあるからこそ尊いのだと思う。夜空に輝く星の様に。
—— ※ —— ※ ——
ゆっくりと、ヒメはようやくベッドから起きた。気がつけば深夜。室内は照明も落ちていて暗い。カーテンも閉め忘れている。月明かりだけが薄く室内を照らしている。あれから何日経ったのだろう。少しずつ思考がクリアになっていく。ああ、感情が制御出来ないってこういうことをいうのだと、泣き止んでからようやく実感した。
家の中はしんと静まり返っている。部屋の前には、お盆の上にサンドイッチと紅茶の入った真空ポットが用意されていた。親族という存在に心底感謝しつつ、部屋の中で腹に納める。はあ、と一息つく。落ち着いた。
姿見の前に立つ。目が泣き腫れていて、酷い顔をしている。唇もかさかさだ。だが眼光だけは死んでいない。ヒメの視線は、その長く伸びた髪に注がれていた。
腰まで伸びた黒髪。本当は濃い紅茶色だ。高校に入学した時に教師と揉めたので染めたのだ。この話をすると皆、今時古くさい高校だなあと言うが、でも何かと揶揄の元になるのは高校に限った話ではない。幼い頃はよく虐められた。そして今も昔も庇ってくれたのは、いつもトウマだった。
さて。明日は美容院に行こう。そう決心すると、ヒメの心は少しだけ晴れ晴れとした。
—— ※ —— ※ ——
トウマはヒメが目前まで歩いてくる間、ずっと口を開けたままだった。一瞬、懐かしくも別人の様にも感じる。腰まであった髪が無く、その色は濃い紅茶色に戻っている。そして何より、その所作が、滑らかなものからキビキビとしたものに変わっていた。目つきが鋭い。ああ、なんか懐かしいな。そんな感情が戸惑を越えていく。
「お、嬢ちゃん。元気だったか?」
ホムラが気安く声を掛けると、ヒメはびしっとホムラへと顔を向けた。妙な気迫にホムラは目を丸くする。
「その節はどうもありがとうございました。ところで、どこか二人きりで話せる場所、ありませんか?」
「お、おう。通路行ったところに応接室が幾つかあるから。どれも空いてるはずだ、よ」
「ありがとうございます!」
ヒメはトウマの腕を掴むと、引き摺るように通路へと歩いていった。途中、トレイに飲み物を乗せたキョウコとすれ違う。「ちょっと話してきます」と言い残して、二人の姿は応接室のドアの向こうへと消えた。
「なんや、ちょっと様子ヘンじゃなかった?」
「さあ。オレはほぼ初対面だしなあ」
水滴の滴るよく冷えたコーラを口に付けつつ、ホムラはキョウコと一緒に二人の消えた応接室の方を心配そうに眺めていた。
—— ※ —— ※ ——
応接室の照明は、入室者を検知してふわりと灯った。窓は上から下までガラス張り。雨は少し強くなってきたか。ガラスの向こう側は濡れ切っている。
部屋の中央には三人掛けのソファーが、背の低いガラステーブルを挟んで並んでいる。壁面には株式会社デキステルのポスターと世界地図が貼られていた。地図上に貼られている赤いマークは、恐らく支社の位置だと思われた。こう見ると本当に多国籍企業なのだなと実感する。
ヒメとトウマはソファーに並んで座った。トウマを真ん中に座らせ、その左隣にヒメが座る。普通は対面じゃないのか? トウマが振り向くと、そこには既にヒメの顔があった。近い。懐かしいラベンダーの香りがする。
「お前……大丈夫なのか?」
トウマがちょっと上擦った声で聞く。そしてちょっと後悔する。大丈夫って何だよ。色んな出来事が起きすぎていて、何のことだかさっぱり分からないよな。しかし明確に言うことを、トウマは躊躇った。
「うん、まあ何とか」
ヒメは少し顔を赤らめる。ちょっと視線を外し、無意識にか自分の髪を撫でる。
「髪、切ったんだな。色も。懐かしいよ」
「高校生になる前は、こんな感じだったよね。今思うとね、なんで髪伸ばしたのかなあって」
「そういえば、伸ばした理由は聞いたことなかったな」
「たぶん羨ましかったんだと思う。マウアのことが」
ぎょっと、トウマはヒメの表情を凝視する。
「その頃はまだ前世のことは思い出してなかったけど、そう思ったら何か腑に落ちちゃって」
ヒメは笑っていた。たははと眉をハの字にして。
「ちゃんと思い出したよ。私、ユニファウだよ、レイリー」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます